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生えてくると思っていた——性自認にまつわるひとりずもうの記録 1/2

0.出生

 わたしを妊娠していたとき、母はおなかの子を男児と認識していた。

 それは直感的なもので、なにも家に嫡男を欲していたとか女の子を育てるのが嫌だったとか、そういうことではないらしい。少なくとも意識的には。「お腹のなかにいるのは男の子」という強固な思いがただ母をとらえたのだという。
 占いをする知り合いが「生まれてくる子は男の子」と請け合ったことも彼女の直感を確信に近いものへと押し上げた。

 夫婦は生まれてくる男の子のための名前をじっくり、時間をかけて考えた。真剣に候補を出し合ううち、響きも画数も納得のいく名前が決まり、その名で赤ちゃんに呼びかける日をふたりで楽しみに待っていた。

 ところが出産が目前にまで迫ったある日の診察でのこと。母は医師から、胎児はどうも女の子らしいと聞かされた。

 父は大急ぎで女の子の名前をこしらえ、1986年の春の朝にわたしがお産婆さんの手で取り上げられたとき、アカリという名はなんとか間に合っていた。

 母も父も、エコーによる診察で「どうも女の子だね」と言われたからといって、生まれてみたら男の子だったという線もまだ捨てていなかった。が、生まれてきたのはわたし。女だ。
 夫婦が時間をかけて考えた男の子の完ぺきな名前はここで、使われないことが確定された。


1.幼少期

 両親、とりわけ母は、幼いわたしにこの経緯を繰り返し話して聞かせた。単なる思いこみと早合点の話である。しかし我が家では定番の語りとなっていた。男の子だったはずなのに、女の子になって生まれてきた子の話。

「おなかの中にちんちん置いてきちゃったのかもね」

 なんて、両親とも面白おかしく話しているつもりだったろう。幼いわたしはきゃっきゃと笑いながら聞いていたし、自分からこの話をせがむこともあった。

 でも母がふと「やっぱりあんたはあのとき(おなかにいたとき)男の子だったのよ」と言うとき、その調子や表情から、彼女にとって重要な意味を持つエピソードであるらしいことはわかっていた。父はともかく、母にとってこれは決して面白いだけの話ではなかった。

 わかっていて、わからないふりをして、無視して笑っていた。無視しきれなくて、わたしの混乱は静かにはじまった。


2.トーマ

 両親は使われることのなかった男の子の名前をもわたしに教えていた。
 幼いわたしは、「いま」「わたしが」いる家に男の子がいて、ここにあるおもちゃを使って遊んでいるところを想像した。そして母と父がその子に「トーマ」と呼びかけるところも。(わたしは今日に至るまで、その名前を漢字まで正確に覚えている。ここでは仮に『トーマ』とする。)

 生まれたのが男の子なら、わたしがトーマとしてここにいたのだろうか。それとも、わたしの意識は存在せず、トーマという子の別の意識がここに在ることになって、わたしはいないことになっていたのか。だとすれば今ここにアカリとして存在するこのわたしが、母と父の待ち望んでいたトーマをやっつけてしまったのか?

 知ったことじゃない、わたしには関わりのないことだ。そう思おうとして、思いきることができなくて、いつしかわたしはトーマと共にあった。トーマを飲み込んだ女の子として、内側にもの言わぬトーマを抱えるようになった。


3.男まさりな女の子

 折しもわたしはやんちゃなところの多い女児に育っていた。川遊びが好きで、岩場を跳びはねては得意げにしていた。木登りだって男の子たちに負けなかった。娘のそういう姿を見るにつけ、母はまた「やっぱりあんたは男なんだわ」と言うのだった。呆れているようでもあり、どこか嬉しそうでもあった。

 男だ女だというよりも、わたしのやんちゃな遊びぶりの大部分はどう考えても幼稚園由来だった。幼稚園で子猿としての教育を受けたのだ、木にも登るし水場にもおりる。しかし母にかかればそれもトーマのシルエットを映し出すことになるらしかった。そしてそんなふうに言われ続けるうちにわたしにもそんな気がしてくるのだった。

「おなかの中にちんちん忘れてきたんじゃない」

 そうかもしれない。

 周りの女の子たちが大すきなセーラームーンをわたしはすきにならなくて、かわりにダイの大冒険をバイブルとした。幼児期から気に入りのおもちゃは汽車とレゴブロックだった。スカートをはかなかった。たいていの男の子より背が高かった。


4.うたがい

 10歳のわたし、こんがりと日に灼けてひょろりと背の高い、ひざにすり傷のあるショートヘアーの女の子は考えた。

 なにかの拍子にちんちんなくしちゃうなんてことあるのかな。胎児ってよく知らないけどすごく小さくてもろいらしい。そういう生きものにはなんだって起こりうる気がする。ついてるはずだったものがないことになってしまうくらいのことは簡単に。わたしにもし、それが起きたんだとしたら、わたしの股って今、どんなことになっているんだろう? ほかの女の子とは違うものがついたり、ついていなかったりするだろうか。

