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私に捧げるラブレター


文章を書く、ということは、私にとって最も簡単で難しい自己表現です。
そして私は「自分の思いを文字に起こす」その行為がとても好きです。
物書きであれば、当たり前のことかもしれませんが、改めてそう思ったのです。


昨年末の今年の抱負などを見ていただいている方はご存知の通り、新卒で入社した会社を何の計画性もなく退職しまして、現在絶賛ニートをしております。
新卒で入った会社は、惰性で決めてしまったところがあるので、今回はそうならないように、と少し用心しながらぼちぼち転職活動を進めていたりします。

私が仕事に求めるものは、高い給料でも待遇の良さでも会社の知名度でもありません。

「私がやりたいことができるかどうか」

これ一択。
「自分の人生なんだから、自分がやりたいことをやりきってから死にたいじゃないか」と思って25年間生きてきました。
そしてそんな思いが爆発して退職を決意した、という思い切りの良さも私は兼ね揃えているのです。(物は言いよう)


というわけで、惰性じゃなくて、
本当にやりたいことをやるために転職活動をしています。
といっても、私のやりたい仕事はなかなか求人募集をしておらず、本腰を入れるにもそもそも母数が限られているため、ゆっくり手探り状態で進めている状態なのです。


会社探しばかりしていても前に進まない、と思い、とりあえず気になっていた1社にポチッと応募。
そして応募にあたって履歴書と職務経歴書を作成することに。(当たり前)
昨年、在職中に一度転職活動をしていた時期がありまして(といっても1社のみの応募でしたが)、その時に履歴書と職務経歴書は作成していました。
特に誰かに添削してもらったりはせず、ネットで見つけた作成例を見よう見まねで作成したものでした。(職務経歴書に至っては初めての作成だったので、これでいいのか…?という疑問を抱きつつ作成していた記憶があります。)

以前作ったデータは残っていたので、それを手直しをすることに。
半年ほど前の自分の文章を改めて見ることになったわけですが、我ながらよく書けてるなぁ、なんて感心してしまいました。
文章に限らず思考においても私は客観性を重視しています。

「自分のことを自分の文章で客観的に書く」

職務経歴書の作成は、自分が行ってきたことをいかに客観的に書くか、そして自分の強みをいかに主張できるか、相手が求めるものを予想しその答えを文章として提示できるか、そういった客観性、文章力が試される場でもあるな、と感じるのです。

"経歴書"なんて響きを聞くだけで堅苦しくて面倒臭いなぁ、なんて思っていたのですが、「いざ書くぞ!」となった時、
「君の言葉で私が求める答えに結びつくような要素を用いて文章を書いてみろ!!!」
という挑戦状を叩きつけれたような気持ちになり、闘争心に火がつき、面倒臭いなんて気持ちは何処へ行ったのか、夢中になって書いていました。
文章自体はほとんど手直しするところがないほどの出来でしたが、見栄えだけ悪かったので、レイアウトを変更してみたらより完璧に近いものになってしまいました。


さて、普段noteで文章を書いている私ですが、noteの文章はいわば日記みたいなものです。
もちろん誰かに校正してもらうこともありません。
以前知人からの依頼で、記事を執筆したこともありますが、その時も、校正などはなく、自分の思うままに書いて終わりでした。
しかし、今回は、私の今後に関わることです。
いくら客観視できている自信があったとしても、残念ながら私が書いた文章は客観視したつもりで書いている主観的な文章なのです。自分のことを書いているので、なおさら主観的文章になってしまいます。こればっかりはどうしようもありません。私という人間の脳みそも心も一つしかないので、解決しようのない問題なのです。

というわけで、
私の書いたこの経歴書を添削してもらおう!と思い立ち、先日ハローワークに行ってきました。
実に大学生ぶりのハロワです。
(といっても大阪のハロワは初めてだったので、広さと利用者の多さにびっくりしました。)


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ところで、皆さんは自分の文章を誰かに添削してもらったことってありますか?

就活の時にESを添削してもらった、という経験はあるかもしれませんね。
ESも自己表現の場だとは思います。私が行っていた大学は学校指定のESの記載欄が狭すぎて、自己表現というより、いかに短い言葉で印象を強く残すか……という、コピーライター的要素を追求していた気がします。なので文章添削というより、単語のインパクト勝負!!みたいな感じで納得がいかないまま修正していた記憶があります。
そういった、自分が納得しない文章の添削、ではなく……

自分の言葉で思いのままに表現した文章を添削してもらった経験、ありますか?


