蛙田アメコ(作家)
だいたい月2、3回更新。今までの記事のなかから、オススメエッセイをごちゃ混ぜでまとめたマガジンです。バラ売りしていた有料記事の一部が読めます。
【2021年12月31まで掲載→削除予定】「作家になるか!」と思い立ってから1年半。ほぼ日手帳を使って商業デビューしました。さらに半年後に第8回ネット小説大賞受賞でき、ありがたい限りです。作家デビューを考えている社会人の方はもちろん、複業の時間術としても。買い切り500円。デビューまでの①②は無料公開、記事単体は150円で全編読めます。こちらのマガジンを購入いただくと、シリーズ全てを500円で読めるようになる感じです。
小説家の蛙田アメコ(かえるだあめこ)と申します。ライトノベルの執筆のほか、シナリオ/エッセイライターとして活動しております。 ・経歴や実績一覧 ・連絡先 ・単価および納期 などをこの記事にまとめています。 (0)蛙田アメコってどんな人? ~小説やエッセイの仕事依頼はこちらから~東京は大田区蒲田とか羽田とか出身の小説家。ライターとして同名義でも活動しており、「ほっこり人情」「熱い友情とバトル」「ごはん」「溺愛」が得意です。 2019年2月に第5回オーバーラップWEB小説
蛙化現象という言葉がある、らしい。 「ずっと好意を寄せていた相手が自分に振り向いてくれた途端に、急に生理的に気持ち悪く思えてしまう」という意味なのだという。グリム童話『かえるの王子様』からとられたの言葉らしいが、あれは美女と野獣型の童話なので、なんともしっくりこないネーミングに思えてしまう。たとえツッコミが下手くそな人のたとえツッコミみたいな、何かズレた感じというか、居心地の悪さを感じる言葉である。個人的には。あくまで、私の感覚では。(こんなエクスキューズを連発しているのは
という一説が出てくる短編小説を書いたことがあります。 『フジョシ先輩と推されない私』というタイトルで、大きな(事件/出来事としての)起承転結がない季節性会話劇のような作品でした。いわゆる冒頭に転がる死体というか、センセーショナルさに欠ける作品であることはわかっていて。そういうわけで、小説として何かしらの商業展開などがあったわけではなかったのですが、気に入っている作品です。 フジョシ先輩と推されない私 | 蛙田アメコ #pixiv その代わりといってはなんだけれど、もうT
この時期だ。毎年5月頃。 夏の訪れを感じる、汗ばむ季節──味噌汁が、腐る。 冬というのはいい。 洗濯物を30分ほど放置していても生乾きの匂いになりにくいし、台所のコンロの上に置きっぱなしの味噌汁が腐らない。みんながちょっと元気がないから、自分の怠惰さが少しだけ許されたような気持ちになる。 大雪に見舞われる地域に住んでいる方々に向かって軽々には言えないけれど、冬が好きなのだ。 そして冬が去り、三寒四温を行ったり来たりして春を過ぎゆき、初夏になって半袖のTシャツが寝間着がわ
いつかこういう日がくることはわかっていたのだけれど、数年前から物忘れがはじまった。とにかく、なんでもんかんでもすぐに忘れてしまう。 会社勤めができていた日々の終わり頃、ずっと頭に靄がかかっているような感覚に襲われた。考えるのも、記憶するのも、喋るのも、読むのも書くのも思い通りにできない。あきらかに自分の脳みそが「変」だった。そんな状況になってから、記憶力や思考力が「濁った」ような気がする。読んだ本の内容や思いついた創作アイデアについて、すぐに忘れてしまうようになった。 私
Twitterアカウントが8つある。 イーロン・マスク事変により凍結してしまったアカウントを含めると9つ(もう使うこともなかろうと氷漬けにしている)。Twitterをはじめたばかりのユーザーが徐々に『わるいついったらー』になっていくさまを幾度となく目にしてきたわけであります。 あの、楽しそうだった人はどこにもいない。もう「廃墟」である。 切ない。とても切ない。 けれど、自らの心の平穏のためにも、そういう「廃墟」はそっとミュートないしブロック。普段生息しているアカウントでは、そ
大失恋であった。 そんじょそこらの失恋ではない、大敗北であった。 30分あたり99円、フードドリンク持ち込み自由。壁の薄い、音響の悪い、ヤニ臭いカラオケボックス。そこかしこから、ブンジャカズンドコ、ぼえぇ~と音が聞こえてくる。外は雨。冬の、冷たい、霙まじりの雨。暖房がよく効いた、カラカラに空気の乾いた狭いカラオケボックスの個室は、なんだか箱船みたいで心地よかった。午後5時54分のことだった。 「結婚ですか」 「そう」 「いつ?」 「卒業したら、すぐ」 「急ですね」 「こう
