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予感

暇だ。とは言えこの世の中、「暇」なんて今やあるのだろうか。本を読む、テレビを観るなどに加え、今はSNSやサブスクなど多様な情報やエンターテイメントがあるのだから。
なんて、今や当たり前の話をしているけれど、でもそれってリッチな話だよなぁと思う。これらはすべて、お金で手に入るものなのだから。「貧乏暇なし」とは言うけれど、ある意味で「裕福暇なし」である。うーん。違うか。この言葉にするにはそもそも、「暇」の定義が違うのだろう。
それはそうとして、じゃあ私のこの「暇」はなんなのだろう。読みかけの本、録画して溜まっているテレビドラマ、途中まで観ているサブスクのドラマ。暇を潰そうとすれば、なんなりとあるのだ。なのにどれもする気にならない。故に暇なのである。なのに、暇なのである。
これについて、答はまだ解っていない。つまりこの書き出した文章に「結論」は見えていない。じゃあなぜ書いているのかと言えば、自己満足だ。というのも、唯一したいことが「アウトプット」なのである。無性に何かを書きたい。その衝動から今無心にキーボードを打っている。昨日はひたすらノートに文字を書いていた。
きっと私の中で何かが蠢いているのだろう。私の胸の中で、こそばゆい様な痒い様な、何かがもぞもぞしている。それが何なのか、頭や心に溜まったごみの様なくだらない何かなのか、それとも小さな生命なのか、それはさっぱり解らないけれど、それでもこうやってひたすらにアウトプットしているのは、この頃、太陽からきらきらした粒子が零れてくるからだ。そこから放たれた光が、私の眼の奥まで届く。心の土壌で蠢く何かが、ぴょこんぴょこんと芽を出す。それがいつか私の頭を突き抜けて、大きく花開く。なんて。そんなことを予感してしまうからだ。
これが春というものなのか。