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帰省できなくて。

GoToトラベルキャンペーンの全国一時停止。それは「帰省NG」を意味する。家族と離れた場所で暮らす人々の、落胆した姿が目に浮かぶ。わたしもそのひとりだ。

この状況のなか「人生であと何回親に会えるか?」と考えた。


社会人になってから地元名古屋を離れ、横浜に暮らしはじめて10年経つ。わたしは一年のうち、お盆と年末、合わせて5日間しか実家に帰れない。「親の年齢-平均寿命×5日間」を計算してみたら、思わず声をあげてしまった。

「うそっ!合計3ヵ月しか会えない!」

今すぐ父と母に会いたい。でも、会いに行けない。ここ数日間、そのことで落ち込んでいる。

ふと、名古屋を離れる最後の日を思い出した。あれは、ちょうどこんな冬の時期だった。

・・・・・・

最寄り駅のタクシー乗り場に、わたしを乗せた車が止まる。キャリーケースをトランクから降ろすとき、母が運転席から出てきた。

「身体に気をつけてね。」

無理して笑う母の顔がゆがむ。母は淋しいのだ。親元を離れていく娘が心配なんだろう。

「うん、お母さんもね。」母の表情を見るだけで、泣きそうになる。わたしはそれを隠すように、助手席に座ったままの父に話しかけた。

「お父さん、お母さんのことよろしくね。いつも家族のことばかり気にして、自分の身体をかえりみない人だから。注意して見ていてよ?」

「んー。はいはい。…まぁ、身体に気をつけてがんばってな。」車の窓から手を振る父。目を合わせないのは、たぶん照れくさいからだ。

キャリーケースを引きながら歩く。少し離れたところから、振り返った。

わたしを見送りながら不器用な笑顔を浮かべる母。その後ろには車のなかでうつむく父。

小さなふたりを見て、また泣けてきた。ささっと手を振って、ぐんぐんと駅へ向かった。

・・・・・・

コロナが発生する以前から、こんな想いがあった。「大好きな家族と離れてでも、ここではたらく意味があるのか?」と。がんばってはたらく日々。それは父と母に会えない日々でもある。

親元を離れることは自分の意志で決めたこと。情報量の多い場所で自分を高めたい。そうを思ったからだ。

それでも、人にはいつか人生の終わりがやって来る。少しずつ身体が衰えてきた両親。誰よりも幸せでいてほしい。

今年の年末は「オンライン帰省」を計画中だ。ただZoomをつなげるだけではおもしろくない。一緒にオンラインゲームしたり、今年の思い出写真を紹介しあったり、4歳の姪っ子に歌を披露してもらったりと、いろいろ思案している。

特殊な年末の過ごし方になるけれど、「こんなふうに過ごしたね。」と、両親と笑える日が来るといい。そう信じて、今日もはたらく。

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