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【*必読*】アイルランドWWOOF体験記。どうしたら人間は幸せになれるの?


アイルランドからこんにちは!
3ヶ月間のヨーロッパを巡る旅が始まって、約半ヶ月が経った今。。

今回はここ、アイルランドの首都ダブリンからバスに乗って1時間の場所にあるMeath(ミーズ)県にWWOOF(ファームステイ)にやってきました!


今回の舞台は、Meath県のEnfield(エンフィールド)という小さな村。
とある農場で、1週間滞在させてもらいました。


率直に言うと…


今回の記事は、私が本当に本当に伝えたいことで埋め尽くされています。


私は、この記事だけは、本当に本当に心の底から、いろんな人に読んでほしい。




なぜなら、私が今まで探ってきたことの色んな答えがここにあるように感じているからです。


なんでこんな、奇跡のような出会いがあったのだろう。
私の人生に、こんな出来事が待っていたなんて。




ではでは始めます。
私がアイルランドで過ごした、魔法のような1週間について。


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・・・

4月12日早朝。
ホストと待ち合わせのため、私たちはバス停にいました。


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今日から始まる新しい生活へのわくわく感を胸に抱きながら、私たちが一番気がかりにしていたこと、それは…


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ということ。この記事で書くのは、アイルランどWWOOF2軒目での滞在記。

その日まで滞在していた1軒目のホストには、恐ろしいほどやんちゃな子犬がいて、私たちの服はドロドロのベチャベチャ。


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ここでの滞在記は前回の記事より。


そう、1軒目のwwoofを終えた私たちは、土まみれの生活にすっかり慣れ、日本にいる時とは比べものにならないほどうす汚い女の子たちに変身していたのです!



「それにしてもさ、汚さにも限度があるよね。。。」
「新しいホストがすごくきちんとした人で清潔好きだったらどうしよう…!」


と杏ちゃんと2人、不安に思いながらバス停に立っていました。



ふと。

遠くからボヘミアン風の音楽が聞こえてきました。
その音はだんだん近づいてきて…



どうやら車のスピーカーから流れている音楽みたいです。にしても爆音…
犯人と思われる車が視線の先に現れました。


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銀色の、ボロボロの乗用車。
その車はだんだんと近づいてきて…私たちの目の前に留まりました。


ま、まさか。。。




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底抜けに陽気で声が大きくて、笑顔にあふれたおじさんが登場。


そう、彼が今回のwwoofのホスト、Simon(サイモン)さん。


今思えば、のっけから彼の世界観満載の出会いだったなあ。。。



「よく来てくれたね!さあっ!!乗って乗って!!!」

彼に促されるまま車に乗り込むと、、


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清潔とか不潔とか、既存の概念の範疇を超えたそれはなんというか…
全く未知の体験、想定外の出来事!
ま、私たちが汚すぎるのではないかという心配は一瞬にして消え去ったわけで…
とりあえずはひと安心。(なのか…?)


家までの道のりでの車中は、大音量の音楽と陽気なおしゃべりが鳴りっぱなし!
サイモンさんは日本文化のこともよく知っていて、この時間だけでもいろんな話をしました。

禅の話
宗教の話
日本の自然の話…

えっ、そんなことまで知ってるの!とこちらがびっくりするくらい、彼は知識豊富な方だということがわかりました。



「日本!なんて美しい国なんだ。自然豊かで人々は親切で…君たちに会えて、僕は本当に嬉しいよ!」





車を走らせ15分、農場に到着!まず私たちを出迎えてくれたのは、


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そして奥に続く、ここが、ホストのお家です。


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私たちをキッチンに招くサイモンさん。


「さあ、入って入って!
お腹空いてる?今朝パン焼いたけど、食べる?
食べて食べて!コーヒーと紅茶どっちが好き?
自家製バターもあるし、オーガニックのはちみつも採れたてのミルクも!パン切ってあげるから待っててね!えっとナイフナイフ…」





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「君たち、この家にあるものはなんでも好きに使って、好きに食べてね。
自分の家のように感じてもらっていいんだよ!」


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うーん、なんだか分かってきたぞ、サイモンさん。


彼はアイルランド西部の農家に育ち、約30年前にこの地に移り住んで農業を始め、5人の子どもに恵まれたと言います。

奥さんを10年前に亡くし、今はこの農園で2人の息子さんと暮らしています。


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家に隣接する農場には、牛が6頭にロバが1頭、鶏が20~30羽に豚が2頭、裏庭にはアヒルが約10羽と、1匹の猫がいました。


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軽食を済ませ、さっそく畑作業のお手伝い。

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全く…。彼と言ったら、ゆるいというか楽観的というか細かいことは気にしないというか…。

ここに来て、私たち日本人はいかに「神経が細やか」な民族かということが感じられました。

何を任されても、完璧に、出来るだけ見た目良く完成させようと思える。当たり前と思っていたことが、実は他国の人たちが身につけ得ない、かなり特殊な「能力」だった!




