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一主婦が2011年に考えた日本復興構想が現在のコロナパンデミック渦中に再浮上中?

今回日本で起こった未曾有の大震災、それに付随する甚大な災害に次ぐ災害。
私も他の多くの皆様同様にひどく心を痛めている一人です。
毎日、何かできることはないか、何をしたらいいんだろうと、考え続けています。
そして私が思うのは、ここまで悲惨な目にあってしまったら、
この際、いままでやりたくてもなかなか既存のしがらみのなかで実現できなかった構想を、今こそ現実にするチャンスとする、ということです。

汚れた空気、慢性的な交通渋滞、狭い住宅、高い物価、サラリーマン生活、
多くの日本人がいやだなと思っていたものを思い切って解消する快適な
生活環境をゼロから作り直すことのできる大きなチャンスと。

高齢者が増えるのに、それに見合った生活方式が整えられていない。
ならば、この大震災をきっかけに、真新しい高齢者に優しい社会をゼロから
スタートさせてみてはどうでしょうか。

環境問題は一刻の猶予も待たない深刻な世界的問題です。
壊滅されてしまった町は、地震前の状態にもどすのではなく、いっそのこと、公害、環境問題が生まれる前の自然状態にもどす努力をしてみてはどうでしょうか。。

少子化が日本の未来を暗くするといいます。
ならば、子供を生んで育てたい、と思える理想的な環境を提供する自治体を新たにつくってみたらどうでしょうか。

孤独な無縁社会に終止符を打つ、好機ととらえてはどうでしょうか。
孤独を生んでいる要素を取り除き、新しい形の、または昔ながらのお互い様を実現する地域社会、住宅街を建設するきっかけとしたらどうでしょうか。

日本に存在する無数の工藝人たちが何百年もかけて築き上げてきた愛すべきもの作りの素晴らしい伝統技術を復活させたらどうでしょうか。

不登校の子供たちは、案外みなずばぬけた才能をもつ技術者や芸術家かもしれないと思うことがままあります。学校の教室だけが学びの場ではなかった昔の見習い修行の制度、寺小屋など別の種類の教育の場を復活させてはどうでしょう。

まとまりのない、お粗末な文章ですが、日本をどうにかして助けたい、復興の手助けを担いたい、その熱意を感じとっていただけますでしょうか。
この投稿を読んで賛同してくださる方、是非、お声をかけて下さい。

一主婦である無給、無学の私には一人で事を始めるにはいろいろな困難があります。でも、もしここに上げた提案に賛同して下さる方、団体、会社、自治体等がもしあるのならば、これから理想を現実にかえる仕事を一緒に進めてはいけないものでしょうか。


第一次大戦以前でさえ、ある経済学者は、平和時の世界の通常の仕事は、合理的な国際組織があれば一日四時間でできる、と計算していたと言います。


そして、その実、明治四年(1871年)に日本を訪問したオーストリア人外交官、アレクサンダー・F・V・ヒューブナー氏の著述によると、「日本人の普通の日の生活は、四時間も働けばもう十分というもので、もはや遊ぶことしか頭にないのである」(新人物往来社 オーストリア外交官の明治維新より)と描かれているのです。今は最低八時間勤務。社会は平和ではなく、合理的ではないということでしょうか。


平安時代、江戸、明治時代など平和を謳歌していた日本では確かに毎日の仕事は四時間程度であったらしのに。または、仕事と遊びが混同しているので、休み休みのながら仕事でそこにはいつも冗談、しゃれ、笑いがあったようです。それでいて、万事はおおらかで、心安く安泰な日々。

同じく明治時代に、1888年と18999年の二回にわたり、日本を訪れ、華族女学校や、東京女子高等師範学校等で教鞭をとったアメリカ人のアリス・ベーコン女史は、その著書、「明治日本の女たち」のなかで  ~日本人は理想を実行に移す能力を持つ国民である~  と述べてくださっています。私もそう思います。

未知の世界を模索するようなのは先の見えない不安な展望ではなく、日本の利点は、過去、しかも非常に近い過去に実績のある事柄に戻るという心強いよりどころが既に存在していることです。古き良き日本を愛する人が多ければ多いほど、その理想が現実のものとなるまでの時間は短くなります。それぞれの人の心の奥底にある私の愛する日本の部分を取り戻すよう、各人が取り組めば、日本の将来は明るくなると信じます。(2011年3月)


 一主婦の提案する震災復興構想50


1)不動産業界が一体となって全国の空き地、空室情報のデータベースを提供し、
震災で家を失くした人に情報を提供する。


2)リゾートマンション、別荘、保養所、研修センター等、常時人が生活していない住居を震災被害者に提供する。


3)被災を受けていない地域で、親と離れ離れになった孤児、子供の一時的な里親、あるいはホームステイ先、疎開先として受け入れ意志のある家庭を全国から募集する。その際は家族としての受け入れを前提とし金銭の支払いは発生させない。 


