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【ショートショート】作り笑いショッピング
「先輩、もしかして素の顔のまま仕事してるんですか?」
「え? 化粧はしてるけど……」
「そうじゃなくて、え、買ってないんですか? 自分の表情」
「は?」
この、新入社員との衝撃的なやり取りから1日。
私は今、彼女から教えてもらった「表情」を売るサロンに来ている。
きっかけは、会議の時に男性の上司から言われた失礼な言葉だった。
『若いうちはさ、特に君たちみたいな女の子は何だって許されるんだから。花嫁修業だと思って頑張りなよ』
本当に今思い出しても腹が立つ、最悪の言い草だ。
私が真っ向から抗議しようとすると、私の隣りにいた彼女は
「そうですかー。それなら頑張ってみようと思いますー。もしもの時にはお世話になることもあるかと思いますが、その時にはよろしくお願いしますー」
と、笑顔で言ってのけたのだった。
聞けば、ああいった言葉にも安全に対処できるように、仕事の時には店で作った「作り笑い」を着けているのだという。
それがあれば、怒った時や悲しい時にも見た目では笑顔のままでいられるらしい。
「だいたい、人間関係って笑顔ひとつあれば片付くことが多いんですから、別に戦うことなくないですか?」
というのが彼女の弁だった。
何か引っかかることがあれば、すぐに周りと戦おうとしてしまう私とは正反対の、守りの姿勢だと思った。
守りというよりも、「殴られそうになったら、避ければいいだけのことじゃないですか?」といったところだろうか。
彼女の姿勢は、私にとってはまさに目からウロコ、青天の霹靂だった。
その「作り笑いを買う」ということにすっかり興味を抱いた私は、昼休みに彼女から詳しく話を聞き、次の日の休みを利用してその「作り笑い」を売っている店にやって来たのだった。
店は、サロンというよりはデパートの化粧品カウンターのようだった。
表情のサンプルが整然と並べられたカウンター越しに、見惚れるような美しい笑顔と所作の店員が、やって来た客に1対1で対応している。
「いらっしゃいませ。本日はどのようなご用件でしょうか」
早速、私の姿を見つけた店員が声をかけてきた。
「あの、作り笑いを買いたくて……」
あまりに美しい笑顔で、顔をまっすぐ見ることができない。
これも店で売っている「作り笑い」なのだろうか。
「ありがとうございます。当店でのお買い物は初めてでいらっしゃいますか?」
「はい。私、作り笑いを買うこと自体が初めてなんです」
なんだか、初めてデパートの化粧品カウンターに行った時のようだ。
場違い感というか、気恥ずかしさというか。
もうアラサーだっていうのに、赤面しそうだ。
「それでは、カウンセリングをいたしまして、お客様に最もフィットする笑顔を探しましょう。それではこちらへどうぞ」
品のいい香水の香りに導かれ、私はびくびくしながらカウンターの空いた席へと導かれていった。
カウンターでは、その作り笑いを使うシチュエーションや、普段の性格の傾向、メイクなどを細かく聞かれた。
その後、店の奥で歯医者のレントゲンのような機械で顔を撮影される。
再び戻ってきた時には、店員のタブレットに私の顔の3D解析データが表示されていた。
こう言っていいのかわからないが、思ったよりもちゃんとしてるんだな、という印象だ。
「お客様はビジネスシーンでのご使用とのことでしたので、華やかな印象の笑顔がよろしいかと思います。こちらなど、いかがでしょうか」
そう言って見せてくれたサンプルは、見たこともないほど嬉しそうな私の顔だ。
「まずはご試着なさってみてください。口角や眉の上がり具合は0.5度単位で調整できますので、遠慮なくお申し付けくださいね」
おそるおそる、差し出された作り笑いを受け取り、鏡の前で着けてみる。
不思議な感覚だった。
ファンデーションを厚塗りしすぎた時のような圧迫感はあるが、作り笑いは着けた瞬間から顔に溶け込むようになじんでいく。
そして、作り笑いを着けた私はまるで別人のようだった。
鏡に写っているのはたしかに笑顔の自分だけど、普段自分で作る笑顔より格段に美しい。
これは……なんだか、すごくいいかもしれない……!
「あ、あの……! これ、ください!」
私は鏡の中の自分から目が離せないまま、上ずった声で店員にそう告げていた。
後日、私は「作り笑い」の店を教えてくれた後輩に、SNSでバズっている人気店のお菓子を買ってきてお礼を言った。
「本当にあの店教えてくれて感謝してるわ。今では作り笑いがないとやっていけないもの。今度、ウェブ会議向けの『大げさ表情シリーズ』っていうの買おうかなって思ってる」
「あー、あれ良さそうですよね。元々は芸能人がワイプで抜かれた時のために作られたらしいですよ」
「そうなんだ、芸能人が使ってるっていうと、余計興味あるかも!」
「そうそう。私、今は作り笑いだけじゃなくて、喜怒哀楽の表情全部あの店で買ったやつを使ってるんですよ」
「え? 全部?」
「はい。表情を作るときって、いちいち感情を動かさなきゃならないじゃないですか。それにエネルギーを使うのがなんかバカらしくなってきちゃって。でも、表情がないとやっぱりコミュニケーションってうまくいかないんで、こんな感じで」
そう言いながら、彼女が表情を外す。
「え……?」
「あ、このお菓子めっちゃ美味しい! 食べたかったのにずっと買えなかったんで本当に嬉しいです。ありがとうございます!」
そう言いながらお菓子を頬張る彼女の素顔は、まるで仮面のように硬直し、口以外は一切の動きを止めたままだった。
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