ファミレスの桃パフェと26歳計画(-31日)
先月。
たまたま寄った百貨店の催事でリトルプレス(ZINE)を手にした。
帰りにファミレスに寄ってお目当ての桃パフェを食べながらページを捲る。
どこの誰かも知らないいろんな人の人生、なんてことない呟き、記憶が綴られていた。
私は文章が好きだった。
言葉が好きだった。
言葉は刃にもなるし、盾にもなる。
見知らぬ誰かの背中を押すこともできるし、自分の背中だって押せる。
そして私はこのリトルプレスに背中を押された。
思い出させてくれた。
私は自分の心を言語化することが好きだったんだ、と。
思い返せば、自分で言葉を綴ることをしなくなって暫く経っていた。
原因を挙げればたくさんあるけど、どれも言い訳がましくて恥ずかしいしなんだかどの言い訳もしっくりこない。
私は私自身と向き合う決意ができた。
『26歳計画』
素朴なベージュの紙にきらきらと上品に輝く金色の箔で描かれたタイトル。
シンプルながら美しいその装丁に惹かれて私はそのリトルプレスを手に取った。
ぱらぱらっとめくって、短文集かぁ…と本棚に戻す。
私はショート作品が苦手なのだ。
そこからぐるっと売り場を回って他に惹かれた数冊のリトルプレスを手にし、再びこの本の前に戻ってきた。
初めて目にした時と同じように、
美しい…と思って『26歳計画』を手に取った。
タイトルの響きも、表紙のタイポグラフィも美しかった。
そんな風にぼうっと眺めていて、自分が今、26歳であることを思い出した。
(というのも、私は時々自分の歳を忘れてしまう癖がある。それくらい私にとって年齢はあまり重要でないということなのかもしれない)
前文のこの言葉にドキッとした。
私の"26歳"はどうだろう…。
特別なものだろうか……。
一周前は売り場に戻したそのリトルプレスを再び売り場に戻すことはなく、ドキドキした気持ちを抑えながらそそくさとレジへと向かった。
26歳である今、
私がこの本と出会ったのは偶然か、
はたまた運命か。
死ぬまで表現者であり続けたいと願った私が、自分の気持ちを言葉に昇華することを辞めていた私が出会ったこの本は、私にとってどんな意味を持つのだろうか。
26歳。
大学を卒業して4年。
社会人になって4年。
見知らぬ土地に住んで生活して、4年経った。
まだ4年。もう4年。
大学時代に過ごした思い出が詰まったあの場所での月日を、いつのまにか軽々と超えてしまっていた。
清々しいほどの真っ青な空に夏雲が浮かぶ。
じめっとした嫌な暑さが身体にまとわりつく。
どうやら今年の夏は例年よりも暑いらしい。
そんな8月1日。今日。
あとちょうど1ヶ月後。
私は26歳を終える。
そして1つ歳を重ねる。
26歳でこの本に出会ったこと、
それを意味のあるものにしたいと思った。
やっぱり自分の気持ちを言葉として残したいと思った。
26歳計画、ならぬ、26歳記録。
いや、27歳計画とでも呼ぼうか。
今日から言葉を綴ることを思い出すための1ヶ月を過ごそうと思う。
言葉を綴る、ということは自分と向き合うということ。そして、私自身を曝け出すということ。
27歳まで、あと31日。
いま一度、私は本当の私と向き合ってみることにする。
そんな記録。