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包丁研ぎ師の静寂

「スーパーのスズキヤで、包丁研ぎやってたで。」仕事帰りの夫が言った。

その言葉で思い出した。「包丁の切れ味をなんとかしたい」と思っていたことを。トマトを切るとぐしゃっと中身が出てしまい、イライラしていた。

2020年の最後にやるべきこと。それは「来年に向けて刃を研ぐことだ!」そんな思いに駆られ包丁を手にした。月に一度、スーパーにやって来る。お店は明日もやっているらしい。キッチンペーパーで包丁をぐるぐる巻きにし、紙袋に入れた。

翌日、お昼過ぎにスーパーに向かうと、入口の畳一枚も満たないスペースに「研ぎどころ」があった。客の後ろに並ぶ。

研ぎ師のおじいさんがわたしを見て、困った顔で言った。

「あぁ、お客さんかい。今日はね、もう手一杯。いっぱい仕事が溜まっちゃってね。」

「え!そうなんですか。包丁、持って来てしまいました。」

「ん、整えるくらいならできるかもしれん。どれ、ちょっと見せてごらん。」

研ぎ師は包丁を取り出し、「ふむふむ」という感じで頷いた。

「これならすぐできるわ。ちょっと待ってて。」

「いいんですか?ありがとうございます!」

研ぎ師は70歳を超えている風貌だ。よく見ると左手が小刻みに震えている。「こんなに手が痙攣しているのに、研げるのかな…」と心配になった。

研ぎ師は震える手で包丁を押さえた。回転する研磨機。そこに絶妙な角度で刃を当てる。シュィィン……。刃のこすれる音。静寂。

回転研磨機を止め、今度は右側に置かれている砥石で研ぐ。

シャッ、シャッ……。静寂。

手の痙攣は高齢だからだろうか?一定の速度で指先が震えている。その指で刃を押さえる動作は一層ドラマチックに見えた。すごく鮮やかに、研ぐ。

「ほれ、これでよく切れると思うわ。」

「わぁ、ありがとうございます。生まれて初めて包丁を研ぐのを見ました。」

「そうかいそうかい、簡単にしかできなかったから、お代はいらないよ。」

「えっ、そんな申し訳ないです。」

「いいよいいよ、またごひいきに。」

そう言いながら、新聞紙で包丁をつつんで渡してくれた。

ごひいきに。なんだかいい言葉だ。「また来よう」と思える素敵な響き。この包丁を使って、今日も料理を作ろう。いつもの日常が少し、楽しみになった。

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