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走るとイイことたくさん その2

前回はこちら

最初に走ったときに2分程度しか走れなかったわたしは
すでに15年くらい習慣として走っている。

↑という話だった。

さて、本題に入るけれども
どんないいことがあるのかという話だ。

競技者でないので
自分の都合の良いときに都合よく走る。

まず最初に走ったときのこと。
こう思った。
「体が重い。下腹の肉が邪魔(-_-;)」

当時今の体重よりも7キロは太っていた。
痩せた理由は他にあるので今回は割愛。
ダイエットしても
断食道場へ行っても
何しても痩せなかったのだが
ある年、1年で10キロ落ちてそのあとはリバウンドしてない。
断食道場では痩せなかったけど、その時の先生の言葉が
今の食生活を支えているのは間違いない。

話は戻すと。
つまりぼてぼての体でぼてぼて走ってた。
現場からは以上です。

痩せなかったけれども
体の変化はあった。

まず
動けなくなるような腰痛は
少しずつ無くなって
今は腰痛ゼロ。

何もしない日でも
一日の終わりに走ることで
血液が体内をめぐる。
わたしの臓器は今日もそっと
私を支えてくれてるんだなと思う。

私は一日のうちに何回か自分の体に
「今日走れる?OK?」
と聞いてる。

走ることで体のメンテナンスを行っている。
これが実は非常に大事。

ある日、昼に自分に
「今日は夜走れるかな?OK?」と聞いたら
答えは
「無理。NO」
だった。
確かにその時は、熱があり
だるいというのはなかったけど、その晩しっかり私は
発熱をして風邪を引いた。

素晴らしい!私の体。正確な回答。

逆に、出張の日々でクタクタに疲れても
「今から走れる?OK?」と聞いて
「OK大丈夫!」という時に走ると
とてもリフレッシュできる。

加齢のせいだと思うけど。
一昨年のクリスマスに風邪をひき寝込んだ。

いやーあの、自律神経ってすごいって思った。
熱が少し上がっただけで、私は病院で
待っているだけなのに貧血になり
家に帰宅するのにもよぼよぼ。
途中で偶然に会った母が
「なんかすんごい年配の人が坂を上ってきたと思ったら
あんただった」と言われた。
家に帰り、ペットボトルのキャップを開けようとしたけど
力が無くて開けきれなかったのだ。

いやー体ってすごい。
私という人間を支えるためにあらゆる臓器が
心をひとつにして私を支えているのだ。

これはもう感謝しかない。
経った今
NHKのSONGSという番組の
「大泉洋 紅白の裏側」
というのをみたけど
まさしく!あれに近いことが行われているのだ。
秒単位で総力をあげて、私が普段何気なく行っていることを
支えてるのだ。

いや待てよ。人って生まれた時
きっと周りの人が口々に
「生まれてきてくれてありがとう。おめでとう!」
って言ってくれたと思う。
どんな人もそうだ。きっとそうだ。
感謝の言葉に包まれて。
その送り出されたときに真新しいわたしの
臓器や細胞も
「俺たちは最後命が尽きるまで頑張って行こうぜ!」
と円陣が組まれたと勝手に思っている。

大幅に話がそれたので戻すけど。
つまり、私が走れることは
「あなたは今日も頑張ってるよ!」ってことを
教えてくれる。

逆にNGの時は
「今日は走れなくもないけど、明日のほうが気持ちよく走れる」ということを教えてくれる。

そして・・私が過去にも何度か書いているが・・
私の心がぽっきり折れてしまい
もうこの世から消えて無くなりたいと思ったときも
わたしは、走ることは辞めなかった。

無意識に
「時間があるから走ろう」と思った程度だと思う。
走っても何が変わるとかでもない。
でも、じっと家にいるよりは
外に風に触れたり
思いきり呼吸をすることは気晴らしになったと思う。

命があって、だから私は走ることができた。
走ることが習慣でいて良かったと思う。
そして何度もいうけど
無理しては走らない。

嫌な時は走らなくてもいい。
私は寒くても、暑くても
「OK!今日は走ろう」と思ったら走る。

嬉しい時も悲しい時も
辛い時も、泣きながら走ったこともあるけど(笑

私が走る意味は自分への感謝だと思う。

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