夕方、市場に出かけた後は、買ってきた鱈(タラ)の切り身を使って夕飯作り。

「好きなもの使って、自由に作ってね!!」

とサイモンさん。


「バターや野菜はいつも冷蔵庫にあるし、ハウスに行けばレタスやルッコラ…
何でもあるからいつでも好きに取ってきて食べてね!鱈はフライにする?グリル?バターで焼く?それともココナッツオイル?オリーブオイル?ニンニクと焼く?なんだっていいんだよ!君たちの好きに作って!!」


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お分かりですか。
もうほんっとに、1週間ずっとこの調子だったことが。


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この言葉、何回聞いただろう。。。

このサイモンさん、とにかくなーんでも褒めてくれる。



魚を焼けばGreat!
レタスを植えればBeautiful!
床を磨けばAmazing!




レタスを植えた時なんて…

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まあ、ノリが軽いと言ったらそうなのだけれど笑
とにかく、相手を“肯定する”言葉で溢れているのです。

「いただきまーす!」
杏ちゃんと私、声を揃えて手を合わせてから、食事を始めました。


「Wow........Lovely!!」

出ました、本日20回目のラブリー。


「なんて美しい作法なんだ。えっと、なんて言ったの?それは、なんていう意味?君たちの宗教と関係あるの?」

「いただきます、って、食べ物に対して祈りを込めたあいさつです。宗教とは特に関係ありませんが、日本の習慣の一つなんです。」

「Wow, beautiful...!」



前のホストでもそうでしたが、食べる前の「いただきます」には本当にびっくりされますし、素晴らしいと賞賛されます。

宗教を特に意識しない日本において、こういう習慣が強く根付いているというのは、特別なことなんだなあ、と感じました。


そして英語にうまく翻訳できない、とても特殊な言葉です。大切にしたい文化。


・・・



夕飯の最中に、息子さんのKeith(キース)さんが仕事から帰ってきました。
20代の青年。落ち着いた雰囲気の彼は、サイモンさんとは顔立ちも喋り方も少し違う。

一目見ただけでは今どきの若い男性だし、本当にこの人が、土と動物たち囲まれたこの農場でサイモンさんと同じ暮らしをしているとは考えられませんでした。

はじめましてのあいさつをし、簡単な会話をしたあと彼は、

 

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と言って、マリーの元に駆け寄った。
そしてこれでもかとばかりに身体中を撫でて、マリーに話しかけている。


…サイモンと似てる。
 


もう溢れ出るばかりの愛情の表現!!
やっぱり親子だ。

愛に溢れているなあ…この家族は…と想いながら、じっと彼を見ていると、、、




ふと、彼は一瞬、しゃべるのをやめてマリーを見つめた。



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たぶん、人生を変える瞬間って、こういうふうに不意にやってくるんだろうな。



私はこの瞬間がどうしても忘れられない。


だって、その時のマリーを見つめるキースさんの瞳は、こんなに優しい瞳がこの世にあるなんて…というほどのそれは…たぶん絵なんかじゃ全然伝えられない…


それは、私が今まで生きてきた世界が音を立てて崩れ去っていくような、人生が塗り替えられるような、大きな瞬間でした。


人生の転換点をひとつひとつ挙げるとしたら、私は間違いなくこの瞬間を挙げます。

人は、あんなにも優しい瞳をして生きることができるのだということに、ある意味、「大きなショック」を受けた。


こんな笑顔ができる人がいるんだ。




今まで見たこともないような、大きな愛を携えて生きている人がいる。



人生を揺るがすような衝撃を覚えました。
それほどあの笑顔には、何かがありました。


・・・



夕食後は、ダラダラとおしゃべりを続けながら、音楽演奏や読書など。サイモンさんはソファーに腰掛け、ワインを少しずつ飲みながら、朝食用のパンケーキミックスを混ぜ、ウトウトしていました。


「新鮮な卵とミルクで作ったパンケーキは美味しいよ。明日、食べてね。」


とサイモンさん。

気づくとその日、サイモンさんは家事のほとんどを自分でやっていました。農園の世話に加え、洗濯物や掃除まで。。
そして私たちの朝食のことまで考えてくれて。疲れているだろうに、ありがとう。




