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●2021年2月の日記 【上旬】

2月1日(月)

あすの節分にそなえて子どもの保育園では豆まきの練習をしたと言っていた。子どもを迎えにいったときそう聞かされたわたしは「しまった、恵方巻の予約を忘れていた」とおもった。恵方巻がすきなのだ。予約特典の割引は受けられずとも、あす普通にスーパーに行けば買えるだろう。恵方巻のあの、いろいろ詰め込みすぎてつかみどころのなくなった美味しさがすきだ。口いっぱいに頬張って「よくわかんないけど美味い!!」ってはやくなりたい。子どももたぶんすきだとおもう。

2月2日(火)

節分。夕方子どもと連れだって恵方巻を求めスーパーに行ったものの、恵方巻は一本のこらず売り切れていた。未練がましく海鮮コーナー以外も見て回ったがやはりない。ぐずぐず言うわたしに子どもはしびれを切らして恵方巻を知らないままに「えほうまき買わない!」と怒りはじめ、収拾がつかなくなりスーパー2階の100均で塗り絵を買ってごまかした。それから商店街の寿司屋に行ってでんぶたっぷりの恵方巻を買った。やったね。

保育園で昼寝できなくて眠い子どもは家に帰っても不満げに泣いていた。恵方巻を向けるとむぎゅ…むぎゅ…と食べた。きげんがよくないためかひとことも発さずに食べすすんでいくのは習わし通りであるなあと感心した。恵方を向いてはいなかったけど。

間もなく子どもは布団で眠りに入りハッピーエンドだった。わたしもいっしょに完(寝落ちした)。

2月3日(水)

友だちとふたりで会ってゲハゲハ笑いながらおしゃべりをした。わたしにとっていちばんゲハゲハできる友だちだ。ありがたい。あまり品のよくない街で(池袋の悪口!でも好きだよ)品のよくない話をして盛り上がり、「こうでなくっちゃァ…」という感じに仕上がった。にこにこして帰った。

2月4日(木)

買い物をたくさんした日。ユニクロでさまよったあと無印もさまよってわかったのだが、わたしはどうもユニクロの陳列棚のあいだを歩いていると混乱してしまうっぽい。いつも目当てのものを見つけだすのにすごく時間がかかる。なにが正解なのかわからなくなり、そもそもなにをしにきたのかもわからなくなる。ベーシックなものを3点選ぶだけで1時間とか経っていておどろく。手早く買い物を済ませたい昨今なのに困ったやつだがどうしてもそうなる。ところが無印ではそうはならなくて、さくさく最適解をみつけて買い物かごに放り込んでいくことができる。きょうもてきぱきと買い物を済ませた。収納用品から衣料品までけっこう買ったけど15分も滞在していなかったとおもう。この違いっていったいなんなんだろう。陳列との相性なのかな。そういえば学生のときひんぱんに寄った深夜のドンキホーテでもよく混乱して立ち尽くしていた。スーパーにも立ち尽くすスーパーとそうならないスーパーがあったような。いま住んでいる地域のスーパーでは立ち尽くさずに済むから忘れていた。

ドンキホーテは混乱するとわかっていてしょっちゅう行っていたしなんなら若いわたしのパワースポットだったとまで言えそうなくらいだ。ユニクロも毎回立ち尽くすけど店舗を見かけると入っちゃう。だから混乱して立ち尽くすタイプの店を嫌いなわけではないっぽい。すごく疲れるのに。自分にとってたいへん面倒くさい性格をしている。

今回のユニクロ、
このコットンのタンクトップがすてきだった
肌ざわりがよくて色もたくさんある

2月5日(金)

子どもと出かけて、出かけた先でがんばった子どもがトミカ売場のある商業施設にいきたいと言うから、自転車でそのまま連れていった。トミカを1台買い(1台と言ったら1台だけ厳選するようになったからすごいと思った、これが3さいか)、レストランで中華。おこさまラーメンもおいしそうだったしわたしのしょっぱい炒めものもお酢をかけたら最高だった。自転車だからビールは飲まず。
さまざまな欲求が満たされた子どもは抱っこで寝てしまい、家に着いたあともすごく早くに就寝してしまった。

夜は酒を飲みつつクラブハウスというアプリでほとんど知らない人たちと話した。最新の流行に乗りつつそこで話していたのはミクシィのことだったからなんのことやらって感じだ。ゼロ年代にテキストサイトを運営していた女だからしかたない。なにテキストサイトって。ミクシィって。