先週、流行病のワクチン四回目を打ってから記事の更新を忘れていました。もとより、有益なこともなければ、練り上げた文章でもない路傍の石ころみたいな記事ですが、今年はなんとなく毎日更新しようと思っていたので、また今日も書いてみようと思います。 日記というものが続いたことがありません。 夏休みの絵日記も、8月末頃から「こういう夏休みだったらよかったのに」と思いながら理想の夏休みの絵日記やら1行日記やらを創作していました。その後も、折に触れて日記を書こうとしていたのですが、とんと続か
昔、『詩のボクシング』という番組があった。 ボクシングリングの上で、2人の詩人が自作の詩を朗読して『どちらにより殴られたか』を審査員や観客が投票して勝者を決めるのだ。 お気に入りの番組だったけれど、同時に、 「な、な、なんて野蛮なんだーー!!」 と仰天していた。 だってそうだろう。詩も、歌も、唄も、たぶん暴力とは一番縁遠いところにあってほしいと願われ続けてきたものだ。暴力とは一番遠いところにあって、それでも失われない強さと美しさがあって、そうあってほしいと人類が言葉を得
もでもでふぁいふぁい、のふぁいでした。 左腕がとても痛いので、今日は資料読みなどをしておりました。昨日よく眠れなかったのもよくないのかもしれません。 金曜ロードショーは「思い出のマーニー」でした。劇場公開当時は外国児童文学独特の百合感だなぁ……というところ以外はピンときていなかったのですが、このたび布団の中で観ていたら、あらまぁ、なんて美しい映画なのかしらと涙が出てしまいました。 とりわけ映画内に出てくる家の内装が好きで目を奪われてしまうのですが、端から端まで美しいもの
パンツを脱いだ作品じゃなければ、嘘だ。 まことしやかに囁かれる創作論だ。 ようするに、「創作者の1番恥ずかしい部分を、欲求を、気持ち悪いところを作品に昇華できたものが勝つ」という話だ。 このことについて深掘りするつもりも、長々と書くつもりもないけれど、多くの成功者がそう言うのだから、そりゃそうなのだと思う。 とりわけ、物書きにはどうしたって、何を置いてもやらずにはいられない「悪癖の芯」みたいなものがあるのだと思う。「悪癖の芯」は自覚的にカマせば「作家性」なんて呼ばれるな
宣伝です。 新年早々に嬉しいことがありました。 ヨリフジ先生による『紅茶の魔女は今日もチートをひた隠す』(原題)のコミカライズ作品がゼノンコミックスさんより発売になりました。 Amazonのリンクはこちら。 少女漫画の系譜というか、華やかで躍動感のある画面にうっとりしながら見本誌を読ませて頂きました。そして── 百合です!! 百合なんです!!! ド直球の百合ですので、是非よろしくお願いいたします。
草津に行ってきました。温泉です。 昨年は体調が散々で、旅行どころか日常生活もままならない感じだったのと、なんといっても疫病の流行しているさなかであったので、友人と旅行なんて数年ぶりのことでした。(もちろん、いまも疫病は流行を続けていて余談を許さない状況なのですけれど) 温泉を満喫して本日自宅に帰ってきたのですが、雪の積もっている土地の寒さと都会の寒さはずいぶんと質が違うなと思いました。 積もった雪が何かしらの湿気を空気に放っているのかツンとして寒くて痛いのだけれど、空気に
昨年は自分史上であまりにも特異的にお歌を聴いて、そしてお歌を歌っていた。 たぶん、今までの人生での歌唱時間を2022年の半年で超えたと思う。そんななかで、たいそう気に入った曲ができた。 ヨルシカの『春泥棒』だ。 ヨルシカといえば、音楽ライターの満島エリオさんが書かれていた名作エッセイを読んで、えらく感銘を受けたのを覚えている。とんでもない書きっぷりの人がいたものだ。当然、彼女が書いたエッセイの主題である曲を聴いたことなんてなかったけれど。 無音と雨音、それから焚き火の
これは本当にただの日記というか雑記なのだけれど、まったくもって困った事に、おみくじに引き続いて占いも最悪の運勢を示している。 1月4日の昼下がり、10年来の付き合いがある友人が急に「今年は縁の切れ目のようなので、急に縁が切れたらごめん」とLINEをよこしてきた。当該人物のそういうところがわりと好きなのだけれど、さすがに面食らってしまった。だってその友人というのは、縁が切れてしまったら寂しいし、悲しい相手なので。 なんだなんだ、と狼狽えていたら、よく読むと「ゲッターズ飯田」
おみくじが凶だった。 正確に言えば、年越しホームパーティからもつれ込んで行った友人宅近くの神社でひいたレジャー感覚のおみくじは「末吉」で、三が日の最終日である本日、実家近くの七福神めぐり的なお参りの終着地である大きな神社でひいたセカンドおみくじが「凶」だった。 なお、2回もおみくじをひき直すのが神様に対して無礼者であるかどうかは諸説あるらしく、「その場でリセマラしなきゃOK」というのが通説である模様。とにもかくにも、「凶」のおみくじはひ弱なメンタルにくるものがある。ひきなお