あんたが好きだった髪はもうさよなら

 八月だった。曇りの夜にちょっと変わった。
 だらしない夏休みを過ごしていた僕は、またふらふらと深夜のコンビニへ行く。いつもと同じ缶ビールとコーヒー、それと数日分の菓子パンカップ麺、あとちょっとだけ気になる美味しそうな新商品を買う。四千円くらい支払って、重たいエコバッグを手に提げて帰る、それだけのはずだった。
 泣きながら誰かがこちらに歩いてくるのが少し見えた。あまりはっきりと姿は見えないけど、泣き声からするに女性で、こんな夜にそんな泣いてたら心配でしょうがないから、とりあえず家へ連れて帰る事にした。もう少しのところで彼女が泣き疲れて膝から行ったから、驚いたけど、怪我とかはちゃんとさせなかった、偉い。買い物はその辺に置いて、先に彼女をおぶって帰る。304、自分のマンションの部屋までまで少し遠かったけど、何とか着いて自分のベッドに寝かせた。
 セミロングのオレンジブラウンの髪で、同い年、少なくとも大学生位かなという感じ。酷いのが裸足のまま、服は伸びてよれていて、少しはだけた胸元には生々しい痣、叩かれたように赤くなった頬、鼻をつく酒とタバコの臭い、と見た目にそぐわない事が多くて何があったのかと勘繰る。でも一人で考えてもしょうがないし、明日少し聞いてみようと決めて、買ったものを片付けて寝た。


