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inagakijunya
「考える」は存在してない。
考え と 考える の違い、、、というより
「考え」と呼ばれているそれしかない。
考えているようで「考える」というのは存在してない
もし「考える」ことに疲れたら、
もともとそんな「考える」なんてものはない
ってことに気づくだけでもラク。
そこに「深刻さ」が生じないから。
「考え」が浮かんでいるだけ。
「考え」が生じているだけ。
悲しさとか寂しさとかもそれを
「自分のもの」として掴むと
まさに「つらい」になるのだよね。
好き嫌い、記憶などもそうだけれど、
それらは実はどこにも所属しない。誰のものでもない。
思考も、あらゆることがそうだけど、
ぽんぽんと脈略もなく生じてる。起きている。
それに対して
ネコが動くおもちゃに夢中になってするように、
わたしたちも飛びついている。
それが楽しくもあり、疲れるんだけれど
思考って、自分や現状について言い表しているようで、
なにも言い表せていない。
まったくあてにならない。
そんなアテにならないものを真に受けなくていいし、
真に受けるからこそ複雑そうな面白いストーリーにもおもえる。
喜怒哀楽。
苦しみですら面白いストーリーの一部だから、
それをやめようとしない。
考え と 考える の違いは
それをただぽかーんと眺めているか
それと一体化しているか
そんな取り扱い方(楽しみ方)の違いのようなもの。
楽しみ方はいろいろ。自由。どれでもよし。
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