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【ショートショート】冬になりきれない秋と若者

 それは、もう秋も終わる頃だというのにまだ暖かい、とある11月の夕方。町外れの小さなラーメン屋でのことだ。

「いらっしゃい」

 暖簾をくぐって、ひとりの若者がラーメン屋に入ってきた。
 ちょうど、前の客を送り出して無人だった店のカウンター席の真ん中に座るなり、若者は店主に向かってこう言った。

「親父。あんかけ煮込み土鍋ラーメンはあるか」

「すんませんねえ、まだ今年は始めてないんだよねえ」

 あんかけ煮込み土鍋ラーメンは、店主がこの店を開くときに、夏の冷やし中華のような風物詩になるものを冬にも作りたい、と始めた限定メニューだ。以来30年、毎年冬が来ると出していて、これを目当てに来る客も多い。この若者もそんな1人だろうと店主は思った。
 だが、今年は夏が妙に長く居残っていたせいで、11月になっても気温は高いまま。店主はまだ、あんかけ煮込み土鍋ラーメンをメニューに加える気にはとてもならなかった。

「去年の今頃は、もうあんかけ煮込み土鍋ラーメンを出していただろう」

 若者は不満げに店に掲示されたメニューを見回す。
 店主は改めて若者の顔をまじまじと見た。年の頃は高校生か大学生くらい。色白の、人形のように整った顔をしている。
 そういえば見たことがある顔だ、と思った。

「ああ、思い出した。お客さん、去年の冬によーくあんかけ煮込み土鍋ラーメンを食べに来てくれた人だ。すんませんねえ、せっかく来てくれたのに」

「なぜできない。材料が揃わないのか? その時季でなければ食えぬものなど、今日びありはしないだろうに」

 若者はカウンターに身を乗り出すようにして、なおも店主に食い下がった。
 その、あくまであんかけ煮込み土鍋ラーメンにこだわる様子と、パーカーにジーンズ姿の若者の口から妙に時代がかった物言いが出てきたことに戸惑いながら、どう説明したらいいものかと店主は考える。
 若者の言うことは一理ある。今の時代、食べたいと思えば真冬にスイカを食べることだってできる。だが、店主にもこだわりがあった。

「そりゃあ、そうなんだけどさあ、でも――」

「頼む」

 店主の言葉をさえぎって、若者はカウンターに両手をついて、がばっ、と音がするくらいに勢いよく頭を下げた。

「ちょっと、」

 何をやっているんだ、と驚いた店主が言う前に、若者は顔を上げた。
 整った顔立ちの中でも、ひときわ印象的な切れ長の瞳が店主の目をまっすぐ見つめる。

「作ってはくれないだろうか。あれがどうしても食べたいんだ」

「しょうがねえなあ」

 若者の態度に負けて、店主はそう言った。
 こんな若者が、頭を下げてまで頼んでいるんだ。自分だって応えないわけにはいかないだろう。そう思ったのだ。

「今、ちょうど客がいないから、特別にやりましょう。でも、きっとお客さんが思ってる味にはなりませんよ?」


 店主は厨房の棚の奥から1人用の土鍋をひとつ出してくると、冷蔵庫から材料を揃え、あんかけ煮込み土鍋ラーメンを作った。
 ぐつぐつ、ぽこぽこ、と鶏ガラ醤油味の餡が煮え立つ土鍋をカウンターに置くと、湯気の向こうの顔がパッと嬉しそうに輝く。
 若者は割り箸を取ると、手を合わせて土鍋と店主に一礼してから麺を熱そうにすすった。
 次の瞬間、嬉しさでいっぱいだったその顔が曇る。わからない、そんな表情だ。

「どうです、あんまり美味くないでしょう」

 店主の問いかけに若者が無言でうなずいた。

「やっぱりさあ、寒い時だけのものって、あると思うんだよねえ。これは寒い時にいちばん美味くなるように作ってっから、今日みたいなぼんやり温い日に食っても、なんだかぼんやりした味の、ただ熱いだけのラーメンにしかならないんだよ」

 そう、これが店主のこだわりだった。
 いくら真夏にミカンが食べられたって、夏には夏の、冬には冬の食べ物がある。
 その「冬の食べ物」になれるラーメンを、と試行錯誤の末に生み出したこのメニューは、自分が冬が来たと感じられるまでは出さない。そう決めていたのだ。
 その言葉を聞きながら、若者は箸を置き、もうもうと湯気を上げ続ける土鍋を見つめていた。
 その表情は残念だと語っていたが、どこか悲しげでもあった。