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 ひんやりとした床に気付いて目が覚めた。昨日のことを思い出す。ベッドには可愛いパジャマを着た、少しだけたばこの匂いがする女性。彼女の為にも朝ごはんをと思って、起こさないようにそっと家を出てコンビニへ向かう。そんなに料理なんてしないけど、ベーコンエッグトーストくらいならなんとかなるだろうと思って、その為の買い物。
 買って帰って手を洗って、ガス栓開けて火をつける。ベーコン敷いて上から卵、焼き上がるまで待つ。しっかり火が通ったら、今度はバターを塗ったパンを焼く。いい色になったら上にベーコンエッグを乗せて完成。いい感じのタイミングで女の人は飛び起きた。驚き過ぎたのか喋ることは疎か、動く事も出来てなくて、とりあえず「大丈夫?」と声をかける。少し間を空けて首を縦に振ってくれたのでひとまず一息つける。
 「ごめんね、助けて貰って、それに朝ごはんまで頂いちゃって」
 「夜中に泣いてる人を置いとく訳にはいかないでしょ。とりあえず食べようよ、醤油か胡椒か、何かいる?」
 「醤油貰ってもいいかな、ありがとね」
 美味しそうに食べてくれた、ちょっと嬉しい。
 彼女は平田茜、僕と同じ大学の三年生、一つ上だった。
 「榎本真、君ね、覚えた。」
 どうやらタメ語の方がいいらしい。そういうやんちゃな感じではないけど、かといって堅いのもちょっとって感じらしい。少し気が引けるけど心配の方が勝ってしまって、彼女に昨日泣いてた事とか、生々しい痣の事を聞く。
 「ちょっと彼氏と色々あってさ」
 そう言う顔は少し辛そうだった。
 「そっ、か。コーヒー、ブラックでも大丈夫?」
 「うん、ありがとう。なんかごめんね」
 一息ついて、これからどうするのと聞く。彼氏じゃない男の人の家なのはまずいし、流石に帰らないとだけど、今日はまだ少し帰りたくないらしい。仮に自分が彼女の立場でも、確かに帰るのは嫌だ。
 「服着替えたいけどさ、流石にパジャマで昼間の外は歩けないよね。」
 「シャワーもいいし服もいいよ、無地のなら男女関係なく着れるしょ」
 言ってから自分が何を言ってるか分かった。男が女を自分ちの風呂に勧める馬鹿がどこにいる。口では言い表せない程血の気が引いて、すぐにあわあわしながら謝ったけど、彼女は別に少し笑顔になって、
 「本当?ありがとう、借りるね!」
 なんて予想外な返事が帰ってきて、一瞬頭のもやに包まれて、ちょっと腰まで伸びてしまった。すぐボイラーを付けに行って、服とかも取ってくる。でもよくよく考えたら下着って流石に嫌だなと思って大声で流石に下着はいらないよねと聞いたら、当たり前じゃんと笑い声が帰ってきて、一人で顔が少し熱くなってた。
 ホカホカになりながら自分のシャツとジーンズを着て、似合ってるかと自慢げに聞いてきた。少し大きい気もするけど、全然大丈夫だと思うと答えたら、リュックと手提げ鞄を貸してほしいと言われた。今の時間帯彼氏は仕事だそうで、家に行くには丁度良いらしい。本当はおかしいんだけどね、と少し笑う顔はその分心が疲れてそうに見えた。すぐ帰るからと家を出ていったけど、ちょっと心配なのはある。
 あんまり部屋が綺麗じゃないけど、もう少し一緒に居そうだから、とりあえず部屋の片付けをする。最近作った音楽アプリのプレイリストを適当に流して、要らないものはゴミ箱へ、掃除機かけて窓を開ける。そうこうしている内に、彼女は帰ってきた、意外と早かった。ちょっと適当に歩いたらたまに行くコンビニがあって、意外と近所だったらしい。少し家借りるかもだし、と色々食材を買ってきてくれた。自分で買った新商品が一つ被って、二人で笑った。彼女は料理が得意なそうで、慣れた手つきで油を引いてる。僕は丁度終わった洗濯物を干す。こんなに生き生きとした生活を家で送るのはいつぶりだろうか、少し楽しさを覚える。彼女もササッと昼ご飯を作って、二人で手を合わせる。
 今日はもう家から出る必要もないよねって話して、二人で昨日買った缶ビールを空けて、適当に駄弁りながら据え置き型のゲームをした。見た目的にあまりゲームに関心は無さそうに見えたけど、双六型のゲームはとても楽しそうにしてくれた。
