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私は、推しになりたい。

という一説が出てくる短編小説を書いたことがあります。

『フジョシ先輩と推されない私』というタイトルで、大きな(事件/出来事としての)起承転結がない季節性会話劇のような作品でした。いわゆる冒頭に転がる死体というか、センセーショナルさに欠ける作品であることはわかっていて。そういうわけで、小説として何かしらの商業展開などがあったわけではなかったのですが、気に入っている作品です。

フジョシ先輩と推されない私 | 蛙田アメコ #pixiv

その代わりといってはなんだけれど、もうTwitterで知り合って10年になるフォロワーの宮本晴樹さんにお声かけを頂いて、2021年の秋冬に朗読脚本として上演されました。普段は小説やエッセイを書いているという都合もあり、自分の作品が「目の前」で誰かに届く瞬間を見たのは初めてで。そういう意味でも、思い出深い作品です。

こんな作品を書いておいてあれですが、私自身がかなり他人と自分の間にナイル川を横たわらせたうえで万里の長城を張り巡らせるタイプ人間でして、そういう意味で「推し事」に本当に心身を捧げて推し活をして泣いたり笑ったりしている人たちと同じ視座で語ることはできません。

そんな中で昨年、色々な巡り合わせがありまして「推される」立場になりました。ざっくりと言えば、ひょんなことからVtuberごっこができるアプリで配信するようになったのです。活動の中でそれなりにデカい額の応援を頂戴するという事態も起きたりして。基本的にはテキストベースで表現や発信をしてきた自分にとっては、目の前のコメント欄に「リスナー」がいらっしゃるのは新鮮でした。(ちなみに、前述の朗読公演を主催してくださった宮本さんと一緒にライバー活動をすることもありまして、それもまた摩訶不思議なご縁だなぁと思っています)

お金や時間などの人生の大きなかけらを、自分のために使われるというのは、嬉しさにせよ、怖ろしさにせよ、なかなかに心臓が震える事態です。だって、お前の応援のために使ったお金返せって言われたって返せないし、時間なんてもっと返せないし。ちなみにこれは余談ですが、「時間泥棒は返せない」という言葉を、よく小学校の担任が使っており、授業が延長したときに同じ言葉を返したらほうきでぶん殴られたのをやけによく覚えています。体罰がギリでまかり通った世代だったので。

前述の配信で知り合った方の中に、作家・蛙田アメコとしての活動を応援してくださる方も出てきました。少なからぬお金と時間を使って著作を読んで、作品内のレシピでパンを焼いてくださったかたなんていらっしゃったり。

パン焼く小説はこちら


眠れぬままに迎える朝が怖かった。ならば夜の間に朝食を作ろう
眠れない花が見つけた、朝を迎えるための食事とは?

家賃3万円、朝食付き。「朝ごはんは、みんなで食べること」。不眠症で仕事を退職した花は、葉子が営む朝食付き下宿「あすなろ荘」の大家代理を任された。だが住人は朝が弱い会社員の晴恵や人前で食事をとりたがらない鹿嶋など、癖のある人ばかり。揃わない食卓を前に投げ出したくなる花だったが、葉子から託された「朝ごはんノート」を元に朝食を用意するうちに、下宿の中に居場所ができつつあることに気づいて…。

二見書房HPより

私は推しになりたい。
本当に取るに足らなくて、怠惰でちっぽけでひどく傲慢な願いです。

自分が書く作品が多くの人に届いてほしいと願っているのと同じくらい、私は誰かの、あなたの推しになりたいと願っている。私はいつだってどこかフワフワしていて、自分の芯というものに乏しい人間なのです。それでも、私は誰かが楽しそうにしているのを見るのが好きだし、私の目に入る人たちには気分良く幸せに過ごしてほしいと思っていたりして(だってそのほうが、自分が傷つかないで済みますからね)。

「推し」というのは、推す側にとってもある種の自己表現の手段です。
だからこそ、「推し」が自分の思い描いていた虚像と違えば幻滅するし、「推し」がみょうちくりんな言動をしたり自分がその人を応援していたことを隠したり「推し変」したりもするわけで。

推してくれる誰かの顔に泥を塗りたくない。けれど、幻滅されるのは構わない。私たちはお互いにこのたった一瞬の「推しつ推されつ」の刹那を生きているのだから。いいじゃないですか、お互いに身勝手な幻を見ていても。私たち人間はそうやって、物語を食って生きていく生き物なんだから。

「推し活で日々を元気に過ごせる」という気持ちは、よくわかります。何かに夢中になることは本当に楽しいことだから。そのエネルギーは膨大です。だからこそ、取るに足らない怠惰でちっぽけで酷く傲慢な私だって、そんな私を推してくれる誰かがいてくれるだけで、その人が誇れる「推し」であろうと奮い立つことができるのです。

私を推してくれる君がいる、それだけで世界は彩を取り戻したのだ。
後輩が待っているから、今日も家に帰ろう。
後輩が見送ってくれるから、また即売会に行ってみよう。
(中略)
誰よりも楽しそうに――君が憧れるフジョシ先輩でいようって。そう思ったら、いくらだって人生は楽しくなったのに。

「フジョシ先輩と推されない私」より

だから、私はあなたの推しになりたい。
本当に身勝手なのだけれど、それは私が(そして、たぶんあなたが)どうにかこの今生を楽しく生きることに繋がるから。

あなたの一番じゃなくてもいいし、巨額の投げ銭もいらないし、24時間のうち大半を使ってくれなくてもいいし、神様みたいに信仰してくれなくていい、熱狂もいらない。それでいいから、どうか心のすみっこに、本棚の片隅に置いてくれたら、生活の断片の中に私や私の作品を思い出してくれたら、どんな形でも応援してくれる人がいてくれたら、どんなに幸せだろうと思っているのです。実際、作家として活動している中でも、趣味で配信をしている中でも、そういう奇特なかたにたくさん出会うことができました。なんとまぁ、幸運で幸いなことでしょう。どうか私が、そんな誰かの幻をまもれる自分であれますように。食っても食いきれないほどのデカさに育てますように。


(ここから先の有料部分は、いつも応援してくださる方に申し上げたいことと、「この記事を塩漬けにしている間に「推しを生け贄にする」云々という記事がTwitterというまな板にのっかっちまったぜ」という話が書いてあります)

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