文字

キーを叩くにしろ手書きにしろ、文字を全く書かない日はない。
デジタルにしろアナログにしろ、文字を全く読まない日はない。
特に意識している訳ではないが、習慣化していることに間違いはない。
幼少期からメチャクチャに本を読み続けていて、旅行に行くのに着替えを忘れても文庫本を忘れたことはない。
創作すること、表現することは全般的に好きだが一番手軽なのは頭の中に溜まり続ける漠然としたイメージを文字に書くことで、それは絵を描いたり音楽を作ったりするよりも遥かに手軽でそしてそれをすることによって、どんな困難な時にも私の精神は崩壊せずにいられたのだと思える。
人によって違うだろうが、私にとっては文字が重要なのだ。

文字を書くにあたって影響を受けたエピソードはジャック・ケルアックのこと。
彼は書き始めるとただひたすらタイピングし句読点もほとんど打たなかったという話を聴いたことがある。これが真実かどうかは別にして、言葉を文字に表す時、文章の体裁を整えることにもどかしさを感じることは現実にある。彼はジャズを演奏する様にキーを叩いたというけれど、それならなおさらその気持ちは理解できる。
即興。ジャズ、特にばっぷ以降フリージャズに向かう経過で重要視されることはインプロビゼーションである。
その瞬間のイメージやエモーションをダイレクトに表現しようとすれば自ずと性急になって行く。逃げてしまうのだ。もたもたしていれば私の中にわだかまって爆発を求めているイメージの勢いが萎え、逃げてしまうのだ。
現代はタイプライターを使っていたケルアックの時代よりも更にそれがやりやすくなっている。
とにかくただひたすらキーを叩き後からその体裁を整えることはたやすい。
万人がただ頭の中に明滅するイメージをひたすら文字に表し、編集でその体裁を整えれば良いだけだ。本来は体裁を整えなくても良いのだろうけれどもそれでは読者の多くはただ読みづらく、ビジネスとしての出版にはならない。だから商業用の文章だって誰にでも書けるのだ。とにかく書けばいいのだ。書いて後から編集すればいいのだ。誰もが作家だ。

文字を読むことにあたっては私は本当の乱読だ。
啓発本料理本一般小説古典官能小説ライトノベル経済関連社会学生物学病理精神世界等々どんな本でも構わない。文字がそこに在れば良い。トイレに座るわずか数分の間に小説を1ページ読むし、仕事の休憩時間にスマホで啓発書を1ページ読む。帰宅してPCの電源ボタンを押し立ち上がるまでの時間で料理本を捲る。

投資をしていると、チャートを見る時間が長くなる。
チャートにも文字はあるが見ているのは主にその形状であって数字を含む文字にことさら注視しているわけではない。
だからこそ、トレーダーである為に、チャートを見る時間以外は文字に接していたいのだ。
文字を読んだり書いたりすることで、それも方向性を定めず散弾のように四方八方に興味の赴くまま文字に接することで、自然と周囲を俯瞰する癖がつく。
世界は常に動いていて、一瞬も止まることはない。
その中で生きている我々はそれだけで人生を即興で表現していると言って良いのだ。
その緊張感、その愉しさ。私にとって最も人生のスリルを味わえる表現が文字である。

#習慣にしていること

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