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「常識」は覆してナンボ

「常識」
一般の社会人が共通にもつ、またもつべき普通の知識・意見や判断力。「常識がない人」「常識で考えればわかる」「常識に欠けた振る舞い」「常識外れ」
国語辞典の説明・例文でも常識は「もつべき」ものとして使われることが多い。常識はもたないといけないものなのだろうか?

筆者はなるべく「常識」という言葉は使わないようにしている。何が常識で何が常識でないかは曖昧であることと、「常識だから」という言葉で思考が途絶えるからだ。しかしビジネスの中でも「常識的に考えればこうなる/すべき」などという言い回しは時折聞くことがある。皆さんはどうだろうか?

”一般の社会人が共通にもつ知識” としての「常識」は、お互いに「xxとは何か?」という会話をする必要がないという意味でコミュニケーションをスムーズにするものであるが、意見や判断に対して「常識」を使うべきではないと考える。例えば、「販売価格を上げると販売数が下がる」「新しい事業が収益を生むまでは時間がかかる」など、何となくそうかなと思うものだが常識と言ってしまうとよくないものが往々にしてある。意見や判断については「常識」と言わない方が良いのである。

イノベーションは常識を覆したものが多い。接着力の低い接着剤から生まれたポストイット、家でない場所で音楽を楽しむウォークマン、若い男性以外も欲しくなるゲームWii、など。「常識」という考え方をしていたらまず出てこないアイデアであろう。

多様性の時代、みんなが同じ考え方をすることはもはやほとんどない中で、意見や判断の「常識」を作る/使うことに意味はない。「それは常識…」と言ってしまう前に一度、「何を常識として考えていたのか?なぜそちらが良い選択とされていたのか?」を改めて整理してみよう。意見・判断の内容を改めて考え直せるチャンスになるはずだ。

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