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旅行記録 2024/08/29-大原

 今年もここへとやって来ることは、前から決まっていた。ただし、予定では本当は三千院へも行くつもりだったのだ。しかしながら、予想に反して国際会館前のバス停に集まった人々の数は10数人、そのうち半分ほどは外国人。外国人は台風接近の情報を聞いて既に避難もしくは外出を自粛していると思っていただけに、衝撃も大きかった。清水寺の事を思い返しても、やはり不自然ではないか。
 これほどまでに人がいるのであれば、三千院はやはり混んでいるはずだ。それならば、昨年と同じく大原の寂光院にのみ、向かえばよいだろう。そう話し合いの末決定、大原に到着してしばらくしてから移動を開始した。ここで人々が寂光院のほうに向かうのであれば、三千院へと行くことも選択肢のうちであったのだが、そのほとんどが即座に三千院方向へと向かったことを確認して、踵を返す。やはり寂光院方面に人はほとんどいない。付近の山頂あたりに雲がかかっている。日差しがさえぎられて心地が良い。人もいない。風が山から吹いてくる。空がどんよりと曇った感じもしない。
 そんななか歩いていくと、三差路に出た。昨年はここで雨に降られ、仮の宿として付近の店の軒下にお邪魔させていただいた。そのことを思い返しつつ、雨が降って来やしないだろうかと空を見上げる。決して快晴とは言えないが、雲が幾重にも重なった様子はなく、日光も降りそそがない。最高の天気だ。
 そうしてしばらく。寂光院へと到着する。昨年はまだ開院前であったためにしばらく待つことになったが、この日は既に開いている。茄子の根付とかいうものに心奪われつつ、参道を歩く。やはり人が少ない。僕たち以外には3人しかいない。以前の火災の後から来る人が減ったのだろう。とある京都の旅行ガイドには、ついに寂光院が載らなくなったと父が嘆いていた。勿体ない。こんなにもいいところだというのに。

 五色の糸を握って祈った後、時計を見れば、なんとすでに12時になろうとしている。昨年のように宝物殿を見たあと、下山する(そういえば、ここにある昔の笛(龍笛かな)は7孔だけれど、僕が持てば確実に隙間ができる。穴と穴との間が小さすぎるのだ。これを見ると、昔の日本人がいかに小さい人であったががわかるというもの)。その際、先ほど強く興味をひかれた茄子の根付というものに手を出す。丁度、笛袋に取り付けるのにぴったりではないか。それに、フリースクール一の茄子好きを自称する僕にとって、茄子の根付は非常に好ましいもの。迷わず購入。
 そうして、麓の料亭で昼食を摂り、バス停へと戻った。もしも人が少なければ、このまま三千院へと向かうことも考えたが、バス停に集っている人数を見るにそれは難しいだろう。だから、このまま家に戻ることにした。
 一度三条まで向かい、そこで電車に乗る。この通称「三条の土下座」に至るまで、バス車中ではかなり不気味な事態が引き起こされていたが、それも京都市内へと入ろうかというところになって突如として止まり、いつの間にか雲散霧消となった……不意に「お~い、お~~いい」という声が後ろから聞こえてきたときは、何か聞いてはならぬものを聞いてしまったような気がしたが。丁度その時、僕は「認知する」とはどういうことかと考えていたため、一層恐怖心が助長されたということも、原因の一つではある。見ようとするからこそよく見えるのであって、見ようとしない者には見えず、それを聴こうとしない者には聴こえないのだと考えていた矢先、その呼び声を聞いてしまうと狂気に蝕まれるような感覚を覚える。

本当は土下座ではないと知ってはいても、やっぱり土下座と呼びたい

 さて。その「三条の土下座」前にて父と別れ、僕たちは一度家に戻った。父は三条商店街を散策するといい、それに同行しなかった僕たちは、帰るなり本を読み耽る。今回持って行った本は10数冊。そのなかから取り出した新潮古典集成の「源氏物語」を取り出す。しかしながらあまり気が乗らなかったためか、それを置いて今度は篠笛を手に取る。やはり、気が乗らない。今から思えばこれはどこか不安な気持ちとも言い表すことができただろう。虫の知らせとでもいうか、なにか不安なことがあるときにはよく覚える感情だ。そんなときは、手を付けていることに決まって身が乗らない。文章を書こうとも思ったが、やはりやる気が出ない。どうしようかと悩んでいるうち、不意に母の声が階下から起こり、僕を呼んだ。これこそ、この夏の思い出の最後を飾る大事件の始まりであったのだった(だが、大事件とは言っても8月上旬に起こった食中毒騒動のほうが大事件と呼ぶにふさわしく、多分に見劣りしてしまうのだが)。

また、旅行記録 2024/08/29-京都 は、この記事の続きとなります。

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