4)大学生は自分の専攻分野を生かす実体験として、復興作業に一定の期間携わる
大学はそれを単位の一部と認める仕組みを作る
   

5)大学は被災者の中で将来のために勉強をし直したい人を無償あるいは被災者特別字編入制度などで大幅に受け入れ枠を開放する。被災者は大学の寮、学生向け下宿先、アパートなどに優遇して入居できるようにする。

6)仮設住宅は、NHKの連続ドラマにあった「ちゅらさん」にあったような下宿型の建物を多く創る。下宿人は、被災者だけにせず、大学生、ボランティア、地元の公務員独身者等の独身寮の意味合いも含め、違った風を常に外から持ち込む人間の集まる場とする。様々なバックグラウンドをもつ人間の出会いの場にもなり、共同生活により孤独感が解消される。中には結婚につながるケースも生まれることでしょう。シェアハウス、家主さんのいる下宿、いろんなタイプがあっていいと思いますが、家主さんの存在は、下宿人たちにある種のいい感じのリスペクトを生み、大家さんを軸に勝手放題もできにくくなり、いい意味での気配りができる人間成長の場となると考えます。

7)仮設住宅の中に必ず公会堂を建てる。
公会堂では大広間、中広間をいくつか設け、外部と仮設住宅利用者との応対の役割をさせると共に、書道、華道、絵画など、お年寄りを中心に趣味の活動の場を提供する。また、坐禅会などを開き、禅の食事作法「五観のげ」等を通じて、要求することだけを知り、感謝する気持ちを忘れがちな生活態度に節制を加える。また禅の食事作法は水を使わずにたくわんとお茶で食器をきれいにするなどの知恵も多く、断水した状況の中では学ぶところの多いと思います。


8)仮設住宅地専用の郵便局出張所を置く。
大切な人に手紙を書く、手紙を受け取る、贈り物を送る受け取る場所を確保しておく。もし家が崩壊したりして住所が不明になってもその区域、地域でその住民宛の郵便物を留め置きすることができたら、そこを頼りに連絡を取り合える人が出るかもしれません。郵便局員さんというのは地元の人をよく知っている方が多いですから。    

9)仮設住宅に出前を扱う食堂を置く
自宅に好みの食べ物を自転車に乗って届けてもらえるエコ対策兼、人間味のある食の提供方法。

10)仮設住宅地帯に学食、社員食堂のような給食センターサービス導入する。
業務用設備で大勢の食事を作ることが可能な上、安くてメニューが豊富。被災地では非常に重宝するはず。


11)大学生で被災地に出向いて復興の手助けをしたい人、また被災地で大学に通いたい人を互いに交換して国内交換留学制度を作る。その窓口組織を大学内で立ち上げる。現役大学生の現在の生活場所に被災者がホームステイし、被災者の生活場所に大学生が入る。互いの体験を交換しあう。

12)芸人(芸能人を含む)、芸術を仕事とする人は、その才能を被災者を力づける  ために発揮すべく、避難所、仮設住宅地の公会堂に巡業公演に出かける。

13)全国の給食センターは通常の倍以上の稼働率とし、出来上がった食料を必要な所へ届ける。あるいは、運搬会社が引き取りに行く。

14)全国の農業組合、漁業組合員は、同業者を招致して震災前の仕事と同じものを提供する。住居は受け入れる自治体が優遇する。

15)壊滅した地域を、この際理想の環境に優しい土地として、まっさらの状態から現時点で理想とされる最良の設備、システムを導入した、世界初の経済を軸にしない社会活動のできるコミュニティーをテスト構築する。
例えば、二酸化炭素排出ゼロの車、ノープラスチック、省エネ社会等、現在人類が理想としている状態を率先して構築していく。


16)美容師、理容師、指圧士、エステティシャン、リフレクソロジー等、
被災者になんらかの休息、リラクゼーション、気休めの時間を与えられる
職業につく人は、それぞれの団体で組織をつくり、被災地を回ってサービスを
無料提供する。


17)国立公園の建設
   壊滅された地域を含む東北地方の広大な地域を国立公園に指定する。
   そこで鶴や、トキなどの生息可能な環境つくり、伝統芸能の常住、
   きれいな水確保の確立等、国の財産を保護する場所を作り直す。

18)農業、漁業、稲作、果樹園等の食料生産者たちの人数を増やし、国内食料自給率を上げるため、被災者の希望に応じて新しい土地で生活再建を行えるよう全国規模で農地改革事業を行う。


