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祖母の死をそっと静かに悼む

2020年6月4日、祖母が他界した。

祖母は一年前に軽い肺炎を患い入院していたが、入院中に脳梗塞を起こした。そのあと半年間、ベッドの上で意識不明のまま苦しそうな呼吸を繰り返し、少しずつ小さくなって亡くなった。

実は、17年前の6月4日、奇しくも同日に祖父が亡くなった。「同じ日に逝くなんて、おじいちゃんが迎えに来たのかな」と思った。祖父母はとても仲のいい夫婦だった。

祖父は、歯医者に行く途中、信号待ちのさなか、直進車と右折車の衝突事故に巻き込まれた。2メートルほど飛ばされて、ほとんど即死であった。

近しい存在の死。人によって殺されたという怒りと悲しみが同時に溢れ、家族はすぐに立ち直ることができなかった。

祖母は、祖父の死について多くを語らなかった。葬式の日でさえ、泣きじゃくるわたしと家族の横で、祖父の遺影をぼんやりと見つめていた。ただ、静かに葬儀を見守っていた。

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その後、祖母とわたしはふたりで暮らすことになった。大学が自宅より近かったし、祖母には話し相手が必要だと思ったからだった。

ある日、寝床についていると、襖越しに祖母が祖父との思い出話をしてくれたことがある。「ふふふ」と笑いながらエピソードをひとしきり話したあと、「おじいちゃん、おもしろい人だったのよ」と言った。「知ってるよ」とわたしも言った。

それからも、祖母は事故を起こした加害者を罵ることは一切なかった。祖父の死を悔やむこともなかった。たまに思い出話をして一緒に笑った。祖母は家族のなかで一番前向きにみえた。


わたしが仕事で横浜へ移り住んだころ、祖母はリウマチで身体がこわばり、とても一人で生活できない身体になっていた。介護施設で生活する祖母にひさしぶりに会った。祖母の誕生日会に参加するための帰省だった。祖母は記憶がおぼろげになっているようだった。母から「おじいちゃんのことを忘れているようだ」と聞いていた。

しかし、家族とともにケーキを食べる誕生日会のさなか、突然祖母は言った。

「おじいちゃんが死んだこと以外、幸せな人生だったわ」

その場にいる全員が驚いた。そして、祖母にとって祖父は心から大切な人だったのだと知った。

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祖母の静かな悼み方は、祖父の「失われた家族への想い」からきているかもしれない。

祖父の母親は強盗事件に巻き込まれ、命を落とした。当時新聞に大きく取り上げられ、犯人が捕まるまで長期間にわたり特集記事が掲載されたそうだ。祖父は事件の新聞記事をすべてスクラップブックに収めていたという。

断片的な記憶を母が教えてくれた。「犯人が捕まったあと、警察と一緒に謝罪しに来たのね。その場ではなにも言わなかったのに、犯人が帰ってから、おじいちゃん、ちくしょうって泣いていたのを覚えてる……」

どんな気持ちを抱えていたのかは、もうわからない。祖父は優しい人だったから、亡くなった家族の無念と、ぶつけることができないつらさで苦しんだのではないだろうか。

伊集院静さんの本の中の一文は、祖父の想いを感じずにはいられなかった。

私の母は、私を育てる上でいくつかの約束を少年の私にさせた。
「もしあなたの目の前に、人を殺やめた人が捕縛されて、見せしめに大通を歩かされていても、決して石を投げたり、"人殺し"などという言葉を言ってはいけません。人間は何かの事情で人を殺めることがあるのです。それが大人になったあなたや、あなたの子供であることが必ずあります。人を悪く言うことは空にむかって唾を吐いているのと同じです。」『誰かを幸せにするために』伊集院静著 講談社

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祖母の葬儀の終え、母とふたりで祖母の自宅の整理に向かった。大学時代に過ごした場所からは、空き家の寂しい雰囲気が漂っていた。

古いアルバムを見つける。祖父が事件について切り抜いたスクラップブックだった。犯人が刑期を終え、保釈されたという記事まで貼ってあった。

この事件が、物静かで優しい夫婦に深い悲しみを落としたことは言うまでもない。それなのに、ふたりは人前で恨み言ひとつ言わなかったという。

耐えきれないほどの悲しみを抱えた祖父を、祖母は支え続けただろう。そして、突然の祖父の死をも、そっと悲しんだ。

ふたりの死の向き合い方は、夫婦として歩んできた絆なのではないかと思った。憎しみを言葉にしない、心の美しい夫婦だった。

わたしは、祖母の死をそっと静かに悼みたいと思う。


(記:池田アユリ)


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