ろうそくに照らされて薄暗い部屋の中、取り込んだ洗濯物が積まれている椅子や、いつもきちんと仕舞われていない鍋の山を見渡して、ふと…


この家にお母さんがいたら、ここは、今より少し違ったんじゃないか、なんて思ってしまいました。





そりゃあ、そうなんだろうけど。

10年前に亡くなってしまった、お母さん。


この家に、その悲しみはどれくらい残っているんだろう。


なのにどうしてあんなに優しく笑っていられるのだろう…。




夜の静かなこの部屋に沈む、悲しみの破片が少し痛かった。

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翌朝。
作業前の朝ごはんは、パンケーキ!
日本で食べるものとは違い、クレープ生地のように薄いパンケーキでした。ここに、レモン果汁やメープルシロップをかけて食べます。


これが、目がさめるほど美味しい!!!


何もかけなくても美味しい!なんでこんなに美味しいの。杏ちゃんとふたりで、本当にびっくりしてしまいました。
原材料が違うんだろうな。牛乳も卵も新鮮そのもので…でも、こんなに違うんだ…


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朝食後は、昨日に引き続き畑の作業。

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サイモンさんはしょっちゅう顔をのぞかせ、

「Lovely!」

「疲れたらいつでもコーヒーブレイク取ってね。」


といつもの調子。


・・・




日中、この家にはひっきりなしに色々なお客さんが訪れました。

ジャムの差し入れを持ってきた近所の人に、遠くから卵を買いに来た人…

またサイモンさんは「Social Farm」という慈善活動を副業として行なっていて、障害のある人達に農業体験をさせたり、動物と触れ合ったりする場所としてこの農園を提供していました。

そのため、ほぼ毎日日替わりで施設から訪ねてくる人がいました。


すると必然的に、午後はみんなで長い長いお茶会!




手作りのスコーンやパンケーキとコーヒーと、食後は会話や詩の朗読や音楽の演奏会。

「さあ!お茶の時間だよ~!」
と呼ばれればそこから3時間でも4時間でもみんなと時間を共有しました。


・・・とても楽しくて、私はすごくリラックスしていた。


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柔らかい午後の光と薄暗いテーブルと温かいコーヒーととれたてのミルクと楽しい会話。

みんながこの家に集まるだけで、みんなが同じ時間を一緒に過ごして、こうして同じ部屋にいるだけで満たされている気がする。

とれたての野菜や、サイモンさんが作ってくれたスコーンがあるだけで、この上ない幸せを感じることができる。

こんな時間が過ごせるなんて…。

なんでこんなに幸せなんだろう・・・。




真の幸せって、ほんとにシンプルなことなんだと感じた。


時間がゆっくり流れて、
側に誰かの笑顔があって、
新鮮な食べ物があって、
それだけで、、、というかそれこそが、私たち人間を真に満たすものなのかもしれないなあ。




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・・・


その日の夕食はチキンの丸焼き。
サイモンさんが絞めてくれたお肉です。
たくさんのハーブやにんにくやしょうがを詰めて焼いた、とっても香り高くてジューシーなチキン。


想像できるでしょう、それがどんなにどんなに美味しかったか!!!!笑



サイモンさんは、動物を殺すところを決して私たちに見せようとはしていなかったけど、食べものには当然の道のりがあるんだよなあ、ということは自然と考えさせられました。


当たり前のことだけど、この肉かつては生きていて、この庭で生まれて草や穀物を食べて育って、このサイモンさんの手で殺され解体され、オーブンで焼かれて今お皿の上にある。


ここでは、そのプロセスを考えずにはいられない。



当たり前のそのことに、私たちはいつもは蓋をかぶせることができてしまうのだけど。




日本にいる時、スーパーに行けば、殺されてもう肉になっている動物がパックに詰められて並んでいたし、生産者の手垢や土の破片がまったく付いていない、ピカピカの野菜たちが並んでいた。

でも本当は、それらは工場で画一化されたプラスチック製品のように作られたものでは決してなく、かつてはお母さんから生まれたり太陽の下で育ったりした、私たちと同じ「命」であったのだろう。


きれいごとを言ってるみたいだ。
ああ、ものすごく当たり前のことすぎてきれいごとだ。




当たり前のことが、よく考えると悲しい。
生きることは、残酷さと隣り合わせなんだよなあ。
そんなことは、みんなが知ってることだけど。
そこではその実感が違った。


・・・


夕食の時間には、毎日たくさんの会話があり、毎回何かについてディスカッションする時間がありました。

地球環境やライフスタイル、文学から宗教のこと、医療のことまで。

サイモンさんの知識は幅広く深すぎて、たまに、ディスカッションというより講義のような感じもしました(笑)



