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【ショートショート】その雪が帰るところ

『冬空を遠く旅した雪ならば 連れていますか彼のかけらを』


「あー降ってきたよ。今年は早いなあ」

「そうですね、今年はいつもより積もるかもしれませんね」


今年も雪の季節がやって来た。
北国の冬は早く、長い。あっという間に世界が白一色になり、それが春まで続いていく。
北国で生まれ育った私にとっては子供の頃から当たり前の光景で、特別な思いはなかった。

6年前、私の恋人が雪山で行方不明になるまでは。

今は、雪の季節は長くて、長くて、辛い。
6年前に恋人が雪山で遭難してから、私にとって雪は辛くて苦しくて、悲しいものになった。


彼は雪なんか降らない南の生まれだった。
それが、大学1年生の冬休みに興味本位で雪を見に私の住むこの街へやって来た時に、

『雪を見た瞬間、俺が本当に暮らすべきなのは雪の中なんだって確信が湧いたんだよ。何から何までしっくりくるんだ』

と思ったそうだ。

以来、彼は休みのたびにこの街に来て、スキー場のアルバイトをしながら大学を卒業し、この街に移住した。
私と出会ったのは、彼の就職先であり、私の勤務先でもあるスキー場併設のホテルだった。

彼は冬が来ると、仕事以外のすべての時間は外でスキーをしてるんじゃないかというくらいスキーにのめり込んでいた。
私もよく一緒に滑ったが、彼は本当に上手くて、「好きこそものの上手なれ」ってこういうことなんだなといつも思っていた。



そして、6年前のあの日。
彼はその時ハマっていたバックカントリーに行くと言って、帰ってこなかった。
すぐに捜索願を出し、何度も救助隊を派遣してもらったけれど、彼は未だ雪山に消えたままだ。

スキー場の外の、本当の自然の中を滑るバックカントリーは、雪の中で暮らしたいという彼の願いをほぼ完璧に叶えるものだったけれど、そこには常に遭難のリスクがつきまとう。
彼だっていろいろな対策をしていたけれど、それでも減らしきれなかったリスクに捕まってしまったのだと思う。

ある程度の覚悟はしているつもりだった。
けれど、私は今も、6年前の彼の帰りを何の疑いもなく待っていたあの日のままでいる。
「彼が帰ってくるのではないか」という思いを心の隅に置いたまま暮らしているのだ。


雪はしんしんと降り続き、あたりはすべてが真っ白なベールをかけられていく。
私はその日の仕事を終え、家に帰ろうとした時だった。

コートのポケットに入れたスマホから、着信音が聞こえた。
取り出して画面を見て、思わずスマホを持つ手に力が入る。

彼の母親からだ。
6年前にこっちに来ていた時に連絡先を交換していたが、こうして電話をかけてきたのは初めてのことだった。

「――もしもし、お久しぶりです」

「ええ、お久しぶりです。あの、今いいかしら」

「はい」

「あのね、夫とも話したんだけど――」

次の瞬間、頭の中が真っ白になった。

『息子に失踪宣告の申し立てをすることにした』

彼の母親はそう言った。
それは、彼を死亡者扱いにするための法的手続きを取るということだった。

「私たちだって、あの子が帰ってくると信じたいんです。それに、失踪宣告をすることで、私たちがあの子を死なせてしまうみたいで辛い。けど、これだけ時間が経って、私たちももう限界で……」

憔悴しきった声でそう言うと、彼の母親は電話の向こうで言葉を詰まらせた。

彼の母親の言い分はよくわかる。
きっと、旦那さんや他の家族と長い間話し合いに話し合いを重ねて、ようやくたどり着いた結論だろう。

私だって同じ気持ちだ。
ずっと待ち続けていたい気持ちと、待ち続けるのが辛くて仕方がない気持ちの両方がある。
けれど、こんな形でその待ち続けていたい気持ちを終わらせることになるなんて、予想していなかった。

