【教育改革】子どもを育てる授業スタイルってなに?
みなさんこんにちは、おおひさ です。先日、大学で、それぞれの専門教科の模擬授業を見せ合い、協議して今後の教員生活に役立てるという4回生最後の授業がありました。
そこで頂いたアドバイスや指摘を踏まえて、「授業」のあり方について発信していきます。まだ自分の中での答えは少し揺れていますが。
教育に携わる方は何かアドバイスをいただけると幸いです。
授業の軸
模擬授業はグループで作ります。僕が所属するグループでは、小学5年生の英語の授業を作りました。
授業の軸は、「いかに教師が話さないか」ということです。
学校教育では「主体的・対話的・深い学び」が求められています。
「主体的学び」に注目すると、主体性を持たせるには、子どもが興味を持つようなテーマの設定、自分たちの生活とリンクさせた授業が求められます。
いかに子どもに興味を持たせるかが大事です。
主体的な学びの理想は、授業メニュー(授業中のto do リスト)を子どもが見て、自分たちで学習を進めることだと考えています。模擬授業ではここまでできませんでしたが、これからの課題のひとつになりました。
教師が話さないとなると、対話的学びはどうなるのかと疑問になります。
授業で使う教材(例えば授業プリントなど)は教師が作成します。そのため教師の思いというのは、教材に吹き込まれます。
したがって、教師との直接的な対話はありませんが、教材を媒介とした対話が生まれるということです。また、子どもたちが協力しないとできないような課題を与えることで、子ども同士の対話が生まれるように設計します。
対話(やりとり)することで、相手の考えや視点を新たに得ることができます。そうすることで、自分の考えを深めることにつながります。また、対話から新たな考えが生まれることもあるでしょう。これが対話的・深い学びになると考えます。
また、グループ内で子ども一人ひとりの役割分担を明確にすることで、サボれない環境を作ります。
教師が話さない・教えない授業に関しては、下を参考にしました。
教師の「価値」
模擬授業をして、「自分」が子どもたちと一緒に授業を作り上げるような対話は絶対に必要だろうと指摘されました。その教師だから授業が成立するというのは、教師の力量・ブランド・価値を位置付けることになりそうです。
確かに、授業メニューに沿って子どもが主体的に学習に取り組むということは、教師が存在する意味がなくなるような気もします。教材が揃っていれば成り立つわけですから。
しかし、教師が子どもたちと一緒に授業を作り上げるような授業の場合、子どもの主体性はどう伸ばすのかが疑問になりました。
子どもとの関わりを授業の中で増やすということが大事なのは、何となく理解できます。学校教育の目標である「人格の形成」という面では、他者との関わりは必要です。ただ、対話の相手が教師である必要はない気もします。
まとめ
授業において、「これが絶対」という授業スタイルはないでしょう。どんなことにも、メリットがあればデメリットがあるものです。
ただ、模擬授業の後日に現職教員の方と話したところ、教師の授業中での発話は全体的に減っていると言われました。その先生は必要以上に子どもに説明することなく、活動時は口出ししないようにしているそうです。
様々な考えがあるうえで、「自分はこれを軸にする」ということを僕自身は大切にしていきたいです。
模擬授業そのものは、学生には大好評、教授陣に突っ込まれまくるというものでした。小学5年生を想定した授業を大学生にしたので、スムーズに進すぎるといことはありますが、計画通りに進めることができました。
45分の模擬授業でしたが、「10分ぐらいに感じた」という声もありました。
この模擬授業の成果を一つの成功体験として捉え、これからも精進したいと思います。
答えというか考えというか… 揺れながら文章にしたので読みにくい記事になりました…
最期まで読んでいただき、ありがとうございます!!!