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 小学校を休んだ日は外に出づらい。昼間は皆が学校にいる時間帯なので、外を歩いているとすれ違った人に訝しげな目で見られるかもしれないし、知り合いに会って「今日学校は?」と訊かれるかもしれないので非常に気まずい。体調不良で休むことが多いのでまず病院に行くこと以外に外出する理由がないが、まだ幼い私は玄関から親の車に乗るわずかな時間でも、近所の人に見られることにも抵抗があった。普通の人とは違うことをしていて、なんだか悪いことしている気分だったからだろう。某自動車メーカー元CEOが逃亡を図る時もそんな気分だったのだろうか。
 夕方以降になって体調が回復したとしても外出しづらいことに変わりがない。もし外で同級生とばったり出くわし、「あれ、今日休んでいたのにどうしたんだろう」と思われるのが心苦しい。小学生の私は、平日の昼間は知らぬ間に心までも拘束されていたのだと、今になって省みる。

 その気持ちは高校生の時まで続いた。まず高校生までは、平日の15時くらいまではどこも授業をしているので制服を着た人が出歩いているわけがないと思っていた。だが大学になって首都圏に移り、街を歩いていると平日の午前であるのに街を出歩いている高校生をよく見かけるようになって、「あの人たちはいつ学校行っているのだろうか」と疑問に思ったものだ。

 県内に私立高校が数校しかない私の地元での常識と都会の常識では違う。多種多様な科があり、自由にカリキュラムをそれぞれの高校で立てられている。慶應義塾の高校(どの学校だったかは忘れた)では夏休みは大学生のように2ヶ月設けられていて、非常に驚いた。だから別に平日昼間に街を闊歩していようが何を私が疑うことはない。

 大学生になってあまりに自由の時間が作られすぎて、高校生まで平日15〜16時まで身も心も学校に拘束されていた私は、急に野に放たれたようになり、新たな状況に対応できず堕落した。働くことや学校に行くことは大変で辞めたいと思うことがあるかもしれないが、自分が適度に拘束されて何かを行うものがあるということが一番楽で仕合わせなことであると気づかされる。これを自ら拘束し、その日のToDoリストを作成して、どこにも、誰にも拘束されることなく目標に向かってやり遂げることにはかなりエネルギーが必要だと、常々感ぜざるを得ない。
 

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