 誰かと、それも女の人と一緒に過ごすなんて久しぶりだったけど、違和感とかは全然なくて、すぐに馴染んだ。アルコールのおかげもあるかもだけど、あまり辛そうな顔はしてなさそうで安心した。
 晩ご飯にするより早く彼女は寝てしまって、とりあえず起きたら食べようかな、とゲームを片付けてカーテンを閉めて、少し早いけど僕も寝る事にした。

~~~~~~~~

 気が付いたら朝だった。昨日の記憶が二人でゲームをした事から覚えてないけど、多分変な事はしてないはず。隣を見ると昨日の記憶と同じ格好のまま彼女が寝ていて、確信を得る。今日の朝ご飯はまたトースト。でも使うのはシナモンパウダー。前にスーパーで見つけた、手軽に振りかけられる調味料。少し焼き目を淹れる間に、しっかりとコーヒーを淹れる準備をする。今日も昨日と同じくらいに朝ご飯を作るから、彼女が起きるのも時間の問題、お酒の事もあるから少しだけ長く寝てるのかも、起きなかったら可哀想な気もするけど、冷えたトーストを食べさせる訳にはいかないから起こしてみる。
 「おはよう、朝だよ」
 肩をさすってそう言うと、うーんと言いながらごにゃごにゃ言い出してうつ伏せになった。これはもう少し寝てそうだなと思って、カーテンを開けてとりあえず昨日の空き缶を片付けた。もう一度起こすと目がうっすらと開いたので、おはようと声をかける。朝ご飯も作ったと伝えるとありがとうと言って、むくっと起きた。
 「ごめんね今日も、ありがとう」
 また二人で手を合わせる。いつまでいるつもりかは分かんないけど、そろそろ帰らないとねって話す顔は、まだ少し辛そうで。
 「今日さ、少しお出掛けしたいな」
 ふいに彼女はそんな事を言った。
 「どうしたの、そんな急に」
 「ううん、ただの気分転換。大丈夫、ちゃんと自分の服は昨日持ってきたから」
 そう言うと、食べ終わった僕のお皿まで取って、準備しなよって言ってくれた。いやいやいいよって皿を引き返すと、家に居させてくれるから、少しくらいお礼させてよって言って、今度は皿を持って立ち上がった。
 「ありがとね、これくらいしか出来ないから」
 流石にいいよってもう一回言える感じじゃなくて、こちらこそありがとうと言って、着替えを持ってシャワーを浴びる。頭を洗って髭を剃って、手足も剃って全て流す。最近は最後に少し冷たい位の温度にして頭から被る。風呂上がりにさっぱりして気持ちいいよくて、夏の間の自分の流行り。シャワーを止めると掃除機の音が聞こえてきた。体を拭いて化粧水を付けて、ドライヤーで髪を乾かして服を着る。
 部屋に戻ると、散らかっていたものが綺麗に整頓されていた。昨日自分でやった分とは比べ物にならなかった。勝手に片付けてちゃったけど良かったかと聞かれて、助かりますと言った。後はやっとくから、シャワーしてきなよと言って交代した。
 どうやら服とか本を全て棚に戻して掃除機をかけてくれていたらしい。要らないものとかくずかごの中身を全部一つの袋にまとめて、下のゴミ置き場に置いてくる。最近までと違って、昔みたいに空がなんだか綺麗に見える。部屋に戻って掃除を終えて、適当にスマホを見てると彼女が戻ってきた。
 「私はもう行けるよ、真は?」
 「こっちももう大丈夫だよ、そろそろ行く?」
 大体は終わったので、家を出る事にした。彼女はとあるショッピングセンターに行きたいそうで、近くの駅からそこの最寄り駅まで電車で行き、そこから二十分程歩くとあるらしい。いつもと電車の進行方向は同じだけど、もう少し遠くまで行く。平日だからか、人はそんなに多くなくて、小声で何か話しても他の人には分からないくらい距離はあった。
 「あのさ」
 少し上を向いて彼女が話しかけてきた。
 「マコちゃんって呼んでいい?」
 マコちゃん、そう呼ばれたのは小中高と仲の良かった友達以来だった。みんな今頃、何をしてるんだろうな。自分の今までの生活を少し振り返ってしまって、何処か辛く感じたけど、別にそう呼ばれて嫌だとかは全くないから、彼女が呼びたい様に呼べるならそれでいいから、いいよって答えた。彼女はどこか嬉しそうな感じでありがとうと言っていた。知らぬ間に時間は経つ。
