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●2020年11月の日記 【中旬】

11月11日(水)

仕事用の写真を撮るために民族衣装を着た。東欧の花かんむりはかわいい。造花が頭の上でかさかさいう。かんむりと髪の毛のあいだにレースのリボンをはさんでのぞかせたらロマンチックなきぶんになった。着かざるのは苦手だが、数少ない好きな服や装飾品を身にまとっているときはなんだか護られているとか、そういう気持ちがする。

セルフタイマーで自分のポートレートを撮影するのは気楽だ。気楽でいいが、8割むっつりした顔で写る。むっつりポートレート。

11月12日(木)

仕事(絵画モデルの)での体勢がちょっとつらかったから、終わったときの解放感はひとしおだった。生きているなあと思う。つらいポーズは生の実感につながる。

仕事先に近いイオンでまた子どもの服を買った。わたしの服も。

子どもの迎えは夫が行ってくれた。その間に豚肉と青菜のおかずを調理、ふたりが帰ってきてほどなく晩ごはんにした。

11月13日(金)

友だち親子と大きな公園で待ち合わせて遊んだ。大きな公園の目玉である巨大遊具は改修中で使えず。フェンスで囲われた遊具のお城の頂上にたくましい大人たちが何人も群がって怒号を飛ばしあっているのはちょっときゅんとする眺めだった。試すためにすべり台をすべったりもするんだろうか、と想像してピースな気持ちに。

開放されているエリアにもじゅうぶんな数の遊具があり、子どもたちは次々と場所を変えながら遊び回っていた。友だちと話していて、すぐ道路に面してもいないので子どもをある程度自由にしてやれるところが大きな公園はよい、ということになった。子どもらを遠目に見ながら友だち同士の話ができるのも最高だ。

ひとわたり遊んだら子どもたちはおやつモードに入ったから友だちの案内で大きなスーパーに行って買い物をした。ガチャガチャコーナーでトミカの200円のやつをねだられて、いつもの高いトミカ(ロングトミカ)より断然安上がりなのが嬉しくて「どうぞどうぞ」と回してもらった。

予想以上にバラバラの状態で出てきた。パーツが多い。10個以上ある。細かい。とてもその場で組み立てられる代物じゃない。帰りは買いたてピカピカのトミカを握ってもらってスムーズに帰るつもりだったのにとんだ誤算である。子どものトミカ欲をすぐに満たしてやれず歯がゆいがここは帰るしかない。西松屋で買った菓子を渡してなだめてなんとか自転車に乗ってもらい、友だち親子と別れた。走るうち、子どもは自転車のうしろで眠ってしまった。自転車のうしろでくにゃんとしなだれる子どももピースである。

家に帰ってさっそくトミカの200円のやつを組み立てるとけっこう立派なのができた。わたしも子どもも満足だ。

11月14日(土)

サークルのときの友だちたちと高円寺・野方で昼から飲んだ。高円寺の1軒目、クラフトビールを出す店の飲み放題は凶悪だった。どれもおいしいから飲みすぎてしまう上に、クラフトビールにまぎれてどぶろくがあるのだ。飲み放題対象。そんなことされたら飲んじゃうじゃない。

つまみもどれもビールに合うおいしいやつだった。けしからん店(メロメロ)。どぶろくがレギュラーかどうかはわからない。

いい話を聞けたし、くだらない話をたくさんした。酒場はいい。酒場からはマイナスイオンが発生しているし酔っぱらいの友だちたちからもマイナスイオンが発生している。

11月15日(日)

小さなはさみを見つけたから子どもに持たせてみた。持ちかたを教え、刃に紙を当ててやるとパツンパツンと動かして無骨な紙吹雪を作った。

その紙片を使って子どもとわたしと夫と3人で制作をした。

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いっしょになにかをするのってたのしい。日曜日はみんなで工作をすることにしようかね、と夫とゆるく制定した。

11月16日(月)

銀行に行きたくないとか甘いものが食べたいとかじたばたしていた日中だった。洗濯物は干した。豆大福も食べた。あんこのお菓子は牛乳と食べる人。日が暮れてから明日の仕事の準備をして、準備した荷物は玄関に置いた。自分をわかっている。

保育園の先生が子どもの言語感覚の独特さをほめてくれて自分のことのようにうれしかった。
子どもはなんだかおばあちゃんみたいなしゃべりかたをすることが多い。「〜しましょうかねえ」「○○食べるかぃ?」とか2さいの顔で言うから大人の笑いをさそう。いろんな先生に「おしゃべり面白いですよね」と言われて、そのたびにそうなんですよ!となる。おかしみを分かちあえる人が家族の外にもいることがとてもうれしい。
今日も先生が「さっきもなにかすごく面白いこと言っていたんですよね…なんだっけ?忘れちゃったなー」と言っていたので大変気になっている。

