トリガーを引く【掌編】
今日も私はトリガーを引く。あなたの額に向かって。
非接触型体温計。拳銃のような形をしたそれを今日も握りしめる。
歯科医院の受付で働いている私は、感染症対策の為、受付の際に患者さんの体温を測っている。
このご時世だ。患者さんも理解を示してくれている。慣れた患者さんは、何も言わずとも、診察券を出すと同時に前髪をかきあげ、私に額を向けてくれる。
「撃つなら、撃てよ」
なんて言われているみたいだ。私はそんな患者さんの潔い覚悟に答えるかのように、体温計のトリガーを引く。
毎日毎日、来院する患者さんの額に体温計を向ける。この業務が当たり前になってから数か月。どれほど多くの患者さんの額にトリガーを引いただろう。
エラー音が鳴る。
体温計の調子が悪いのか、時々、うまく測れない時がある。そんな時は、額ではなく手首など他の部分で試したり、もう一台ある体温計で測り直したりする。
「歳のせいかしらねぇ」
エラー音が鳴り、測り直しをお願いした林さんが笑った。六十代の女性で、ここ一か月ほど通院している患者さんだ。気まずい空気を察し、気遣ってくれているのだろう。マスク越しに伝わる優しい視線に恐縮してしまう。
「体温計の調子が悪いんですよ。すいません」
「もしかして、私が怖がっているせいかしら」
「怖がってる?」
「ほら、拳銃の形みたいで怖いじゃない」
「撃たれるみたいで?」
「そうそう」
「私も毎日患者さんの体温測ってると、殺し屋みたいな気分になります」
つい、正直すぎる言葉が口からこぼれてしまった。
「やっぱりそうなのね」
林さんは何故かとても嬉しそうに声をあげた。そして、私も嬉しくなった。理解者を見つけられた気がして。
「あ、今度は大丈夫ですね。三十六・五度です」
もう一台の体温計で測定された正常な体温を読み上げる。
「うわぁ、撃たれたぁ」
林さんは額を押さえながらおどけてみせた。
母親くらい歳が離れているけれど、林さんとは親友になれるんじゃないか。そんな思いを抱きながら、私はトリガーから指を離す。
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