 意外と距離があって僕は今までこのショッピングセンターの存在を知らなかった。平日なのに駐車場に車は多くて、ここら辺じゃ知らない人の方が少ないのかもしれない。大学に友達は居るとはいえ、バイトとかが忙しくて遊んでいられる程暇じゃなかった。学費は出すけど生活費とかは稼いで欲しい、と一人暮らしになる前の親との話だった。けど、なんだかんだ言って毎月仕送りをくれている。去年は扶養が外れそうになるくらい働いていたのに、あまり贅沢はしておらず、寧ろ節約できる所はするという生活を送っていて、高校生の時からもバイトはしていたから貯金がそれなりにあり、単位だけ取って後は楽しようと思っていたら、いつの間にかだらしない生活になっていた。よくある大学生の過ごし方って言って綺麗に聞かせたい。
 「ここによく服とか買いに来るんだよね」
 今日着て来たのもここで見つけたお気に入りの一つらしい。太陽の光を綺麗に映し、セミロングのその髪をさらさらと靡かせて前を見ているその横顔に、少し惚れてしまった自分が居た。この人の彼氏もそんな所に惹かれたのかな、でもこの人をあんなにボロボロにした辺り、少し不思議な感覚に陥った。
 建物に入ってすぐにエレベーターへ向かう彼女、四階に最初に用があるそう。扉が開くとそこはゲームセンターだった。クレーンゲームで、サングラスをかけた、もちもちした見た目のクッションとぬいぐるみが同時に景品として出て、彼女は可愛くて好きだから色々と集めてるらしい。確かにこれは可愛い、クッションだけでも欲しいかもしれないと思った。
 たまにクレーンゲームをやる彼女は慣れている感じでボタンを押す。何回かやって向きを変えると取りやすいらしく、実際に七百円で目の前でぬいぐるみを取っていた。自慢げにぬいぐるみを見せてきた彼女の笑顔は素直に可愛かった。
 傍から見たらカップルなこの光景、でもお互いがお互いを認知してまだ今日が二日目なのが自分の中の距離感を考えさせられる。近過ぎず、離れ過ぎずを思ってたけど、意外と彼女はそんな事気にしてないみたい。すごいねって褒めて、カウンターへ景品を入れる用の袋を買いに行く。クッションがある台へ向かうと、何やら難しい顔をして、ガラスの向こうを覗いていた。彼女曰く、アームの力が思ったより弱く、掴み所が難しいらしい。千七百円使ってようやく取れると、もう一個欲しいからと更にお金を入れる。この台での景品を取るコツを掴んだのか、何やら箱を押し始める。
 なんとなく用を足したくなったので、頑張ってる彼女に水を差す様で悪いけどと伝えて、トイレへ向かう。トイレは三つ、金髪に日に焼けた顔や腕、一言でおっかないとくくれる人が真ん中で用を足していたので、恐る恐る奥隣へ行く。彼は噛んでたガムをゴミ箱に向かって吐き出して、すぐに出て行った。僕も緊張が解けたからすぐに用を足す。
 戻ると、彼女は笑顔でこちらを待っていた。袋の数が二つになっている。
 「これマコちゃんの分ね!」
 そう言って彼女は今取ったクッションを入れた新しい袋を渡してくる。
 「ありがとう、お金払うよ。いくらで取ったの?」
 「大丈夫だよ、お出かけに付き合ってくれてるんだからこれくらい」
 そんな事よりと彼女は、いい時間だからとエスカレーターで下って、三階のレストランフロアへ僕を連れて行く。
 ウ・モメント・エレガンテ、イタリア料理店、白塗りと木の壁に額縁に飾られた絵や取り付けた棚の上にワインの瓶が備えられたお洒落なお店だった。窓際の席に案内されて荷物を置いて一息つくと、水が運ばれてきた。様々な品数の中から前菜としてトマトとモッツァレラのカプレーゼと白ワインを注文した。運ばれてくるまでの間、僕は彼女にこの後どこへ行くかを聞く。
 「うーん、どこでもいいかな。逆に行きたいとこある?」
 「僕も特にないかなあ、何か欲しいものとかあれば着いてくよ」
 「本当?そういえば最近使ってるリップが少なくなってきちゃってさ、ごめんだけど付き合ってくれる?」
 「いいよ、ついてく。今日は茜の行きたい所に行こう」
 目を少し見開いて喜びの表情を浮かべる。このリップなんだけど、と見せてきたのは今つけてるのと似たような色だった。四千円程する有名ブランドのもので、可愛いから好きなんだよねと彼女は言う。
