●2020年11月の日記 【下旬】
11月21日(土)
まいにち保育園だプレ幼稚園だと忙しく支度をせまられている子ども、週末がきて朝どこにも行かなくていいのがうれしいみたいだ。朝5時台にまだ真っ暗なのに起き上がってカーテンを開け、「起きます」と宣言してわたしの手を引き居間に出た。
求められるままに寝ぼけまなこで食べ物飲み物を並べたりテレビをつけたりしているうちに朝日がのぼって部屋がオレンジ色になった。
子どものみちびきで朝日を見るのは久しぶりのことだ。かれが乳児のころは毎朝4時台に泣いて起きたから夏季でも朝日が見られた。この子と暮らすようになるまで季節によって夜明けに2時間もの差があるなんて知らなかった。
子どもは1さいになり2さいになり、太陽とともに目覚めることもほとんどなくなった。赤ちゃんだったかれが見せてくれたたくさんの朝焼けをわたしはきっと忘れない。
朝日に染まる子どもの横顔(テレビをみている)をながめていたらいつも眠かったその日々を思い出して胸がきゅうと音をたてた。
やがて夫が起きてきて、みんなの3連休がはじまった。
11月22日(日)
今日は一家でたのしみにしていた「パウパトロールの映画をみんなで観に行く日」だ。チケットも買ってある。
朝いつものようにわたしのおなかの上で目を覚ました子どもにそのことを告げると「ズーマはでてくる?」「マーシャルはでてくる?」「チェイスは?」…、とひとりひとり(いっぴきいっぴき)の登場を確認していた。わたしがみんなについて「でてくるよ」「でてくるよ」と確約すると安心したのか、「たのしみたのしみ」と言っていた。エベレストという犬について訊かれなくてよかった。彼女は映画に出てこない。
映画館の席は間引きされていたとはいえ完売していた。たくさんの親子がいて、みんなパウパトロールが好きなんだなあ…と思うと仲間意識がわいた。予告編が終わるころ、ところどころで「パウパトロール?」「パウパトロール?」と期待に満ちた声がどよどよ上がるのもすてきだった。
48分の短い本編だが、いつもの15分くらいのテレビアニメ版に慣れているからかじゅうぶんな長さに感じられた。というか幼児が集中しきれるちょうどいい長さかもしれない。上映中、わたしのひざに座って身じろぎひとつせずに画面を見つめる子どもはあまりに静かで気分でも悪いのかと不安になるくらいだったが、上映が終わると魔法が解けたようにいつもの調子でしゃべりだしたからほっとした。家のテレビではこんなふうにならない。映画館でみる映画にはやはり威力があるのだなあ。
パウパトロールはいつも通り安定していた。ケント(車輌を運転できる犬たちを率いる人間の子ども)は理想の上司だし、犬たちの任務遂行力は素晴らしいし、悪役もキュートだ。夫と「楽しかったね!」と言いあった。
11月23日(月・祝)
焼いたサバとブロッコリーをトマト缶で煮るやつを作った。お気に入りのレシピだ。
長らくクックパッドをメインに使っていたが、ここ1年くらいはこの「だいどこログ」というレシピサイトにどっぷり浸かっている。パルシステムのユーザーだから見はじめたが、載っているのはパルシステムの食材でなくても作れるものばかり。工程がシンプルなことばで書かれているところがすてき。
本当はレシピなんて見ないで名もなき謎の料理を作るのがいちばん好きだ。でも今はまだ好き勝手やってそれなりのものを作れる領域が「パスタ」「汁もの」「カレー」に限られている。よいレシピで料理するっていうのを積み重ねていけばカンが養われて自由の幅が広がるんだろうか。
11月24日(火)
仕事の用事があり上野に行ったついでに桜木、日暮里あたりをぶらぶらとうろついて、このへんはやっぱりずいぶん気持ちのいいエリアだなあと思った。たくさんの寺と街路樹の植わった広い道がそう感じさせるのか。桜木のお香専門店でお香を買い込んでいい気持ちで帰った。
(これは2015年初冬の谷中あたり。このエリアを好きになったころ)
つぎは時間があるときに来てもっとゆっくりぶらぶらして大すきな朝倉彫塑館にも寄りたい。
11月25日(水)
地下鉄に長ーく揺られて仕事に行った。
仕事の行き帰りで電車に揺られる時間がいまのわたしにはいちばんの休息かもしれない。とくに帰りはいい感じに力が抜けてタコみたいになって座席に腰かけている。そうすると家の近くまで運んでもらえる。電車はすごい。
保育園帰りの子どもと連れだって家に戻るとさっそく汁物を作りにかかる。夫が買った土井善晴先生の本にハマっているのだ。『一汁一菜でよいという提案』だ。(師でもなんでもないのに土井善晴先生と呼んでしまう。土井善晴と先生はセット。ドンとキホーテみたいなもの(?))