私は、あります。

大学時、学科広報誌の編集員をしていたこともあり、添削作業は馴染みのあるものでしたが、一番印象深いのは、大学の卒論です。

私の学科は、日本語学や日本文学を学ぶ学科だったので、方言の歴史や日本語特有の表現だったり、古典作品や現代文学の作者についての研究だったり、とゼミによって卒論の幅はそれぞれでした。
私のゼミはというと、”表現・創作"に特化したゼミでした。
卒論は、創作(自分で小説を書く)か評論を選ぶ、ということで、私は迷わず評論を選びました。(ちなみにメディアミックスにおける表現の相違点というテーマで書きました。)
他ゼミの文学研究と異なり、”評論"というのは、自分で結論を導き出し、そこまでの道筋も自分で組み立てる、という、まさに自分の思いのままに文章を書ける、という、私にとっては執筆パラダイス!と錯覚してしまいそうなほどの至高極まりないものでした。
こんなこというと、卒論に苦しんだ人や評論家の方に怒られそうですが、
疑問を見つけてその結論をあらかじめ決めておく。そこまでの道のりは、自分の結論へと結びつくように上手く構築していくだけで、評論は出来上がり、なのです。
というわけで、書き出したら筆が止まらず、とにかく、とにかく楽しかった。そんな卒論が完成したのです。
(通常卒論は3年生から取り組むものでしたが、私は頭で道順を決めてから書くタイプで、実際に書き始めたのは4年の秋…というのはここだけの話……)

卒論は定期的に進捗具合を教授に報告をしなければならないのですが、報告時に行われる添削がとにかく楽しみで楽しみで仕方なかったのです。
どうしてかというと、メディアミックスを卒論のテーマにする前例がなかったので、教授も色々と調べてくれていたこともあり、添削の時には毎回新しい発見があったからです。

自分とは違う見方・視点。
それを聞くたび、
「あぁ私はまだまだ客観視できていないんだな」
と思い知りましたし、私では知り得なかった別の視点から見る方法を知れた喜びがとにかく大きかった。
そして、添削のたびに、平面だった私の文章に奥行きが増し色付いていく感覚に陥りました。

自分の文章。
つまり、私の自己表現がどんどん深みを増していくその様は、アルコールを体内に次々と摂取しているかの如く、気分がハイになって、もっと書きたい!もっと知りたい!と自分の探究心をくすぐるものでした。


人に見られてこそ、文章は成り立つ。
他者の意見を取り入れてこそ、文章は更に深みを増す。


私はそういった考えを持つようになりました。
人の文章を指摘するのって、とても大変じゃないですか。
文章を書く苦労を知っている人なら、簡単に人の文章、つまりその人の表現を卑下することなんてできないと思うんですよね。
仲のいい知人に私の文章を見せても、ありきたりなアドバイスしか出てこなかったりする。
私の文章を否定することは、つまり私を否定することでもあるから。
だからこそ、その時の教授のまっすぐな「これもいいけど、もっとこうした方がいいんじゃない?」「こういう考えもあるよ」という意見はとても嬉しかったのです。

しかしながら、大学を卒業して以降、添削をしてもらう、という機会がめっきりなくなりました。
本当に卒論ぶりの添削なのです。
私はほんの少しの不安と抑えきれない興奮を密かに抱いてハロワに向かったのです。

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どこであろうと人見知りを発揮する私は、パーテーション越しの40代くらいの優しそうな男性をちらっと一瞬だけ視認して、書いてきた書類をそそくさと渡しました。

まずは、履歴書。
こちらはまぁ学生時代に何度も書いたし、大丈夫だろう、とタカをくくっていたら、どんどん赤ペンで修正をされてしまいました。
西暦と和暦がごっちゃになってたり、なぜか中央揃いになっていたり、正式名称が抜けていたり……
自分が書く文章にばかり夢中になっていて、全く気づかなかった当たり前の間違いの数々……
書類を内心自信満々で渡しただけに、心の中で頭を抱えてしまいました。

「職務経歴書も見ていきますね。」
その言葉に、心の中で項垂れていた私はハッと我に帰りました。
「履歴書は、まぁ、仕方ない!私が見て欲しいのは職務経歴書!!」
と、謎に自信を取り戻し、職員の方が読む少し先の文を私も目で追いました。
改めて見ても、やっぱり我ながらよく書けてるな、と。自信は十分にありました。
数行読んだあと、書類に目をやりながら急に質問が投げかけられました。

「職務経歴書を書くのは初めてですか?」

「え、…はい。初めてです。」

どんな添削意見が飛び出てくるんだと、ワクワクしながら待ち構えていた私は、突然投げかけられたその質問に驚きました。
細かく言えば、一回見よう見まねで書いたものを再度添削して持ってきました!が正しい回答ですが、そんなことまで頭が回りませんでした。(というかそんな回答求められてない笑)
こんな質問をされる、ということは……
私が書いてきたこれは、経歴書という形を成していないのかも知れない……。
黙々と読み進めていく職員の方の様子を見ながら私はどんどん萎縮していきました……。
今までのワクワクは何処へ。。。