私は、今まで特にこの1年間にすごく考えてきたことがあります。


それは「人間はどうしたら幸せに暮らすことができるのか」ということ。



この疑問を追求することは、私が就活路線から外れた大きな要因でもあり、WWOOFを続けてきた理由の一つでもあります。

就活記は過去のnote記事より




ライフスタイルについての議論の最中で、私はサイモンさんに直球で聞いてみた。

「どうしたら人間は幸せになれるのか」と。



私はこんなふうに彼に聞いた。



「私たち日本人は、とても豊かです。豊かな物資があって、美しい自然にも恵まれていて、とても幸せなはずなのに、いま、何かが少しおかしくて、私たち一人一人が真に幸せかと聞かれたら、そうではない気がするのです。いい仕事を得なきゃとか、お金を稼がなきゃとかいう圧迫感がどこかにあって、ある意味、人生の意味を失っているかのようです。大きなテーマだけれども、私はあなたの意見が聞きたいです。どうしたら人間は幸せに生きていけるのか。」



すると彼は、まっすぐな瞳で、こう答えました。



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「人間の暮らしは、ものすごいスピードで変わりつつある。

伝統的な暮らしは失われ、仕事も農業も人間社会も、みな「組織的」に組み込まれている。


・・・でも、私たちはロボットか?

違うだろう。


私たちは、機械のように組織的に組まれたものに動かされているのではない。


人間たるもの、もっと「精神的に」生きるべきなんだ。



音楽を愛するように。アートを愛するように。

それはすごくシンプルなことなんだ。

生きることは、本当はもっとシンプルなことなんだよ。」



すとんと腑に落ちました。

彼自身がそれを実践して生きていて、そのことが、サイモンさんやキースさんの笑顔にしっかりと現れていたから。

精神的に生きること。。。

これを、愛と呼んだら簡単でしょうか。



彼らは動物や音楽や、そして彼らの過ごす時間や空間に大きな愛を捧げていて、私もここで、食べ物や、流れる時間や、彼らの優しさから、確かな「愛」を受け取った。


私たちはたぶん、生きている限り、生かされている限り、もっと生きることを謳歌していいし、人間の持ち得る最大限の「愛」に満たされて生きてもいいのだろう。


そう思わせてくれた。



私はサイモンに言った。

「私はここに来れて、本当によかったです。この素敵な家に来れて。」

「ありがとう。そう言ってくれてありがとう。この家は、僕の妻が、インテリアから農園の設計まで自分でイメージして作ったものなんだ。とても素敵なアーティストだったんだよ。10年前に亡くなってしまったけど・・・


彼女はまだこの家に生きているんだ。」



「僕はそろそろ寝るね。…おお、可愛い可愛いマリー!!!君たちも、おやすみ。あったかくして寝てね。良い夢を。」


彼はいつも、めいっぱいの言葉を使って、おやすみのあいさつをしてくれた。




サイモンさんが去った後のリビングは、いつもとても静かだ。


ろうそくが揺らめいていて、お母さんの写真がぼんやり照らされて、キッチンはいつでも片付いていなくて、水道から漏れ出る水滴が、一滴一滴と静かな音を立てて…


なんでこんなに優しいんだろう。
なのにどうしてちょっぴり悲しいんだろう。


悲しいと優しいは紙一重だ、きっと。




この家には、とびきり大きくて、目に見えるほどの確かな愛がそこかしらにふわふわ浮いている。


しかし同時に、大きな悲しみが流れている。


それは、この農場で行われている命の取り引きと全く同じことだと思った。


私たちは、生きていくためには何かの命をもらわなくてはいけない。


あの家では、自分たちの食べる食材を自分の手で植え、その手で収穫し、その手で育ててその手で殺めて…

その「生きる」ということの根本である「当たり前のこと」を包み隠さず自分たちの目の前で行なっているから、あんなにも、嘘偽りのない笑顔ができるんだ、と今になってそう思う。


あんなにも、人間が受け取り得る「愛」の大きさで満ち満ちていたのだと思う。



私は一所懸命に涙をこらえた。

愛も悲しみも、命を育てて奪うことも、ここではその全てを「生きることとして」受け入れているから、こんなに涙が出るのだと思う。



生きることは残酷さと隣り合わせで、悲しみと隣り合わせで、本当は、きれいごとだけでは済まないものなのかもしれない。


だからこそ、今目の前に「愛」のかけらがあるのだとしたら、それを目いっぱいに受け取ってもいいのだと思う。




生きている限り、生かされている限り、一人一人が、人間の持ち得る最大限の「愛」に満たされて生きてもいいのだと思う。



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誰しも、ここで暮らして彼らの愛の形に触れたのなら、人生というものの捉え方が全く変わると思います。