豚肉と野菜ときのこでジャジャっとみそ汁を作った。肉の入ったみそ汁だいすき。
たしかにこれで全然いいよな。こうや豆腐はレンチンで作れるやつです。すごいよね。
11月26日(木)
仕事先のひとにゆずを1ついただいた。ここでは先週にもちがうひとに柿をもらった。平和だ。
今は小さい子どもがいて遠方の仕事はなかなか受けられないが、しょっちゅう東京を出て千葉、栃木、茨城に行っていたころはよく、仕事先で果物や野菜を分けてもらっていた。りんごを背負ってうんうん言いながら帰るのは幸せだったし、ゆずを袋いっぱいもらったときはゆずこしょう作りにも挑戦した(おいしくできた)。新潟では仕事のあとに畑できゅうりやなすを収穫させてもらったこともある。あの野菜で作ったダシ(山形の郷土料理)は格別だった。
お金を受け取るのはすごくうれしいしいつだってそのために仕事している。でも、お金を受け取るときのうれしさと農作物を受け取るときの喜びは、なんていうか質量がちがっている。仕事のあとに作物でずっしりと重くなったリュックを背に帰るとき、わたしはいつも誇らしさで満たされていた。
そういうとき、わたしは金銭的なゆたかさよりも物質的なゆたかさが性に合うのだなと思う。たぶん都会で暮らすのには向いていない。
11月27日(金)
今日はわたしの仕事はなく、子どもは保育園に行かない。「どこにいきたい?」ときくと「〇〇公園」とはっきり名指しでこたえたから、おにぎりを買って自転車に乗ってちょっと遠くのその公園に出かけた。わたしは朝起きた瞬間からかなり体調がイカン感じで(発熱だとか咳ではない)、だから多分そんなに寒くはなかったのにひとりで震えて子どもの遊具に登るのを眺めていた。3つ買ったおにぎりをふたりで2つ食べ、残りの1つはビニール袋に入れてふんじばって自転車のかごに置いていた。
しばらくして見ると袋がかごから落ちていて、拾おうとしたら中身もない。見回してもだれもいないが、5メートル離れたところでカラスがけんかしているのが見えた。どうやらおにぎりを取られてしまった。あらためて袋を拾ってみるとふんじばった結び目はそのままに、とてもスマートな穴がひとつだけあいている。あざやかなやりくちだ。思わず感嘆の声をあげてしまう。子どもが寄ってきて「おにぎりは?」ときくから「カラスに持っていかれちゃった」とやぶれたビニールを手にこたえた。しばらくふたりでカラスたちの小競り合いを眺めて立っていた。
自分のものと思っていたおにぎりをカラスに取られる、というはじめての経験は子どもにとってショッキングなものだったらしく、「おにぎりどこいった?」「カラスたちが食べちゃったみたいだね…」「ねえ、おにぎりは?」「カラスが…」「おにぎりだれがもってった?」「カラスだねえ」という問答がしばらく続いた。
そのショックもあってか程なく「おうちかえる」となったので、わたしたちのおにぎりでまだけんかしているカラスたちに自転車で横付けして「おにぎりおいしかったか?!」と声をかけてから一目散に帰った。みちみち子どもは寝てしまった。
11月28日(土)
電車を3本乗りついで子どもとふたり、友だちの住む町をたずねた。ふだん乗らない私鉄に乗った子どもは緊張しながらいきいきしていた。着いた先の駅から歩きだすと、知らない町だからか手をつないだまましばらく歩いてくれた。いつもはすぐに振り払われてしまうのだ。15分もそうやって子どもの手を引いて歩いただろうか。これは最長記録だ。歩幅を合わせてゆっくり歩きながら、「これ、これ、思い描いていたやつ…!」と幸福感にひたった。