 そんな事を話していると注文した料理が運ばれてきた。そんなに外食、ましてやイタリア料理など食べに来ないから、自分記念に写真を撮る。二人で乾杯をして、美味しく頂く。白ワインがとてもマッチしていて良かった。僕は夏野菜のラザニア、彼女は、ペンネのナポリタンを注文する。昼時だからか、中々お客さんが多かった。少し待っていると新たに注文した料理が運ばれてきた。美味しそうに頬張る彼女はやはり可愛かった。
 少し見惚れているからか、クロノスタシスとはまた違うが、時間が流れる感覚がおかしくなる。パスタの味も感覚的に美味しいとしか分からない。しっかりしなきゃとは心の中で思うけど、どうも視界はぼやけている。マコちゃん?と呼ばれてなんとか我に返ると、いつの間にか食べ終わっていた。
 「大丈夫?なんかぼーっとしてたけど」
 「ああうん、大丈夫。それより次の注文ピザでも大丈夫?」
 彼女がいいねと言ったから、ワインを一口含んで、しっかりと気を取り直してマルゲリータを注文する。
 「ちゃんと寝れてる?私来てから寝れてない?」
 心配そうに彼女は聞いてきた。
 「大丈夫だよ、ちょっと考え事してただけだから」
 「そう、それなら良かった」
 安心した彼女の顔を見て、自分の少しだけ入った肩の力も抜けた。少し待っているとピザが運ばれてきた。お互いに切り分けたピザを自分の皿へ取り、一口大に切ったものを口へ運ぶ。ワインも飲み終わり、最後にジェラートとエスプレッソを注文する。午後一時、まだまだお客さんは店の外で並んでいる。カップルや子供連れ、熟年の老夫婦まで色々な人がいる。全て食べ終え、会計を済ませる。二人で一万五千円程して、内心驚いたが、すぐに二万円と端数を出す。彼女は私が全部払うよと言うが、気にしないで、と会計を済ませる。
 「これあげる。家に居させて貰ってるし、私のわがままでここまで来てもらってるんだからさ、これくらい受け取ってよ」
 そういって彼女は一万円を渡してきた。ありがとうと言って、彼女に連れられて今度は二階の化粧品の売り場へ行く。
 色々な匂いが混じりあって生まれる甘い匂いの漂うフロア、彼女はリップの置いてあるエリアへ向かう。
 「あった!これずっと使っててさ、ちゃんとピンクになるのがいいんだよね」
 真ん中一箇所から探し始めた彼女はすぐに見つけて手に取る。
 「あとね、ファンデーションも少し切らしかけてるから買いに...え」
 彼女の声のトーンが落ちる、同時に手の力が抜けてリップを落とす。
 「なんで」
 彼女の目線の先には、トイレで見たいかつい男と、その隣を歩くネイビーウルフの髪の女が歩いていた。二人は腕を組みながら歩いていた。僕達みたいに、友達として歩いてるというよりも、それ以上の関係を感じた。すっかり体の力が抜けてしまった彼女は、その場にぺたんと座り込んでしまった。
 「茜?どうしたの、どこか具合でも悪い?」
 返事はなく、顔も垂れ下がった髪で見えず、代わりに徐々に露わになる耳が真っ赤になっていた。何となく状況を察した僕は、その二人の写真を撮る。すぐに近くにいた店員にレジの場所を聞いて、彼女の落としたリップを買う。
 「...君...なんでなの」
 微かに泣く彼女の背中をさすって僕は言う、帰ろう。ゆっくりと、彼女のペースで歩き、エスカレーターを伝って外のタクシーまで歩く。
 「東一丁目の五番地のコンビニまで行って貰えますか?そこからは僕も道案内するんで」
 分かりましたと言う運転手は車を走らせる。
 「ごめんね...マコちゃん...こんなつも...つもりじゃなかったのに」
 嗚咽を漏らして目を擦って、それでもごめんねと言う彼女が可哀想で仕方がなかった。そんな彼女の背中をさすって慰める。青信号、運転手は気を利かせてゆっくりとアクセルを踏み込む。タクシーの中は静かに、ゆっくりと時間が流れる、滲む悲しさを乗せたまま。
 「お兄ちゃんが泣かせたんじゃないのかい?」
 やがて泣き疲れて、彼女が眠ってしまったのを確認して、運転手は話しかけてくる。
 「僕じゃないですよ、僕はたまたま会っただけで。なんか浮気されてたっぽくて」