19)過疎地域で、学校の生徒が定員に満たない学校は孤児を積極的に受け入れ、
   その学区内のPTAにて親を失くした子供の受け入れ意志のある家庭を
   募る。


20)東北寺(仮称)の建立
被災地の瓦礫を一箇所にあつめ、小高い山をつくり、その上に大きな寺院を建立する。京都や奈良、鎌倉などの昔の大仏に匹敵する、今回の大震災で亡くなられた多くの御霊を祭る仏像を建てる。国宝を建立する心意気で、日本古来の伝統技術保持者を総動員する。この寺を永続させることで、被災者の心の慰めの場、憩いの場、
平安の場を提供する。


21.互助会制度の確立                          中学、高校の生徒は部活動を一時停止し、放課後を奉仕の時間とする。
学区域で2、3時間程度の手伝いの必要な家庭、職場を訪れる。
手伝いを望む個人、家庭、企業は学校に内容を申し入れする。
市内のタクシー会社が生徒の学校から手伝い先、さらに自宅までの送迎を担当。
手伝いの内容は、小さい子供の遊び相手から、お店番、電話番、掃除、お年よりの話し相手、夕飯の買出し、公園や神社の掃除、農作物の収穫や、雑草とり、出前の配達、引き取り、郵便物の仕分け等、ありとあらゆる人手があると助かる雑務。人との交流を常時体験させ、人に感謝される喜びを、社会に一役かっているいう満足感を体験させるのがねらい。また、長い目で見れば彼ら彼女らが大人になったとき、ちょとした手助けが必要になったとき、昔自分たちが学生の時にした小さな手助けを今度は受ける立場になり、結局は相殺され、お互い様となるのだから、お金を払ったり受け取ったりする意識は必要なし。その分、大人たちは復興に向けたエネルギーを蓄え、専念し、心の余裕が生まれてくるかもしれない。


22).ロボットの活用
現時点で実用化されているロボットの利点を最大限被災地で活用する。人間が入っていくのに危険な場所にこそ、ロボットの役割の意義が発揮されるべき。


23)電気自動車、電動バス、電機自転車等の活用
石油不足が声高に叫ばれるならば、今こそ、電気自動車、電動式スクーター、電力自転車など、石油を使わなくとも利用できる移動手段をどんどん送り出す。


24)スポーツ選手によるがれき除去、土地整備
平均以上の体力に恵まれているスポーツ選手は、その与えられた才能をこういう時にこそ、社会のために生かすとよい。娯楽、スポーツ、レジャー活動は、この大災害が一定の安定に達するまで縮小、自粛とし、その代わりに被災地で体力のいる力仕事等に積極的に関わる。休みの日には地元の人と自分の専門のスポーツを教えてあげたりして、被災地の人に元気を与えることもできるはず。

25)海路、水路による輸送の見直し。Japan Waterway Project の立ち上げ
陸路が断たれたのなら、海、河川による海路、水路運送を見直し、道路の再建と平行して、船による航路の再開拓も合わせて行う。場合によっては水路開発のほうが利点が多いものもあるはず。日本は島国です。シーパワーに目を向けるのが自然ではないでしょうか。大陸国家とは別の日本に合った海洋国家のスタンスをとる方が理にかなっているはずです。国土交通省や各種交通機関は全国の都道府県に、鉄道と並ぶ、航路を利用した移動ができるシステム、港、フェリー、海運業の構築。JW(Japan Waterway)プロジェクトの開始。世界で一番かっこいい自然にに優しいエコウォーターウェイを作りましょう!

26)リサイクルショップの活用
全国にあるリサイクルショップは自治体とタイアップし、必要品の供給先のひとつとなる。

27)学習塾、各種お教室の活性化
学習塾、各種教室を主宰する先生、指導者は、その指導内容をインターネットでいつでも受講可能にする。学校や教室が使えなくても、一人でも、場所がなくても、夜でも週末でも、インターネット環境があれば、被災者達は勉強をすることが可能。パソコンは国、自治体が無料提供。生活にめりはり、子供たちの学校教育の補充、潤い、やる気の受け皿を確保する


28)環境に優しい街づくりの先がけに
がれき除去、物資の供給などこれから継続して進めるあらゆる作業において、環境に優しい方法で取り組む。プラスチックを利用しない、有害物質を出す道具を使わない。

