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大切な人のことを、誰かに覚えててほしい

2021年春、桜が咲き始めた近所の小道を歩きながら、ふと思った。

なぜ、わたしは書くのをやめないんだろう?

ライターの仕事をしていると、知人から「好きなことを仕事にできていいな」と言われる。

でも、書くことが好きかと聞かれたら、そうじゃない。

パソコンに向かう腰は重いし、一文字も浮かばない日だってある。たまたま見つけた素晴らしい記事に恐れおののき「あぁ、もうわたしなぞ書く意味ないや」と打ちひしがれる……。

毎日インプットとアウトプットを繰り返さなければ、言葉を紡げない。書くことは奥深く、むずかしいんだ。正直しんどい、と思ってる。

それでも、なぜ書くことをやめないのか?

答えはひとつしかない。

個人的な目的を叶えるため、書く手段を選んでいる。

個人的な目的とは?


それは、「大切な人のことを、誰かに覚えててほしい」ということ。

わたしの大切な人……。

お父さんとお母さん、四人姉妹の妹たち。天国に逝ったおじいちゃんとおばあちゃん、親友だった愛犬。いつも隣で笑わせてくる夫。

それだけじゃない。

わたしを心から応援してくれる人たちが、たくさんいる。

わたしが応援したいと思っている人がたくさん、たくさん、いる。

そんな大切な誰かがこの世界に存在していることを、何千年、何億年経ったって誰かに覚えててほしいのだ。

そんなわたしなりの書く意味に気づいたのは、ずいぶん遠回りした末の、昨年のことだった。

・・・・・

2020年の1月、子どものためのダンススクールで、ある挑戦を始めていた。

本業である社交ダンス講師の仕事では、中高年の方にレッスンを行うことが多い。

もっと若い世代のダンス人口を増やさなければ業界全体が沈んでしまう。そんな思いに駆られ、自分なりに道を切り開こうとしたのだ。

キッズダンススクールの非常勤講師となり、横浜で3歳~5歳のクラスを担当することになった。

子どもたちは当然社交ダンスなんて知らない。知っているのは、アンパンマンとプリキュアである。

それでも少しずつ社交ダンスを知ってもらえたらと思い、子どもたちの喜ぶ曲に合わせてステップを考えた。教室の廊下で何度もレッスンの段取りを練習し、レッスンでは一人ひとりに目を配りながら懸命に彼らと向き合った。

しかし、行動とは裏腹に、わたしの心は疲弊していた。

自分の意志でキッズダンスの先生になったはずなのに、気持ちと行動が伴わない。自分らしさから、どんどんかけ離れていくように感じたのだ。

明るく振る舞っていたけれど、子どもたちに気持ちを見透かされているような気がして、毎日不安で仕方がなかった。

どうもおかしい。以前だって子どもたちに社交ダンスを教えていたし、そのときは心から楽しんでたのに。いったいなぜ……。

モヤモヤを抱えながら取り組んでいるうちに、気づいてしまった。

わたしはダンス界の未来を予測し、行動をとっただけ。

その未来には、わたしなりの目的がなかったのだ。

以前指導していた子どもたちは、みずから社交ダンスに興味をもって集まってくれた。妹のような彼女たちとダンスを楽しみたい。それがわたしの目的だった。

でも今回は違った。社会や環境を遠巻きで見ながら、仕事としての立ち振舞いから選んだ道だった。「社交ダンスを世の中に広めよう!」という風呂敷の中には、何も包まれていなかったんだ。

なんて愚かだったんだろう…。子どもたちに申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

そんな矢先の2020年4月、緊急事態宣言が発令され、キッズダンススクールは無期限休講となり、わたしの契約は終了した。


意味を見いだせないまま物事を取り組むと、何をするのも不安なのだと思い知らされた。どうしても叶えたいほどの意志が、わたしには、なかった。

そこから自問自答の日々が始まる。

わたしって、いったい何がしたいの? 

・・・・・

真っ白なノートに、30数年の人生を振り返った。

…そうだ。自分の意志で行ったことがひとつだけ、ある。


夏目漱石の『こころ』が載っていた高一の国語の教科書。

この作品の一部を学校の授業で読んだとき、鳥肌がたつほど感動したのだ。

教科書では物語の続きが気になるところで終わっていたので、すぐに本屋で文庫本を買った。その一冊を何度も読み返した。

登場人物の心情が伺える文章にマーカーを引いて、ページの余白に「どういう心境なのか?自分ならどうするか?」を書き込んだ。ほとんどのページが真っ黒になった。

それは、誰かに促されたわけでも、指示されたわけでもない。紛れもない自分の意思だった。

夏目漱石の『こころ』に惹かれたのは、

「大切な人のことを、誰かに覚えててほしい」

「ぼくのことを、あなたに覚えててほしい」

そんな想いを感じたからだった。

わたしは小説の中の登場人物に、そして夏目漱石に憧れ、共感した。


これからもわたしは何度も失敗して、書くことに迷うはずだ。

そのたびに心に刻もう。自分なりの目的がなければ、ものごとは続かないってことを。

個人的で、わがままな、わたしの目的を思い出そう。大切な人のことを、誰かに覚えててほしいってことを。

「だから書くのやめられないんだよなぁ……」

桜舞う春空を見ながら、そんなことを思った。

(記:池田アユリ)

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