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安楽死について医療とは関係ないところで考えてみた

先日、ALSという難病を患った女性が、SNSで知り合った医師によって、安楽死のようなものをした、という事件が起きました。
ようなものと書くのは、これは安楽死といっていいのか判断が付かなかったから。ただ、彼女にとっては「安楽死」だったのかもしれないと思い、こういう表現にしてみました。


「安楽死」
それがいいものか、悪いものか、わたしはまだ自分の意見を決めかねています。

ただ、実はこれに隣接するようなことを2〜3ヶ月前からnoteに書きたいと思っていて、今回この記事を書くことにしました。


わたしには、102歳になるおばあちゃんがいます。
4年くらい前かな?特養に入って、今はもうほぼ寝たきり、というか眠りっぱなしの状態で、じんわりとその寿命を伸ばし続けています。
おばあちゃんは特養に入る何年も前からゆるやかに認知症になり、徐々に眠っている時間が長くなり、夢と現実がわからなくなっていきました。手取り足取りの介護はそれほどしないままに、運良く新しくできる特養に入ることができ、そこでやさしいスタッフさんにお世話になりながら暮らしています。
今は、会いにいってもほとんど眠っているし、呼びかけて起こしても寝ぼけていて「ん〜」「だれ〜」くらいしか返してくれません。意識があるのかないのかわからない状態。

そんなおばあちゃんを見ていて、ふと、今おばあちゃんは生きていたいと思っているだろうかという疑問が浮かびました。

おじいちゃんが生きていた頃や、わたしたち孫が小さかった頃は、常にやらないといけないことも、したいこともあって、紛れもなくおばあちゃんの人生を生きていたと確信が持てるけれど、認知症になり、昼も夜もわからないくらい一日中眠ってばかりいて、今はもう主な生活圏が夢の中であるおばあちゃんは、果たして今の自分を生きていたいと思っているのでしょうか。

実際にはそういうことを考えることすらできないようになっているのだけど、たとえば夢の中のおばあちゃんは意識がはっきりしていて、思考できるとしたら、このままの人生をただ引き延ばすように生きているより、もう次の人生に進みたいと思っているんじゃないかという気がして来たのです。

そりゃ、わたしたち家族はずっと生きていてほしいなと思っていますよ。会話にならないとしても、お金が掛かったとしても、生きていてほしい。
でもそれは、ある意味周囲の人間のエゴであるとも考えられるんですよね。
このことを考えていると、生きていることこそ素晴らしいという価値観さえだんだんと揺らいできます。


事件の被害者となった女性も、手厚い看護やケアにより、おそらくこの人生でできる限りのもっとも幸せな生活を送っていたのかもしれません。
それでもやはりALSは難病で、海外では機能回復した事例があるとはいえど、根治療法が見つかっていないのも事実。
常時見守りしないといけない、ご本人も周囲の方も本当に大変な生活だと聞き、周囲の人たちへの感謝やそこでの会話の楽しさと並行して、はやくこの人生を終わらせて生まれ変わりたいという気持ちが、心の中に同居していてもおかしくありません。
どれだけ良くしてもらっても、ALSに罹る前には戻れない。ALSでない状態になるには、この人生を終わらせるしかない、と考えてしまうのも、個人的には理解ができます。

わたし自身はまだまだこの人生でやりたいこともあるけれど、しょっちゅう過去にタイムスリップしたくて明晰夢を見ようとしたりしますし(急にオカルト。しかも見たことない)、この人生を一回終わらせて次の人生に行きたいなぁって不意に浮かぶこともあります。
とはいえ、それを実際に行動に移すことはない。
でも、もしわたしが難病になったとしたら、非科学的だと言われようともオカルトと呼ばれるものを漠然と信じているだけに、この思考は何歩も現実に近づく気がするのです。


ただ、それを今回のようにビジネスにするのは、「営業」できてしまう以上、問答無用で否定すべきだということは間違いありません。
前々回の自殺についての記事でも書いたように、死んでしまったら後戻りできない以上、やっぱりそれを他人が誘うような真似ができてしまうのは間違っています。どんなに最低でも、本人が自分の意思だけで決めなくてはいけません。
どんなに止められても、絶対に屈しない、後悔しないと言えるのなら、絶対にその道しかないと言えるのなら、もしかしたらそれこそが本人を救う唯一の方法と言えるのかもしれません。


ただ、一つ言えるのは、きっと彼女は介護やケアをしてくれた周囲の医療スタッフさんたちに感謝をしているだろうなということ。
それと死にたいと感じたことには関係なんかなくて、その優しさにつらくなることこそあれど、してほしくなかったとか、そのせいで死を選んだということは、きっと無かったんだろうと思います。
今はお辛いと思いますが、自分を責めないでほしいなと願います。


「安楽死」
それがいいものか、悪いものか、わたしはまだ自分の意見を決めかねています。
でも、したいという気持ちだけは、何らかの形で尊重してあげられたら、それもひとつの道なのかなと思います。

難病なんて、この世からなくなればいいのに……。


[関連note]


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