    
29)銭湯をつくる。
日本人にとって入浴、お風呂は欠かせません。避難所や仮説住宅の近くになるべく早く銭湯を作り、憩いの場を提供する

30)老人ホームと保育園を合体させた複合施設を建設する。         老人ホームの入居者は保育園の掃除や給食の準備片付け、本の読み聞かせなど、自分のできる範囲で手伝えることが多くあるはずです。幼い子供の笑い声やお世話はお年寄りに日々の喜びを与え、また園児たちはおじいちゃんおばあちゃんとの交流から多くを学ぶことができる。園と関わりのあったお年寄りが亡くなった時は園児は葬儀に参列し、人生のサイクル、死というものを幼いうちから自然に体験する場を持たせる。可能であれば臨終に立ち会うことができればなおいい。それこそが生きて行くことへの真の学びとなるはずだから。

31)過疎地域は、新しい生活の基盤を提供すべく積極的に被災者の転入を受け入れる体制を打ち出す。


32)失業率、離職率の高い会社、後継者不足に困っている地域は様々な優遇措置を提供し、被災者のこれからのよき生活拠点となるべく、受け入れ充実策を打ち出す。


33)石油製品の製造、利用を意識的に止めていく。


34)文部科学省が率先して、今後10年程度義務教育に、復興の手助け、またその地域性を生かした農産業の体験を必修とする。ハイテクと農業を掛け算したハイテク農業産業を構築する。


35)通学団をつくって集団登校、集団下校をする。
小学4年生以上の子供は小さいこの世話をすることを学び、通学団長をつくり、子供の集団社会を作る。

36)往診のすすめ
厚生省、保健所などは率先して医者の往診を奨励するシステムを構築する。
往診してもらえたら助かる人々は、どれだけありがたがることだろう。

37)薬草畑を作る。
医薬品の不足は、クスリは箱に、カプセルになった形でないと使えないという固定観念によるところが大きい。雑木林を作り、薬草をたくさん育て、必要なときには薬局だけでなく、薬草畑もに取りに行けるようにする。元を正せば、薬の成分は薬草からきているものも多いではありませんか。

38)修学旅行は向こう5年間程度、被災地復興作業にあてる。

39)駄菓子屋を復活させる。
   昔あってよかったもので復活するといいなと思うものの一つ。

40)林業を国の基幹産業の一つに位置づける。
日本の国土は7割が森林なのだから、その地の利をいかすべき。
木から作られる物以外にも、水、土、酸素も同時に提供してくれる森。
森作り、その維持に英知を注ぐ。農林水産省は職場を東北に一部転地する。

41)ガソリン車乗り入れ禁止区域を作る


42)歩道、自転車道、自動車道と道路を別々に作る


43)戦前のライフスタイルを、現在の時代に即した形に融合し 新しい自然に優しいライフスタイルを打ち出す。
    

44)撤去した瓦礫は平地にあつめ、高台をつくる。
将来の津波に備え、平野部に必ず高台を作る必要があるでしょうから、高台、こんもりした丘をがれきを積み上げて作り、その上に慰霊の碑、神社、寺院を建立。この高台は東北大震災の時の瓦礫で作られたことを忘れないように、シンボルを作る。将来の津波の際には避難所としてもできるように設計する。


45)和食、旅館、伝統工芸店など、日本らしさを大切にする場所は、着物を着用する。日本文化の復興。


46)道場をたくさん作る。  


47)職業教育現場の設立
徒弟制度の復活導入。特に伝統工芸、寿司、醤油、味噌、酒屋、宮大工、漁師など、8年~10年にわたる徒弟修業を経なければ一人前になれないとされる職業に対し10代の学生受け入れ制度を設ける
不登校、学校に行きたくない子には別の教育現場という選択肢が広がってよい。


48)全国の中高、短大、大学、各種学校でがれき除去、復興支援ウィークを決め、被災地の自治体の要請に応じて瓦礫除去作業やサポート活動を行いに出向く。宿泊、食事は原則参加者もちとする。


49)被災地支援ボランティアカードを発給し、それを所持する人は交通機関を無料で利用することができるようなシステムを作る。お札のようなイメージ。

50)被災地復興開発機構の専用事務所、ビル建設
少なくとも今後10年、20年を被災地の復旧、新開発のみを専門に従事する行政、団体、会社、宿泊施設、学院、会議場、研修所、医療機関、学校、食事設備公園等を合わせ持った大学の複合キャンパスのような、ある程度広域な特別行政区域を作り、そこを本部とする新しいコミュニティーを建設する。
  
復興を目的とした一つの大きな町を作ることになるので、数万人の規模の住民を 見込む。現在職を失っている人、捜している人、転職したい人は、全てをゼロから築き上げる覚悟を示すこととし、現在住居を持つ市区町村の役場で市長を前に宣誓をし、行政発行の宣誓書確認カードを持って、この地域に転入、就職を保障されるものとする。

どれかお役に立つ構想はありませんでしょうか?               どなたか、緒にやりましょうと賛同していただけませんでしょうか?


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