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閉鎖病棟体験記 ~暇つぶし編~

わたしが閉鎖病棟である4病棟、通称「4病」で2週間の間にした暇つぶしをご紹介します。

ネットもなくて、自由にどこかへ行けない鍵付きの世界。
思ったより、結構、苦痛ではなかった。

文を書く

これが1番長かった。大量のルーズリーフと多種多様なペンを持ち込んで、ずっと日記だったり、思い出したことを書いていました。
何も浮かばない日には文を書き写しました。とにかく書きました。
日記は2週間で224ページになりました。

手紙を書く

外界に向けて手紙を書いていました。外出時間に、写真を撮って送ります。退院時にはお世話になった患者さんや職員さんにメッセージカードを渡しました。必ずその人をほめる手紙です。通称「ほめカード」。

デイルームに行く

皆が集まるリビングのようなところです。スタッフステーション(ガラス越しで、鍵がかかっていて、私たちを「監視」している)から一番遠いところにありました。誰かいます。そこでアドバイスをくれる人がいたり。ただ座っていたり。4病っていいな、と思いました。
「外の世界が無理でも、また4病に帰ってくればいい」と言われて、わたしは元の世界に戻ってきたのです。

大富豪をする

UNOや7並べのときもありました。他にも何かやっていた気がします。ネットがないので誰かがルールを解説します。あいまいすぎて笑う。
大富豪はやはりローカルルールがありました。4病ルール。紙にまとめてから退院してくれた人がいるので、それを見ながら参加すればオッケーです。
4病にもゆるく派閥があって、わたしは最大派閥で覚えた大富豪をおばさまチームに教えていました。教えながらだと負けるけど楽しい。

将棋の観戦をする

4病は食堂でしか男女が一緒になりません。その食堂で、将棋をしているふたり(あえて性別は書かない)を見ていた。ルールは分からないけれど、楽しい空気を見ていた。

窓にアートする

怒られるかぎりぎりのラインでしたね。ふせんで大きなハートマークを作り、外からもわたしの部屋はココ!ってわかるようにしたのです。

紙飛行機研究

外出時間が終わった後に、部屋から外にいる面会者に向かって紙飛行機でメッセージを届けるため、確実に届く紙飛行機を作る研究をしていました。

カフェを開く

4病ではジュースの持ち込み数が制限されていました。そこでみんな、お湯に混ぜるスティックのコーヒーやらラテを持っていました。
わたしはそのスティックを大量に揃えて、病室にカフェコーナーを作りました。
また、このスティックは誰もが持っていたので通貨にもなりました。何かのお礼にスティックを1本。持っていない種類のスティックはそうして増やしました。

トランプタワーを作る

精神安定にも繋がりました。でも、ただそれだけです。
よくそんなのできるねえ、と声をかけられることもあったり、なかったり。

寝る

どうしようもないときは寝ます。夜眠れなくなるのでほどほどに。

読書する

たまにしていました。(つまり、ほとんどしていない)
かつて感動できなかった「君の名は。」のオフィシャルブックでひどく感動して、わたしは人の子だと実感して、4病ってスゴいなって思った。

電話する

公衆電話が使えたので、どうしようもなく辛い日には電話しました。
現金を所持できないので、その都度申請書を書いて10円玉で渡される。10円玉は時間が減ってのを目に見せてくれるので、「この世界は無限じゃない」って気づいた。

おしゃれする

暇なのでずっとヘアアレンジをしていました。そうしたら不意に寝っ転がったりもしなくなるし。洋服は最低限のものしか持ってきていなかったから、着回しを全力で考えた。どの靴下を履くかも本気で考えた。

テレビを見る

デイルームにはテレビがありました。外界を知る唯一の手段。時間によって見ている人が違っていて、チャンネル争いは特に起きません。
ミュージックステーションの時間が一番盛り上がりました。

ラジオを聴く

わたしは私物のポータブルテレビ・ラジオを持ち込んでいたので、部屋ではラジオを聴くことが多かったです。ラジオは人を元気にする、と思った。思い出していた曲がちょうど流れた日には感動が止まりませんでした。


暇つぶしというよりは

人生のリハビリでした。
わたしは1日18時間くらい働いちゃう人だったので、「暇」が分からなかった。「暇」になると自分と、他人と、向き合えるらしいと分かった。

今でもたまに4病の環境を再現することがあります。スマホ投げ捨ててみたりね

外の世界もたのしいよ、あめちゃん

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