友だちの部屋に招き入れられてわたしたちはすっかりもてなされてしまった。近くの公園に子どもを連れて行くつもりが、友だちが用意してくれた生ハムとたくさんのつまみとワインがあまりにおいしく、飲み食いをやめられずにいるうちに外が暗くなった。日、沈むのが早い。子どもはベッドをかりて寝てしまった。
子どもが寝ているあいだにおとなふたりの話ができてうれしかった。とくにおとならしい話をしたわけではないけれど。きゃっきゃした。
ほろ酔いで子どもを抱いて帰った。
11月29日(日)
西日本から飛行機に乗って東京にやってくる友だちに会うため羽田空港へ行った。ついでに飛行機を間近で見たことのない子どもにも離着陸を見せてみたくなり、いっしょに連れていくことにした。
乗り物としてはたぶん電車がいちばんに好きな子どもは行き帰りのエアポート急行を何よりよろこんでいた。それならそれでよかった。展望デッキからみた飛行機については「いるねえ」「すごいねえ」とひととおり感想を述べていたが、ごくあっさりしたものだった。離着陸の音がちょっと好みとはちがっているらしい。
友だちと合流して3人で空港をうろうろした。うろうろする子どもを追いかけるのにずっと付きあってくれた友だちはやさしい。
空港内のトミカ・プラレールショップでトミカを吟味した。空港限定モデルとかは特にないみたいで残念だったが、飛行機まわりのことにあまり興味のない子どもは普通に白バイを選んでいた。白バイと、
友だちが見つけたこれ(わに、最高)の計2台。友だちが買ってくれた。なんだか親戚のお姉さんに子どもがやさしくされるのを見ているみたいでほっこりした。
いっしょに遊んだのがよほど楽しかったのか友だちと別れるときには彼女の名前を呼びながら泣いてしまった。会ったり別れたりを自分の意思でできない子どもは大変だなあと、こういうときいつも思う。
友だちは今夜、わたしも知る顔ぶれと、いつもの店で飲むといっていた。家に帰ったわたしは子どもに誘われ早々に布団に埋まり、眠りに落ちてしまいそうになりながら、酒場のみんなを想ってちょっと心が焦げた。来年くらいには夜、家から離れた店に飲みにいくこともできるだろうか。生きる希望だ。
11月30日(月)
ベランダのいちごにしばらく水をやっていなかった。近所のかたに苗をひと株もらったからてきとうにプランターに植えたらランナーとか呼ばれるつるをにょきにょき伸ばしてめちゃめちゃふえたやつ。枯らしてしまったらもったいない。水を持ってかけつけて、見るともう花をつけている。え。いくらなんでも早くないか。クリスマスケーキ用?
・
日が落ちるのと入れ替わりみたいに東のほうからぞくぞくするような満月がのぼってきた。わたしはその赤みがかった大きな月に向かって自転車をこいだ。ぞくぞくしながら子どもを迎えにいく。この月を子どもとも見たいと思ったけれど、玄関口でのいつものどたばたを終えて保育園を出るまでのあいだにずいぶん小さくなってしまった。白くて丸い月に今度は背中を追われるようにして帰った。子どもといっしょに満月を見るのはあと何回だろう。考えているよりずっと少ないだろうと思う。
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