 「そうかい、それは気の毒な事だ。美味しいものを食べさせてあげなさいね、外食じゃなくてお家でね。ゆっくりさせてあげるのが一番いい」
 ありがとうございますと言い、コンビニからの道案内をする。やがて自分のマンションの前まで着いて、料金を支払う。
 「荷物はおじさんが持つから、お兄ちゃんは彼女をおんぶしてあげなさい」
 とても気の利く人でよかった、ありがとうございますと言い、部屋まで送ってもらった。ちゃんとチップも渡した。運転手は彼女の為に使ってあげなさいと言ったが、お礼はちゃんとしたいですといい、千円札を渡した。運転手は頭を下げ、またどこかで会いましょうと言うと、タクシーへ戻って行った。
 彼女をベッドに寝かせて、運転手の言葉通り美味しいものを食べさせてあげるためにコンビニへ向かう。
 正直彼女の好きなものとか知らない。知らないけど、誰でも好きなメニューを作る。鶏肉とポテトサラダとキャベツ、家に米はあった気がする。シンプルだけど、それでいい。後は缶チューハイとおつまみで大丈夫だろうか。色々買って少し急ぎ足で帰る。
 まだ寝ていた、今すぐ起きるなんてことは無さそう。午後四時、とりあえず買ってきたものを片付けをしたらシャワーをする。個人的な話だけど、お出かけでも何でも家に帰ってきたらまずはシャワーをしたい、さっぱりしたい。しゃっと浴びて、髪を乾かして、家着に着替える。クレーンゲームで取ったクッションとぬいぐるみ、それと彼女のリップを部屋の隅に置く。ファンデーション、買ってあげればよかったかなあ、どれだかわかんないけど。
 そろそろ作ってもいい時間だと思う。作るのは唐揚げ、嫌いな人は恐らくいないだろう。ボウルの中に醤油とみりん、それと日本酒を少し、そこにチューブのニンニクを少しだけ入れて混ぜる。そこに少し大きめに切った鶏肉をいれて程よく混ぜて、ラップをして一時間程冷蔵庫に入れておく。一口大サイズよりも、齧り付くサイズの方がジューシーで美味しいな気がする、個人差があります、ってやつかもだけど。
 暇になったから、一時間程経つまで、彼女を起こさないように動画を見る。最近はたこ焼きを全力で作る人と野球部のパロディをしている人達の動画を特に見ている。結構面白くて好きだけど、彼女を起こさないように静かに見る。そうこうしている内に一時間弱が過ぎたので、唐揚げ作りを再開する。
 ちゃんと染み渡ってるっぽい、鍋に油を注ぎ、中火で熱していく。その間に鶏肉に片栗粉をまぶしていく。ほかほかと油が温まってきたのが分かったから、試しに一つ入れてみる。丁度良い泡の出来方をしていたのでもう三つ程入れる。揚げ上がったら別のを、それも揚げ上がったら最後のを、と作っていく。スキマ時間に炊いたお米を茶碗に入れて、ポテトサラダとキャベツを皿へ盛り付けていく。そこへ出来上がった唐揚げも載せて完成。我ながら良い出来栄えだと思う。テーブルへ持っていくと、茜の姿はベッドには無かった。洗面台の方から泣き声が聞こえる。
 「あか...ね?」
 セミロングでオレンジブラウンの、綺麗なその髪を切っていた。
 「もう、この髪ともお別れするんだ」
 その手は止まらず、涙も、少し垂れた鼻水も、洗面台の電気に反射して光っていた。
 「髪ね、彼氏が長い方がいいっていうから伸ばしてたんだ。でもね、もういいの」
 ばっさりと切っていた。肩まで伸びた髪も、眉毛よりも少し伸びた髪も、震えた声と同じくらいの長さに揃えられていく。
 「あんたが好きだった髪はもうさよなら」
 悲しく呟く。やがて終わると、足元も洗面器も髪だらけだった。落ちた髪の長さが、彼女の心の痛み。いたたまれなくなった僕はすぐに行動に移す。
 「ごめんね、これくらいしかできないや」
 僕の考えた精一杯の答えは、後ろから包み込む事だった。彼氏でも、ましてやずっと友達だった訳でもない僕が。それでも心の痛みを知って、慰めるにはこれしかなかった。彼女は僕の両腕を震えながら掴む、垂れた涙と鼻水が腕を濡らす。
 「ありがとね、マコちゃんは優しいね」
 ぐずぐずして、震えて弱々しい声が、包み込んだ事が正解な事を証明した。泣き止むまで、そうしていた。
 「もう大丈夫、ごめんね、腕も汚くしちゃったし髪も散らばってるし」