びっしりと書き上げられた書類を隅々まで読んでくれたあと、職員の方は一つ一つ添削とアドバイスをくれました。
まず、私の経歴書は長い、と。笑
(文量に関してはいくらでも調整できるので、それは良しとします…笑)

さて、問題なのは、
書いている内容について、です。


うーん、と少し頭を傾げて、私の書類を再度まじまじと見て職員の方は話し出しました。

「きちんと数字で表されていて、わかりやすくまとめてあるし……」


(さぁ、どんなダメ出しが来るのか!!)と、
私は再びワクワクして少し前のめりになりながら言葉の続きを待ち構えました。
遠慮なしの他者の意見!今の私に足りない客観的視点の補足ができる!新しい視点を知ることができる!実に卒論ぶりの文章添削!!
どんな辛辣な言葉が来ても私はそれを全力で喜んで受け取る準備ができていました。




「正直、内容に関して指摘するところはありませんね」






(にこーーーーーー!^^)
と、マスクの下で私は満面の笑み。笑

「そんなそんなー……」なんて謙遜は一切しません。ただ一言、「ありがとうございます!」と伝えました。

私は私が書く文章が好きだし、たとえ自称だとしてもライターである以上、私は私の文章に責任と自信を持っています。
割と自己嫌悪に陥りやすい自己肯定感の低い人間ではありますが、
それでも私は、
私が書く文章だけは、
自信を持って愛せるのです

だからこそ、自分が良いと思った文を褒められた時、素直に「でしょ!良いでしょ〜!!見る目あるね〜!」という気分になります。(何様…笑)

どんな否定の言葉が来るかと待ち構えて(ワクワクして)いましたが、予想外にべた褒めされてしまい、人見知り故の警戒心は一気に崩れ落ちていきました。


特に指摘も入らなかったので、逆に私から少し引っかかっていた言葉や文末表現について質問をしていきました。
「ここはこういうことを言いたかったんですが、これで大丈夫ですか?」
「ここの表現は不要でしょうか?」
「次の文への繋ぎとしてこの表現を用いていますが、効果的でしょうか?」

何度も言いますが、
私は私の文章が好きなのです。
他者の意見を聞くこと、新しい視点を知ることが好きなのです。
そして、好きなものに対する熱量は人一倍あるのです。

今までの寡黙っぷりが嘘のように飛び出てくる質問の数々。
我ながらよく舌が回るもんだと思いました。(優しく対応してくださった職員の方に感謝……)


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大学ぶりに、自分の文章を他者に添削(私にとっては査定)してもらう、という経験をしました。

就活をしながらこんなことを再認識するとは思わなかったけど、

やっぱり私は、文章を書くことが好きです。

言葉にならない思いや考えに見合う言葉を探して紡いでいく行程が好きです。

私の文章が、私の精一杯の自己表現である文章が、好きです。


そんな自信たっぷりに文章を書く私ですが、
大学時代の就活ではエントリーシートだけで何社も落ちました。
人より優れた文章が就活において有効か、社会において必要要素か、と言われると、決してそうではないのが現実です。
でも、たとえ短い文章でも、自分が創り上げた文章は、いわば私の分身であり、私が必死に生み出した赤子のようなものです。
そんな大切な私の宝物に対して、何回もお祈りの印を押される、ということは私にとって耐え難い苦痛でした。

今思えば、それでポッキリ心が折れてしまったのかもなぁ。
顔も知らない見知らぬ誰かに私の文章を否定されたみたいに感じてしまっていたのかもしれません。
「否定しても別に良いけど、私の文章がダメなら改善策を頂戴よ。じゃないと私は私のままじゃんか」と、思ってたりもした。3年前のことなので確信は持てないけど多分思ってた。


だから、私の文章を送ってお祈りされるだけの就活が嫌で嫌で仕方なかった。

あの時から3年経って、いまだに同じことを考えたりする。
結局何も変わってないなぁ、となぜか笑えてくる。
本当に我ながら頑固だなぁ、と笑ってしまう。




まぁ、結局言いたいことは、
「私は私の文章が好きだーー!」
ということです。

「noteを書く」という手段を選んだ人は、誰がなんと言おうが、もう立派なライターだと思います。
私は自分が必死に紡ぎ出した言葉や文章を愛しています。
だからあなたも自分の言葉を、文章を、愛してください。

「私は天才だな〜!わっはっは〜!!」くらいの能天気さがこの小難しい世の中を生きていくのにちょうど良いかもしれない。



さて、書類は送信したので、
お祈りされた時にまた心がポッキリ折れてしまわないように、
今からお祈り耐性をつけとかないとなぁ。
見知らぬ誰かに認められなくても、
私は、私だけは私の文章を愛しているから、大丈夫。
きっと、大丈夫。


私は天才だからね。わっはっは〜!




きいろ。


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