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●2020年11月の日記 【上旬】

11月1日(日)

子どもの幼稚園を受験する日がやってきた。

受験とはいっても保護者と本人とが幼稚園に出向いて願書をだして面接をするだけだが、何せはじめてのことだからどこまで身構えて・気を抜いていいものかわからない。緊張したまま眠って緊張したまま目が覚めた。
ちなみに昨日の夜に突然上がった子どもの熱は今朝になると奇跡のようにひいていた。いかなる不調の影も見られない。むしろ絶好調である。知恵熱みたいなものだったらしい。昨日は両親がばたばたしていたせいで知恵熱を出すくらい気苦労をかけてしまったようだが、今日はもう幼稚園に行くだけだから気楽にいつもの感じで行こう、と伝えると、子どもは「ようちえんにみんなであそびにいく」と理解したようでフンワリはりきっていた。

果たして幼稚園での面接はほとんど遊びであった。幼稚園側は子どもが遊ぶ様子を見ることに重きを置いていて、そのときの両親の声かけとかから親と子の関係性なんかもうっすら見ているんだろうなーという感じはした。それでもただ遊んで、軽い質問にいくつか答えただけでその場で入園許可証をもらえたときはわたしも夫も拍子抜けした。でも子どもがよその人に年齢をきかれて「えっと、2さい」と答えるところをはじめてみて感動したから満足だ。
面接室での堂々とした遊びぶりをほめたたえつつ、インドカレー屋に入って「みんなおつカレー」を食べた。

子どもの通う幼稚園が決まったことで、来年春からの生活のイメージが現実味を帯びてきた。先の景色が見えると少し安心して進んでいける。

11月2日(月)

子どもの服の相次ぐサイズアウトにより足りなくなった衣類を買いに夫が大きな無印に行っていた。フリースの羽織りものを買ってきてくれてそれっていうのが色もデザインも昨年まで着ていたものとまるで同じもののサイズ違いだから服も成長したみたいでなんだかおかしかった。着せられる子どものほうも違和感なく受け入れていて、新しい洋服とは気づいていないようだった。

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(フリースブルゾン。名品)

11月3日(火・祝)

子どもとふたり、電車に乗って川越に行った。見たい店があって行ったのだけれど、公園遊びに終始してしまった。公園には遊具もあるが小さな山があって、その斜面を登ったり降りたりすることが楽しくて仕方ないようだった。雨上がりの地面はつやつやで滑りやすくなっていたから何度も転んで、靴もズボンもどろんこで、でも笑顔だった。急斜面を木の根をつたって降り、降りたと思ったらまた登り、という2歳児にはアブナめの活動にも精を出していた。その際わたしには離れた場所にいることを要求して「おかあさんあっち!あっちっていったじゃん!」と泣いて怒った。「ええー…」と言いながら少し離れた木の影に隠れて見守り、(落ちたらスライディングすればぎりぎり頭だけは守ってやれるだろうか…)とシミュレーションしていたが、意外と落ちないので感心した。彼は遊具よりもこういう自然の(?)勾配を好むし適応も早いようだ。こんど高尾山に付き合ってもらおうかな。わたしもデビューだけど。
1時間以上もその小山で遊んだあと、へとへとになって(わたしだけ)下山するとねこがわらわらいた。ちっとも逃げないねこたち。子どもはねこがだいすきだ。じりじりと距離を詰めてそっと尻尾のつけ根近辺を撫でるあたり、玄人感がある。ほほえましく見ていると子どもがねこの口もとに小石を運びだしたのであわてて「ねこちゃんは石たべないー!」と制止した。それならばと今度はわたしのリュックの中のプチポリ納豆を要求してきた。プチポリ納豆は目下、彼のいちばんのお気に入りスナック菓子である。

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たしかにカリカリに似ているもんね……。(あげませんでした。しょっぱいし。)

子どももねこも輝いていたよい日だった。へとへとだけど。

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(子どもがプチポリ納豆をあげようとしたねこ)

11月4日(水)

あばれる頭の毛に縮毛矯正をかけてもらった。
これでしばらく快適に暮らせる。半年くらい。
多毛×くせ毛の民としては縮毛矯正は保険適用されてほしいなーとか雑なことを思っている。

