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DaiGo君への私信

DaiGo君へ

君がまず何よりしなければならないことは、君の発言への謝罪と撤回だ。君がこの社会で生きていきたいと思うならね。

世の中には言っていいことと悪いことがある。そして、取り返しのつくことと、取り返しのつかないことがある。君の発言は、言ってはいけないことで、取り返しのつかないことだ。君の感想うんぬんは関係ない。

だから今後も、「この社会で」「生きたい」と願うなら、速やかに発言を謝罪し、撤回する必要がある。それが本心からのものでなくても構わない。

そうすれば、少なくともこの社会で生きていくことはできるだろう。地位や名誉や人気などはすべて失ってしまうかもしれないけれど、ね。でもそれは、こうなってしまってはもう、どうやったって失ってしまうものだ。諦めるよりほかない。「覆水盆に返らず」だ。

で、それはそれとして、君は「生活保護受給者やホームレスの命は軽い」というようなことを言った。そのことについて、僕の思うところを述べさせてほしい。


世間からは君に対して、「命は重い」みたいな意見がいっぱい寄せられていることと思う。なかには説教じみたものもあって、君は辟易しているかもしれない。そのことに関してはいささか同情する。君の蒔いた種ではあるけれども、君はそれ以前から、「命は重い」的な言説にウンザリしていただろうからね。

そのことについて、僕の意見を述べよう。

「生活保護受給者やホームレスの命は軽い」という意見には、実は僕も同意する。僕自身、生活保護受給者であるし、ホームレス寸前の状態までいったことがある。そして僕自身、自分の命が「重い」とは、どうしても感じられない。希死念慮の影響もあるのかもしれないが、自分の命の「軽さ」には愕然とさせられる。打ちひしがれて眠れないときもあるくらいだ。


で、だよ。君に伝えておきたいことは、君の命も、生活保護受給者やホームレスと同じくらいに「軽い」ということだ。


君は自分の命に「重み」を与えたくて、これまで頑張ってきたのかもしれない。人気も得たし名声も得た。お金も得たし、いっぱい納税するようにもなった。それはそれで、素晴らしいことだ。

だが依然として、君の命は、他の誰かと同じくらいに「軽い」。

地位や名誉やお金や人付き合いや、それらのことが、いったいなんだっていうのだろう?そんなものでは、君の命は「重く」はならない。何をしたって、どうやったって、君の命は、僕や、そのほかの人の命と同じくらいに「軽い」んだ。

君の命がもし失われても、よっぽど身近な人や、よっぽどのファンでない限り、君のことをやがては忘れてしまうだろう。みんな、君のことなんかより、自分のことのほうが、よっぽど大事だからだ。

君がそのことに愕然としたことが、あるのかどうかはわからない。だが、現実から目をそむけてばかりでは、前に進むことはできないよ。まあ、前に進みたくなければ、それでもいいんだが、どうやったって、現実からは逃れることはできない、それが事実だ。

少しだけアドバイスめいたことを言わせてもらうと、君はもっと、君自身の命の「軽さ」に、打ちひしがれるべきだ。もっともっと打ちひしがれて、眠れないくらいに、君自身の命の「軽さ」について、考えるべきだ。


そうすると、なぜ生きるのか?という疑問がわいてくるかもしれない。そのことについても僕の個人的な意見を述べておこう。

僕がなぜ生きているか?それは「死ねない」からだ。

僕はできることなら、死ねるのなら死にたいと思っている。だが死ねないんだ。49年生きてきて、死にたいと思ったことは星の数ほどあるけれど、自分の意思で死ぬことは、意外と簡単ではないんだ。死ぬことは苦しいし、痛みもあるだろう。そのツラさを考えると、とてもじゃないが、死ぬことはできない。そうして、結局、今、生きているんだ。

おかしな話だろう?命は「軽い」はずなのに、いざ死のうと思っても、そう簡単にはいかない。命は「軽くて丈夫」とでも表現すればいいのかもしれない。


だから、君の命も、僕の命も、生活保護受給者やホームレスの命も、そんなに簡単には消えない。「軽い」くせに、だ。誰かに対して、死ねばいいのに、と思うことは、いっぱいあるけれど、そんなに簡単には死んではくれないんだ。それが悲しい「現実」だ。

死ねないのだから、生きるしかない。生きるより仕方ないんだ。僕も。そしておそらく、君も。ツラいけれど、生きていくより、しょうがない。それがおそらく人生だ。悲しいけれど、それが事実だろうと思う。

その悲しさを、せめて君と共有できれば、と思っている。

僕の言いたいことは、だいたいそんなところだ。

それでは。ご多幸を。


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