2021年、ミクシィ存在します

2月6日(土)

夜中によく起きる子どもへの対応であまり眠れなかったからといって、朝は子どもを夫にまかせてひとりで寝つづけた。リビングからはずんだ声がきこえてきて、まどろみの中でこれいいなあとおもった。

ひさしぶりの歯医者に行けばさっそくの麻酔回。処置のあと唇から鼻にかけてしびれているのが「ははは、なんだこれ」って感じでおもしろかった。麻酔が抜けきる前にお腹が空きすぎてラーメンゆでて食べた。野菜と肉炒めをのせる最高の家ラーメン。子どももすごい量食べていて「やっぱりこれ最高だよね!」とおもった。土曜昼間の家ラーメン。

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2月7日(日)

友だちと親子づれ同士で会ってあそんだ。友だちの子どもってせいぜい2か月ごととかでしか会わないからコマ送りしたみたいに急に成長して見える。毎回。

子どもたちがまとまった会話をかわすところを今回はじめて観測した。感激だ。はじめて会ったときは会話はおろか、自分で座れないくらいの赤子たちだったのに。

記念すべきはじめての会話は
「プチポリ納豆おとしちゃってざんねんだったね」「うん」。

子どもたちはお菓子をたべ大人たちはコーヒーや酒をのんだ。温暖で快適な日ようびだった。

2月8日(月)

晩ごはんに豚ひき肉とごぼうのパスタを調理してけっこうおいしかった。和風味のやつ。パスタはだいたいなんでもありの世界で気楽だなあ。冷蔵庫・戸棚にあるものをなんとなーく炒めてなんとなーく絡めたら食べられるパスタが完成するんだからありがたい。夫は昔よく納豆パスタを作ったと話していたっけ。わたしはそれほど大好きな食材ってわけじゃないからやらないけど、たぶん、キムチとかでもいけるんでしょう?すごいよパスタ。パスタにかぎらず炭水化物食品のみなさんはだいたいなんでも受け入れてくれる懐の深さがすごい。なんでも受け入れる中でもいちばん合うのは脂!でそこはちょっと罪深いけど、いつもわたしどもを生かしてくれてありがとうございますの気持ちです。

2月9日(火)

風船といっしょに入浴した。「おふろはいんない」と言いはる子どもの説得をこころみる中で「風船もっていく?」と提案してみたのがきっかけだった。風船は先週誕生日を祝った装飾のなごりだ。子どもは「ふうせんおふろにいれてもいい?」とノリノリで運びはじめ、見る間に7個の風船を湯舟に浮かべてしまった。わが家の小ぶりな浴槽はぎちぎちになり「これ人間はいるとこある?」と思ったがすき間をぬって入ってみるとこれがなんとも楽しいのだった。子どもと風船を投げあったり、細く水をかけてみたり(風船に水を当てるとチャチな映画でマシンガン連射する音がする)して盛りあがった。風船と入浴なんてこんなこと、この子と暮らしていなかったら絶対にしなかっただろう。家に子どもがいるというのは、いろんなことがあるけれど、やっぱりなんだか豊かなことだ。風船の片づけをしながらそうおもった。

2月10日(水)

幼い子どもと行動を共にするとき、しょっちゅう自分にがっかりしている。10分に1回はがっかりしているかもしれない。理不尽であたりまえの子どもの理不尽にいらいらするたび、不寛容な声がけをするたび、わたしってこんなに自分の思い通りに事を運びたい人間だったんだ?とか、小さな子に対してもうちょっとましなものの伝えかたはできないのか?とか、また立派な大人ぶった言いかたしてるよ…とか。とにかく失望の連続だ。

わたしはやさしいおかあさんというやつになりたかったのだとおもう。だがもともとがやさしい人間ではないところに子どもとの関係でだけやさしい母親になるなんてどだい無理な話だった。それに、やさしくしようとかきびしくしようとかは大人側の自己満足でしかないっぽい。
いまわたしが目指すべきはSiriだ。Alexaだ。あの人たちは上から叱ったりしない。上からほめたりもしない。ただよく聴く。そばにいて、人の発信することを正しく認識すること、それを最優先にしてより添う。わたしも子どもにとってそういう存在を目指せばよいのでは…?という(謎の)光明がさした。今日。わたしはIQ2くらいで人工知能を目指す人間。


1月下旬 | 2月中旬


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