マンガでわかる明智光秀

織田信長を真面目な常識人か光秀を冷酷な反逆者か解説。

 信長は、将軍足利義昭を立てて天下を統一しようとしていた。そのため、ある程度常識的な天下統一を目指していたため、真面目な常識人として信長をとらえている本です。残虐性についてはあったようでありますが、光秀も残虐行為を行っていた歴史もあるようです。

信長の比叡山焼き討ちは有名であるが、光秀も残虐行為を率先していた歴史もあるようである。信長の残虐行為も実際にあり、光秀は、最終的に自分のまかされた仕事の失敗があり、明智家(惟任)の存続が危ういと考え、謀反を起こしたという説にたどりついています。

 将軍が朝倉家に逃れていた時に、信長と将軍を取り持ったのは、明智光秀であり、この時50歳だったようです。その後、信長と義昭の家臣となったようであり、光秀が加わって以降の信長の戦いの解説がなされています。光秀が謀反を起こしたのは67歳で、信長にとっては一世代上の先輩になる計算になります。家臣というよりも違った目で見ていた可能性も考えられます。

マンガだけでなく、文書や図表の解説もあり、戦国時代の勢力図などをざっと理解するためにはいい本だと思います。


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