11月5日(木)

所用で役所に行ったあと町のケーキ屋の喫茶室でのんびりした。ケーキはミルフィーユ。至福の時だった。

夕方、子どもをさそって「おかしのまちおか」へ。店のなかではそばにいてねとお願いしてみたら駆け回ることもなく、おかげで穏やかに買い物できた。ちょっと前までは店内を暴走する、会計を待てずに駆け出して道に飛び出すなど大変だった。あっという間に成長するんだなあ。

ハリボーのグミをみつけて「これおかあさんすきなやつだねえ!」と大きな声で何度も言い、ほかのお客さんを笑わせていた。恥ずかしいじゃん。

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(最愛のグミ・ハリボーゴールドベアー)

11月6日(金)

入園の決まった幼稚園に行って遊んだ。未就園児クラス。部屋で自由に遊べる時間が長く、子どもは自分の世界に集中していた。おもちゃが豊富にある場所でひとり遊びをするのがすきみたい。
反対に「みんなで集まって同じ活動をする」のは全くピンとこないようだ。教諭の号令で体操がはじまり、歌や制作などの活動にみんなが入っても、ひとりでずっと走り回っていた。
そういう子どもを見てしみじみ「わかる…」と思いつつ、いちおうは追いかけて「あっちで工作しようよー」と形だけ誘ってみるなどしつつ、わたしもへらへら過ごした。

11月7日(土)

「ストーリー遊び」っていうのか、おもちゃにせりふを当てはめながら動かしたりして話をすすめていく遊びかたを子どもがよくする。今日もトミカを走らせながらごにょごにょ言っているのをこっそりきくとトミカのせりふだった。
「あーっこのままだと落ちてしまうよーっ、落ちそうになっているー、だれかたすけてー」(ちがうトミカ登場)「ぼくは消防車ー、たすけにきたよー」「たすけてくれて、どうもありがとうー」
など、すべて小声で楽しそうにやっている。
わたしが子どものときもこうやって架空のキャラのせりふを声に出しながら話をつくって遊んでいたなあと思い出した。こんなふうに子どもを見ていてすっかり忘れたと思っていた自分の子ども時代が顔を出すことがあって、思い出すことの種類によっては胸がひりひりする。子どもが大きくなるにつれこの頻度は増していくしひりひりすることも増えるのかなと思う。

11月8日(日)

夫が作った晩ごはんがおしゃれでおいしかった。タンドリーチキンの味がした。

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11月9日(月)

仕事で神奈川へ。最近、神奈川の仕事が入るとうれしくなる自分がいる。わたしは神奈川県で育ったけれど神奈川に思い入れなどないとずっと思っていた。育った土地を離れて十数年経ついまになって「神奈川おちつくなぁ」とふつうに思う。育った土地にたいして肩肘はっていたところの力がやっと抜けたのだろう。この調子でいろんなことがいい意味でどうでもよくなっていくとしたら、生きるのはずっと楽になりそうだ。加齢に期待。

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(10代、あほのように通ったみなとみらい)

11月10日(火)

仕事のあと、家に自転車をとりに帰る時間がなく、身ひとつで子どもを迎えに行った。家まで自転車なら5分の道のり、子どもと歩けば30分だ。散歩にちょうどいいといえばちょうどいい。川沿いの道は車通りがほとんどないのもいい。
ところどころでいろんなものに興味をひかれては立ち止まり、進まない子どもを、散歩中の犬たちをだしにして誘導する。「あっちにわんちゃんいるみたいだよ」「わんわんどこ?まって、まってよー」で100M進む。たくさん走って犬に追いつくと犬の前にしゃがみこんで目線を合わせ、「何してんの?ねえ何してんの?」と執拗に絡んでいた。犬を連れた女性は優しいひとで、「お散歩してるのよー」「座ったわねえ」「ここでお友だちを待っているのよー」と犬に代わってひとつひとつ答えてくれていた。犬も女性も子どももわたしもみんなでベンチに座って夜風に吹かれたあと、解散した。家はもうすぐのところまで近づいていた。
また歩いて帰ろうねと話しながら帰宅した。


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