人生とは何かを成したり、しなければいけないことをこなすために与えられた“時間”ではない。


空間を誰かと分かち合い、
暖炉で温まった部屋があって、
喜びがあって音楽があって、
笑いがあって太陽があって、
動物にも森にも命があって、
人々には誰にでも必ず優しさがあって、
しかしそんな私たちも大地の一部でしかないということ。

ここにいると、そんなことが感覚的に伝わってきました。


愛か苦しみかを選ぶならば、この贈り物のような人生の中で、後者を選ぶ理由はどこにもないということ。



命を苦しんで生きる必要などどこにもなくて、私たちの人生は今すぐ、笑いや幸せな気持ち、リラックスした気持ちで満たされてもいいということ。


ここでは時間の進み方も、人生の意味も、全てに嘘がなくてまっすぐだった。



そしてあの家は、花瓶の底から階段の踊り場からろうそくの火先まで、そこかしこに愛が満ち満ちている場所だった。こんな生き方があるなんて。
本当に、人生というものの捉え方が覆されるような衝撃でした。


私たちは、きっともっと、もっともっと幸せになってもいい存在なんだ。
もっともっと、愛に則って生きてもいい存在なんだ。
そう思わせてくれる場所でした。


・・・



1週間が終わり、アイルランドを去る日が来ました。私はサイモンさんに聞いてみました。

「あなたが最も大切にしていることは何?」


私は、彼自身を一言で表す言葉を知りたかったのです。私もまた、そのことを大切にしていきたいと思ったから。



そして心の底で、彼の返答は、「愛」や「平和」、「精神」や「アート」…そんな感じかなあと予想していました。

しかし彼の言ったことは、予想とは全く違うものでした。それは…



「共有し、学び合うこと。」




「…誰かを招き入れ、空間や時間、食べ物を共有し合うこと。そしてお互いの良さを学び合うことが大切なんだ。

僕は君たち日本人から、食事の作法や、礼儀正しさ、丁寧さをとてもよく学べた。僕たちはこの人生という旅の中で、出会う人、一人一人から何かを学んで行くんだ。

人生には出会いがあり、そして、同じ時間はもう2度とは戻らない。川が流れて行ったら、その水はもう2度として同じ水ではないように、僕はもう2度とは戻らないこの瞬間や、人との出会いを大切にしているんだよ。」



私が彼から学んだことは数えきれないほどありますが、そんな彼でさえも、「他人から学ぶこと」が最も大切だと言ったのにはとても驚きました。

そして川の流れの話にも、思わずはっとしました。日本を代表する古典文学、鴨長明による『方丈記』の文頭と全く同じことを、彼は彼自身の人生観としていたからです。

こんなに離れた地で暮らす彼が、古代の日本人の考え方と似通ったものを持っているということに驚きました。


ああ、国や、宗教や、人種でくくる前に、
私たちとっくに地球人だったんだなあ。。。





私は、誰もが一度はあの家で1週間を過ごすべきだと心の底から思う。


それは日本人としてではなく、アイルランド人としてでもなく、ひとりの地球人として。

人類が共通して持ち得る、愛のかたちを知るために。


人生というものの意味と、まっすぐな角度から向き合うために。




そしてあんなに美味しい食事を、私はもう一度でも食べることができるだろうか。

あそこで学んだほどの大きさの愛を、私も携えて生きていけるだろうか。


贈り物のような魔法のような、夢の中の出来事のような。
私の人生にとって、とてもとても意味のある1週間でした。




最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

私にとって特に思入れのある記事。
伝えたいこと全てが表現できたか分かりませんが、あなたにとって何か想うところがあったら、ぜひ誰かにシェアしてくれたら嬉しいです。


きっと、今を生きる日本人が、密かに求めているメッセージがどこかにあると思うので…



最後に。『方丈記』鴨長明


ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。

流れ過ぎていく河の流れは途絶えることがなく、それでいて(そこを流れる水は)もとの水ではない。(河の流れの)よどみに浮かんでいる水の泡は、一方では(形が)消え(てなくなり)一方では(形が)できたりして、長い間(そのままの状態で)とどまっている例はない。この世に生きている人と(その人たちが)住む場所とは、またこの(流れと泡の)ようである。

引用:[http://manapedia.jp/m/text/1993]より




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