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混ざり合う、星と水の煌めきと。


子どもの頃から、気づいた時には地元が、ふるさとが嫌いだった。

私が育った場所は小中学校まで徒歩30分、最寄り駅まで40分、電車は1時間に2本、ホームはひとつしかない。

家から一番近いコンビニまで歩いて20分。
ひたすら田んぼが続く平坦な道を誰ともすれ違わずに行くしかなくて
今はコンビニも増えたけれど何故かローソンは隣町にしかない。

遠足は毎年山登り。
学年が上がるにつれ登る高さが上がるか
隣町の山に行くか2択。

同級生のバイト先は大体イオン。
大きな道路沿いには飲食チェーン店が建ち並んで
半径5キロ圏内で一番お洒落な場所がこれまたイオンのスタバ。


そんな場所が嫌で
高校は県内の都市部に毎日1時間以上かけてバスを乗り継いで通学して卒業後は上京した。

東京は当たり前に発売日に店頭に欲しいものが並んでいる。(地元は2日遅れる)
時刻表なんか調べなくても電車は待っていればすぐに来る。
テレビで特集しているお店にすぐ行けるし街頭インタビューにすぐ出くわす。
ロケしていたりプライベートらしき芸能人も見かける。
個展やイベントも東京を中心に展開される。
空が狭い星が見えないなんてよく言うけれど場所を変えれば東京にも広い空は存在する。

そして夢や希望や事情を抱えた人々がたくさんいて自分が想像していた以上に多くの人の憧れる場所、それが東京なんだと痛感する。
東京は人が集まるだけに仕事に溢れているし夢の粒も細かい。
ただ、希望や事情を併せ持って集まる場所だからこそつまづいてしまったり、見失って行き場をなくした人、毎日に撲殺されて鉛色の服に身を包んで顔を殺して電車に揺られる人、所構わず怒りをぶつける人や行為をよく目にする。

街中に現れる芸能人に慣れるように心を無くした、無くさざるを得なかった人にもそんな景色にも自分自身も慣れてしまう。
そんな自分だけは正直蔑んでいた。
地元では感じなかった心の冷えだった。



コロナ禍や様々な事が積み重なり都会を捨てて地元に帰ってきて早数年。
どこにいても私は私だなあと思う。
どこかに行けば変わるはずだ、なんて淡い希望抱えて飛び出すけれど
どこにいても変わらない部分の方が多くて場所が何かを変えてくれるなんてすごく期待しすぎだ。私の場合だけど。
大きなきっかけや出来事があって人は初めて自分の置かれている立場に気づくしそれに気づきもしなければ住んでいる場所なんてあまり大差ないんじゃないかと。

でも地元の、実家周辺を車の窓から眺める度に、
ひとつしかホームのない駅で次に来る電車をひたすら変わることのない景色を見ながら待つ度に悲しい、切ない気持ちになる。

ふるさとがいくら夜空が綺麗で水が美味しくても
こんなに悲しい気持ちにさせるのはなんなのか。


東京に憧れ、疲れ、捨てたのにずっと私は東京に想いを馳せている。
もはや恋している。
何でだろう。あの汚いと綺麗が混濁した街の人に無関心なのに優しいところが好きなんだ。きっと。

地元が好きになれない症候群は不治の病らしい。
もっとラフに、愛せたらよかったな。

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