片付けが苦手な君へ。
私という人間はどうしようもなく片付けが下手だ。
それを体現するごとく私の自室は年中散らかっていて、床にはいつのものかもわからないようなプリントの類が散らばり、常にどこかしらの引き出しが爆発している。
月に一度か二度ほど、こんなんじゃいけないと手をつけてもしばらくすると投げ出してしまって全然だめ。
何よりも私の部屋にはものが多すぎる。
プレゼントにもらったネックレスの包装とか、
カフェのレシート、
数式で埋め尽くされたルーズリーフ、
空のクッキー缶。
私の部屋はよく言えば思い出、端的に言えばゴミ同然のガラクタで溢れている。
捨てられない。捨てて仕舞えばいいようなガラクタの数々を、どうしても捨てることができない。
片付けを始まるとどうしてもその壁にぶち当たってしまってだめになる。
結局私の部屋は思い出と、それ以外のガラクタで溢れてしまっている。
私は小さい頃から片付けぎらいのくせにものを集めるのが好きだった。
動物園の入場券から普通列車の乗車券(JRとかの普通の切符も有人改札で言うともらえる)まで全部取っておいてたし、
ボンタンアメだとかアポロだとかどこにでも売っているようなお菓子の箱を集めては捨てられないと泣き叫び母を困らせていた。
だから私の収集癖と片付け下手は今に始まった事ではない。
しかし、”元彼”という思い出の象徴というような存在ができてからは拍車がかかっている気がする。
しかも悲しいことに元彼にまつわるものは本当に溢れかえっているのだ。
付き合っていた頃の私が積極的に大事にしていたのはもちろんのこと高校生活、ひいては部活動に関連するものまで全部(部内恋愛だった)。
お揃いのキーホルダーや彼にもらったものの多くはもうクローゼットの奥底にしまってある。
それでも床に散らばっているプリントに紛れたスタンプカードや、教科書たちに挟まった定期演奏会のプログラム、文化祭の集合写真、修学旅行のしおり。
しまってもしまっても取り残された思い出たちは唐突に目の前に現れ、私の手を止める。
思い出してしまう。
そういえば行ったな、〇〇。なんの話したっけっか。
あー、あの頃は…
そんなことをしていると時間だけが過ぎていくし、
部屋は一向に片付かないし。
その事実と”思い出”という良くも悪くもないものによって心が締め付けられる。
やっぱりどうしても片付けなんてできない。
集め始めたプリントが再び床に散らばる。
なんでだろうね。
なんで捨てられないんだろうね。
テスト勉強のルーズリーフなんて思い出も何もないただのゴミだ。
元彼の存在だって心の中では思い出として整理できてるし、未練なんてさらさらない。
レシートなんて紙切れ一枚なくても私の大事だった時間は消えない。
元彼だけじゃない。
面白かった映画の半券なんてそんなものがなくても忘れようもない。
半券自体に価値はない。
放置されてシワになった包装紙なんて。
ひしゃげたお菓子の箱なんて。
しかも取っておくならきちんと保存しておけばいいのにそれをしない(できない)から本当に私の部屋は汚い。
母は呆れて何も言わなくなってしまった。
埃被ったドライフラワーなんて嫌だ。
綺麗に、ちゃんと飾りたいのに。
思い出と、何かが邪魔をしている。
あーあ、もうやめたやめた。
何度繰り返したかしれない。
また、プリントだとか脱ぎっぱなしの部屋着だとかを踏みつけてベッドに飛び込む。
2023.12.2
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