彼女のすすり泣く声を聞きながら、私は何も言えないまま、その場に立ち尽くしていた。


それから1年ほど経って、また彼の母親から連絡があった。
裁判所から正式に失踪宣告が下されたことと、家族でお別れの会をするから私にも来てほしいということだった。

1年間考えに考え、悩みに悩んだが、私は未だに彼を死んでしまったと考えることはできずにいた。
けれど、「あの子が、あなたは特別な人だと言っていたから」と家族だけの場に呼んでくれたのだから行かないのも申しわけないし、私も区切りをつけることができるかもしれない。

そう思って、私は休みを取り、彼の実家がある南の離島へ向かった。

『お別れの会』というだけあって、お葬式のような悲しいものではなかった。
喪服も持っていったが、着なくていいと言われて春物のワンピースで行った。
彼の実家の居間には子供の頃からの彼の写真が所狭しと飾られ、テーブルに並べられた彼の好物と、私が持参した地酒を片手に皆で彼の思い出話をした。

家族は彼の子供の頃の話をしてくれて、私は彼が北国に移住してからのことを話した。
時には涙が出るほど笑って、騒いで、食べて、飲んで、彼の兄が披露してくれた歌を聴いたりしているうちに、あっという間に日が暮れた。

「ねえ、なんか寒くない?」

「そうだな」

日が暮れた途端、開け放っていた窓から流れ込む空気が一気に冷え込んだ。
春物の服では鳥肌が立つような寒さだ。

「ここでも、夜はこんなに冷え込むんですね」

「いや、こんなことないよ。おかしいな」

そう言いながら、彼の兄が窓まで行って外を覗き込んだ。

「おい、雪降ってるぞ!」

「ウソでしょう? この島に雪なんて降ったことないのよ?」

「降ってるって、ほら、見ろよ!」

その場にいた全員が窓際に集まる。
暗くなった空からひらひらと落ちているのは、まぎれもなく雪だった。
雪国育ちの私が見間違うはずもない。

「雪……ですね」

それからしばらくの間、みんな息をするのも忘れてその様子を見つめていたが、

「あいつ、帰ってきたんだなあ」

と、彼の父親がぽつりと言った。

『帰ってきた』その言葉が胸に響く。
改めて、いなくなってしまったんだということと、今日で区切りをつけなければいけないんだということが一気に思い出されて、目の前の景色が涙で歪んだ。
せめて泣き声は上げずにいようと、鼻と口を両手で覆ったが、涙はボロボロと流れ、私の手を濡らした。

「……なによ、帰ってくるならもっと早く帰ってきなさいよ」

彼の母親が笑いながらそう言った。
顔は涙で濡れている。

「本当にな。待たせすぎなんだよお前はさ!」

皆、泣きながら笑いあった。
彼の家族は、もうすでに気持ちに区切りをつけてしまっているのだと思っていて、私もそうしなければと思っていた。
けれど、そんなことはなかった。


ふと、彼の言葉を思い出す。

『雪はさ、少しずつ変わっていくだろう? 辺りが真っ白になるのも、それが溶けて春に向かうのも。けれど、進んだ先には全く違う景色が待ってる。それがいいんだ。ゆっくり進んで、いつか全く違う景色に出会う。それがね』

――ねえ、私も皆も、こうやってゆっくり進んでいけばいいのかな。少しずつ変わっていって、いつか違う景色を見る、それでいいのかな。

悲しかったけれど、胸にいた6年前の私の代わりに、なにか温かいものが注がれていくような、不思議な時間だった。


――私、進んでみるね。ゆっくり、少しずつ。

私は心のなかで彼にそう宣言すると、窓から手を伸ばした。
ふわりと手のひらに雪が載り、すぐに水になる。
それを私はそっと胸の前で握りしめた。


『降りしきる雪のひとひらつかまえて 言伝願う「私は元気」』





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自分で書いた二首の短歌(?)を、強引につなぐ話を書いてみました。
中の人は生まれてこの方関東平野のだいたい真ん中あたりに暮らしているので、雪や南の描写はまあ許してください。

読んでいただき、誠にありがとうございました。 サポートいただけますと、中の人がスタバのラテにワンショット追加できるかもしれません。