高校でクラリネットを始めてトップ奏者になった話

中学時代、落ちこぼれのサックス奏者だった。
2年生の時、私ともう1人の友達以外の同級生は全員コンクールに乗った。3年生でも1stになれるはずもなく2ndのすみっこに乗せてもらったくらいだ。
先生には下手と言われ、先輩には下手すぎてバチを投げられた。
そんなことをされても、私はずっと音楽、楽器が好きで、高校は地元で少し有名な高校に進学した。
高校でもサックスのオーディションがあり、5人から1人選ばれるのだが、当たり前のように、サックスにはなれなかった。

クラリネットを始める。
楽器を始めて3ヶ月で憧れのシンフォニーホールで演奏。
何度かシンフォニーで演奏し、好きなホールTOP3には入るほど素敵で気持ちの良いホールなのだが、そんなこと知らない単純な私は、ここでクラリネットに目覚める。
相変わらずの実力で、ポップスを含め半年間1stをもらえることはなかったのだが…
1年生のコンクールでは2ndだったおかげもあり、ギリギリで切符を手にする。2ndは2人しかおらず、2音に分かれていたからだと思う。運はとても良い。(笑)
そして1年生で地区大会を突破。府大会に向かって努力するなか、うまく吹けない自分に涙する日々。
そして楽器を始めて5ヶ月。コンクールでは3000人満席のホールで演奏した。
素敵な場所でたくさん演奏できて、下手な自分と葛藤しながらも、モチベはずっと上がっていた。
そして12月のクリスマスコンサート、日々の練習の成果か、1stをたくさんもらった。吹奏楽の曲はもちろん、ポップスもたくさんだ。
とてもやりがいを感じていた。

そして冬といえば、アンコン。グループ決めがあったのだが、1年生では出ない人も多い中、挑戦した。
希望制で挙手した初心者ほぼいない中の挑戦、完全に楽器が楽しくなってしまっている。
そしてここで木5というまたまた楽しくやりがいのあるものを経験する。
当時は楽しかった記憶しかない。

そして1年生3月定期演奏会。
「祝典のための音楽 / スパーク」「マインドスケープ / 高昌帥」など大曲で1stをもらう。
そして1年生全員の中で私がはじめて小さなソロをもらった。この時最高に燃えている。

そして2年生の春、2年生限定のソロオーディションが開催された。
競ったのはサマーコンサートで演奏する、「マードックからの最後の手紙 / 樽屋雅徳」の中間部のソロと「華麗なる舞曲 / Cスミス」中間部のメロディックな方のソロの2つ。(あのかっこいいソロはもちろん3年生でした)

私は華麗なる舞曲は1stだったこともあり、シンプルに体力が心配で、マードックのソロを狙いにいった。
そして結果やりたかったマードックのソロを無事にもらうことができた。
そしてサマコンの日、マードックがとても盛り上がり、先生がソリストを立たせていった。
その時はじめて自分への拍手をもらった。

そして2年生の時のコンクール自由曲、「ラッキードラゴン / 福島弘和」でも1stをもらうことになる。
完璧なトップ奏者コースに乗っている。
しかも地区大会前のコンクールオーディションでは、一度トップ奏者の先輩を抜き1位になった。
そこで先輩にバチバチな雰囲気を出され、セクションで私が褒められるとすごい空気が流れたり、コンクール1週間ほど前には「先生に褒められてたで〜よかったやん。」と真顔で言われて震えた。
もともと厳しくて、吹けるようになるまで帰ってくるなと外に出されたり、怒られたりは日常だった。
そんな先輩方だったから、なかなかグイグイ前には出れなかった。

そして私たちの代で、パートリーダーに大曲の1stをすべて渡されるようになり、私はトップ奏者になったみたいだった。
先輩がいなくなっても私は決してグイグイ行けなかったが、そんな私がトップ奏者になったのだ。

だがそのパートリーダーが半年で辞めてしまい、そのまま私がパートリーダーを引き継ぐことになる。
前パートリーダーはセクリの経験がある子だったのだが、私はリーダー未経験かつトップ奏者。
いままでパートリーダーでトップをしていた先輩はいない中、私は演奏面だけじゃなく、このパートの全責任を預けられた気がした。
この日々の葛藤はまた次のお話で。


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