「暑いときは暑く、寒いときは寒く。そういうのってやっぱり人間にとって大事だよねえ。季節がそうやって進んでいくから、それに背中を押されて、人の暮らしも進んでいくんだもの」

「季節に押されて、人の暮らしも進む……」

 はっ、と若者は顔を上げ、店主の言葉を繰り返した。

「そう。だから、胃袋が凍えそうなくらい寒くなるまでは、あんかけ煮込み土鍋ラーメンは出さないことにしてんの。お客さんも、寒くなったらまた来てよ。そん時は最高に美味いの食わせっからさ」

 店主はそう言うと笑った。
 これだけこのメニューを気に入ってくれているなら、最高の条件で出して、さっきのような嬉しい顔を見せてほしい。そんな願いがこもっていた。

「……そうか」

 すっかり沈んでしまっていた若者の顔に笑顔が戻る。再び箸を持つと、若者は出されたあんかけ煮込み土鍋ラーメンを全て食べきった。
 その時だった。


「見つけましたぞ、若!」

 その声に店主と若者が同時に入り口に目をやると、戸口に1人の老人が立っていた。
 老人は柳煤竹色をした着物に枯草色の羽織りの和装姿で、カウンターに座る若者を「若」と呼ぶと、そのすぐ隣まで歩み寄った。

「明日にはいよいよ家督をお継ぎになられますというのに、またお屋敷を抜け出して斯様な所に! わたくしは御館様になんと……」

 老人は一方的にそうまくし立てる。
 顔色ひとつ変えずに若者はそれを聞きながら箸を置き、手を合わせて土鍋と店主に一礼してから、くるりと老人の方を向き直った。

「このような場所で騒ぐでない。もう帰るところだ」

 ぴしゃりと若者がそう言い放つと、老人はなにか言いたげな表情ながらも若者に向かって軽く頭を下げた。
 年齢で考えれば老人のほうが立場が上だろうに、やはり何か変わった客だ。それに、この老人もなんだか口調が時代がかっている。家督? 御館様? いつの時代の話だ?
 店主はそう思いながらそのやり取りを見ていた。

「無理を言ってすまなかったな、親父。馳走になった」

 若者は店主の方を向き直ってからそう言って席を立つと、ポケットに入れていた財布から五千円札を出し、カウンターに置いた。
 目で老人を促し、一緒に店主に向かって深く一礼すると、店を出ていく。    
 店主はその様子に呆気にとられてしまいそうになったが、すぐにレジを済ませて釣り銭をつかみ、店の外へ飛び出した。

「ちょっと、お客さん! これ……」

 店主が外に出ると、そこに立っていた若者は先程の姿ではなかった。


 そこにいたのは、戦国絵巻に登場するような威風堂々たる若武者だ。
 裾に銀糸の刺繍が入った雪白色の陣羽織を羽織り、黒光りする甲冑は薄氷のように艶のある淡青色の綱で彩られ、腰には深緋色をした鞘の打刀を下げている。
 傍には先程の老人がうやうやしく控え、まるでそこだけ戦国時代になってしまったかのようだった。
 店主の姿を見ると、若者はその整った顔を笑みの形に変える。そして、

「冬が来る。楽しみにしていてくれ」

と言うと、すっと左手を挙げた。

 急に、若者の方から木枯らしのような冷たい風がびゅう、と音を立てて店主に吹き付ける。
 思わず目を閉じてしまった店主が再び目を開けたときには、若者の姿はもうどこにもなかった。



 その次の日から、なぜか気温は急に下がっていった。
 天気予報はいきなりの冬を解説するのに一生懸命だ。

 ついに胃袋まで凍えそうな寒さになったある朝、店主は震えながら店の入口に『あんかけ煮込み土鍋ラーメン はじめました』の貼り紙をした。
 しかし、どれだけ寒くなっても、あの若者が再び店に現れることはなかった。


 もしかしたら、あれが冬将軍というものだったのかもしれない。
 あの日以来、店主はあんかけ煮込み土鍋ラーメンを作るたびにあの若武者を思い出し、そんな夢のようなことを考えるのだった。

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