11月17日(火)

子どもの保育園への送りは夫に代わってもらい、先に家を出た。玄関で夫と子どもに見送られるのは素敵だ。豊かなきもちで電車に揺られた。

仕事先は神奈川。更衣室で昨日えらんだカラフルな冬服を着てリュックに背負ってきたパンプスをはいた(パンプスで100歩以上あるけない人間)。それからわたしはおしゃれわたしはおしゃれと念じながらベレー帽をかぶった。ベレー帽って強いこころを持たないとかぶれない帽子なのだわたしには。

絵画モデルをしていると話したら夫の妹がプレゼントしてくれたロシアのベレー帽。この仕事をしていなかったらベレー帽をかぶることはなかっただろう。巫女服を着てお榊を捧げ持ったまま静止することはもっとなかっただろう。わたしはこの仕事を好きである。

今日は神奈川で2件の仕事をはしごして服もたくさん脱ぎ着したのでくたくたになった。さぞかしビールがしみることだろうと思われたが、晩ごはんのときうっかり飲むのを忘れてもう子どもと布団に入ってしまったから起き上がれないだろう。むねんだ。

11月18日(水)

保育園を出るときの子どもとの攻防が激化している。はだしで玄関を駆けまわる、園の立ち乗りカートに乗りこんで横たわる、柵にかじりつくなどして一向に帰ろうとせず、逃げ回る。わたしが追い回すのを楽しんでいるようすなのだ。子どもを追い回すときのわたしはどうも面白テイストになってしまう。なんだかわたしはいつもわちゃわちゃしていて威厳がなく、そして威厳は後付けできないっぽい。そういえばかつて学童保育でアルバイトをしていたとき(10代)も子どもたちにまったく指示などをきいてもらえず小学生5人がかりでプールに沈められたりしていたなあ、なんてつらい思い出までよみがえってきた。同じ10代のアルバイトの子にはみんなよく従っていて、あれすごく悲しかったなあ。あのときも今も子どもを従えたいわけではないからいいっちゃいいのだけれど、話をまったく聞いてもらえないのは普通に傷つく。今の相手は2さいだから話を聞かないのなんてデフォルトなのに今日はよけいなことを思い出したせいかよけいな傷つきかたをして声を荒げてしまった。子どもはびっくりして少しのあいだ黙りこみ、あ、聞いてもらえたと思って快感だったけどこれは勘違いで、わたしが子どもにとっての権力者だからわたしの不穏さに敏感なだけである、彼は。きっとその心には「大きい声で威嚇された」ことだけ残る。自転車の後ろに乗ったいつもより静かな子どもにわざとらしく月の位置をアナウンスしながら帰った。

11月19日(木)

子どもを保育園に送り届けたあと、仕事に行く前に料理がしたいと思いたち、このおかずを作った。

どう見ても豚バラ肉の厚切りなのにお麩なのが面白い。味見にひとつ食べてみた。美味しいが、どこまでいってもお麩の味である。わたしは調理した人だしお麩好きだからいいが、知らずに肉だと思って食べる人は泣くかもしれない。えーんえーんて。

夜、保育園から帰った子どもに出してみるとさっそく目を輝かせて「おにくだねえ」と引っかかっていた。食べてすぐに「スッ…」と真顔になり、二度と手をつけなかった。ふふふ。かわいそう。

泣いちゃうといけないので夫には前もって伝えた。「豚バラみたいだろ…これ…お麩なんだぜ」。心構えができていたのとお麩好きなので彼はうまいうまいと食べていた。

11月20日(金)

晴れていないのに朝からぽかぽかとあたたかく、子どもとふたり、軽装備で出歩いた。9月下旬の気温だって。こういうのを小春日和っていうんだったか。秋の季語。

となり町の成城石井で子どもにうながされるままパッタイとお好み焼きを買った。帰りは抱っこでというので袋にぶらさげたパッタイたちを膝でばいんばいん蹴りながら歩くことになった。無事でいてくれ。めったに買わないラグジュアリー弁当なのだ。

200メートルも蹴りつづけたのに奇跡的に無事だったパッタイを子どもと分けて食べた。仕事の中休みに入った夫が部屋から出てきたからお好み焼きをあげた。こちらも無傷だ。しかし夫は、レンジにかけたら小さくなっちゃった…としょんぼりしていた。ヘルシーすぎたらしい。さすがは成城石井だ(?)。

11月上旬 | 11月下旬

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