 少し体重を乗せて、僕を見上げてそう言った。僕は一歩、後ろへ下がる。
 「晩ご飯、食べよっか。好きかわかんないけど、唐揚げ作ったから」
 「ふふ、好き」
 顔を洗って残った髪を大体落とした彼女の、泣き腫らした目元は未だ赤いけれど、それでも笑う彼女はどこか吹っ切れていた。
 「唐揚げ、好きだよ、好き」
 「それは良かった」
 床に座って手を合わせる、頂きます。最初の一口、唐揚げに齧り付くのを見届ける。美味しそうに頬張る彼女の顔を見て安心する。
 「ん、美味しい。大きいのって美味しいよね、昔お母さんにそれ言ったら女の子らしくないって言われたけどね」
 ふふって笑いながらそんな事を言う、すっかり元気になったみたい。
 「それは良かった、また明日も作る?」
 なんて事を言いながら冷蔵庫に手を伸ばす。
 「レモンサワー、飲む?」
 「マコちゃん、それ天才だよ」
 あっと言う間に完食してくれた。缶チューハイも無くなりかけてた。彼女は笑顔だった。
 「またお風呂借りるけどいい?」
 「いいよ。片付けは全部やっておくから、さっぱりしてきなよ」
 ありがとね、と彼女は言ってシャワーを浴び始める。さらさらな彼女の髪は、全て手で掬ってポリ袋に捨てた。代わりに言ってあげたい、さよなら。皿を洗っている最中に、撮った写真の事を思い出す。皿洗いを置いてすぐにコンビニへ駆けつけ、カラー印刷をする。見た目や感覚で人を決めつけるのは良くないが、トイレで取った行動も、僕達が見ていたあの二人も、あれはよくないと言い切れる証拠になる。
 部屋へ戻ると彼女は中途半端でやめていた皿洗いをしていてくれた。
 「いきなり居なくなるからびっくりしたよ、どこ行ってたの?」
 印刷したものを彼女に渡す。
 「これ、さっきのじゃん。どうして?」
 「浮気されてるのかなって思ったから、一応?」
 「頭良過ぎるよそれは。そうだ、ペン貸してよ」
 言われるがままにボールペンを渡すと、写真の裏にこう書いた。
 『今までありがとう もうさよなら』
 「明日、家の前に貼ってくるね。また殴られないといいんだけどなあ」
 そう言うと、彼女はまたゲームをしようと誘ってきた。喜んで相手をした。冷えた缶チューハイとおつまみを食べながら、夜遅くまで。


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 朝起きると、床で寝ていたのに毛布がかかっていた。隣に彼女はいなかった。テーブルの上には三万円と置き手紙、それと昨日くれたサングラスをかけた、もちもちした見た目のクッションがあった。

 『三日間、私に付き合ってくれてありがとう。ごめんね、朝から居なくなってて。お礼のお金、少ないけと受け取って欲しいな。また学校で会おうね! 経済学部三年 平田茜』

 無くさないように、テレビの下の棚に入れた。


~~~~~~~~


 夏休みが明け、学校が再開した。まだ外は暑い。いつもの通り、三限からの授業に行き、いかにも大学教授と言うような格好の人の講義を受ける。教室の中もやっぱり暑い。

 学校帰り、後ろからトントンと背中を叩かれる。振り向くと、なんとなく見覚えのある人がいた。

 「マコちゃん久しぶり!変わってないね」

 傷跡などは見当たらず、元気そうでなによりだった。髪色はそのままで、可愛いボブヘアーになっていた。

 「この前はありがとね、私もう元気だよ。今は自分の家から通ってるんだ。元彼は私の家なんて知らないから来ないと思う!」

 それは良かったと言うと、彼女はスマホを見て焦る顔をする。

 「これからバイトなんだよね、また会おうね!」

 そう言うと、彼女は走って行く。が、途中で引き返してこちらに走ってくる。

 「そういえばまだLINE交換してなかったよ、あんなに長くいたのにね」

 そういえばそうだね、と返事をして、LINEを交換する。

 「今度こそまたね!」

 次はちゃんと走っていく。彼女の靡く髪を見て、記憶とその匂いを不意に思い出す。ふと、ポケットにしまったスマホが震える、通知は一件。

 「あのさ、」

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