 そう考えはじめたらいてもたってもいられず、そこを見ないではいられなかった。見たところで他の女の子のあそこをじっと観察したことがあるわけでもなし、較べることができるわけでもないのだが。それでもとにかく。
 わたしは自らの股に鏡をかざし、そして恐怖した。

 そこには女性器らしい部品もあったが、わたしの目はある突起にくぎづけになった。「前まではこんなのなかった」と怯えた。男性器が生えはじめているのだと思った。そのときのわたしが成長段階にあった女性器の『どれ』をそう思ったのか……はっきりと思い出せないのだが、「前まではなかった」と思ったのはたしかだ。


5.反乱

 思った。まだよく見ないとわからないくらいだけれど、これはどんどん育って男の子のあれになるだろう。トーマが動きはじめたのだ。いなかったことにされていたトーマが、この身体の覇権を取り戻そうとしている。わたしにはちんちんが生えはじめているのだ。

 鏡の上にしゃがみこんでいたわたしは姿勢をくずし、はだかの尻が床についた。目の前が一度、真っ暗になった。10歳の真剣さで「終わった」とつぶやいた。人生終わった、である。

 それでいてこの絶望は、深い納得感をもたらしもした。こんな日がくることをどこかで知っていた、と思った。わたしの中のトーマは年々、存在感を増しており、わたしの人生をこのまま放っておきはしないだろうという気がしていた。その通りだったのだ。


6.半端者

 正直いってわたしはずっと男の子になりたいくらいだった。どれだけ日に灼けていてもよくて、やんちゃをしても男の子らしく元気で済まされる。背が高いのはよいことで、かわいくないことではない。いつもくやしく思っていた。

 しかしわたしがうらやんだのは男の子の身体を持つ男の子で、わたしにはなんの間違いか、女の性器もついているじゃないか。使ったことがないから(使いみちがあるものという漠然とした認識があった)どれだけちゃんとしたつくりをしているものか、単なるはりぼてなのか分からないけれど、とにかく見た目にはついている。ここにちんちんが生えてきたところでわたしは本物の男の子にはなれないだろう。だいたい、生えてくるのがちゃんとしたちんちんとは限らないのだ。

 前にテレビでだったか、授業中の先生の雑談だったか、両性具有という概念をはじめて知ったときになぜかギクッとしたのはこのことだったのだ。遠くない将来にちんちんが生えきった暁にはわたしは両性具有になる。女性器のついた男の子になるのだ。男性器のついた女の子とは思わなかった。これはトーマの復讐の物語だから。

 わたしにはすきな男の子だっていた。告白する勇気なんててんからなかった。それにしてもこれからちんちんが生えてくる身としては、もういかなる恋の成就も望めないのだと思った。

 男性が男性をすきになる恋愛のかたちもあるということをわたしは知らなかった。子ども時代にそのことを大人から知識として授けられたことはなかった。男性をすきになる男性や、女性をすきになる女性は存在しないかのように扱われていた。存在するとしてもそれは変態行為としてだった。

 周囲の言うことをすぐに鵜呑みにし、自分の頭でものを考えない子どもだった。自分で考えないことは、基準を自分の外に持つということだ。わたしは簡単にぐらつき、思いつめた。女の子でいるのはしっくりこなくて、男の子であったらと願ったが、男でも女でもない半端者になるのは恐ろしかった。


7.月経

 間もなく月経がはじまった。
 月経を女の証と受け取って「ちんちんが生えてくる」という強迫観念はすっかり消え去ってもよさそうなものだが、わたしは両性具有の線で考えていたから生理のあることはほとんど慰めにならなかった。定期的に股から血を流さなくてはいけない上にもうすぐちんちんが生えてくるなんていよいよ正体不明の生きものになってきたなと、絶望に近い気持ちを抱いた。


8.希望

 男性器の成長とともに外見がますます男の子寄りになっていけば、もう女では通用しなくなるだろう。そうなればわたしはトーマを名乗ろう。本来そうあるべきだった存在に還れるのかもしれない、わたしは。やっと。
 それは女としての自分へのあきらめであり、未来への唯一の希望でもあった。

 これらの未来予想は誰にも話さなかった。親しい友人や両親にも。
 「そんなことあるわけない」と馬鹿にされるのを恐れたのではない。わたしには自らが男性器の芽を持っていることはほとんど確定事項であった。このことは誰に知られても、わたしの異端の身体は暴かれてしまうと思った。束の間であれ、隠しておけなくなるその日まではアカリとして静かに暮らしたい。そう願っての沈黙だった。

 この強めの妄想はわたしにとって深刻な問題であったが、と同時に、わたしの心が要請したものでもあったと今は思う。つまり「みんなと違うわたしでありたい」という願望を満たす手段としての作用をこの「男性器の芽」は持っていたのではないか。

「わたしには誰にも言えない秘密を抱えていて、実はわたしは女でもない男でもない異端の存在なの」。

 だから「男性器が生えてくる」というこの強迫観念はある意味でわたしを救ってもいたわけだが、思春期の渦のまっただ中にあるわたしには自らの心が要請した妄想に振り回されていることなどわかるはずもなく、日々性器を確認してはその日の来ることを恐れていた。


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つづく




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