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スティーブ・ジョブズが魅了された越中瀬戸焼作家、釋永由紀夫氏

アップル創業者、故スティーブ・ジョブズ氏が日本にインスピレーションを求め、禅に深い関心を寄せ続けていたことは比較的世によく知られるところだと思う。

iPhoneや iMac などのアップル製品には、余分なものを限りなく排除したシンプルな禅の精神が詰まっているといわれる。スティーブ・ジョブズと禅については既に多くの書籍や記事が出ているのでここでは触れるつもりはない。

しかし、彼には禅以外にも深く惚れ込んでいた物、人物があったことを皆さんはご存知だろうか。

越中瀬戸焼

そしてこの瀬戸焼を創作する代表作家、釋永由紀夫氏、である。

越中瀬戸焼とは、富山県は立山にある桃山時代から430年以上続く、知る人ぞ知る日本の誇れる陶芸文化の一つである。

1996年4月、釋永由紀夫さんは京都での初個展を開いた。同時期にたまたま京都に滞在していたジョブズ夫妻は、どこからか越中瀬戸焼の個展があるという情報を聞いた。その瞬間、ジョブズはこの釋永さんの作品には何か特別なものがあると直感したという。果たしてジョブズはギャラリーの中に展示されている越中瀬戸焼に惹きつけられた。

ジョブズは作家の釋永さんを探し、どんな土を使って作るのか、どうやって製作するのかなど様々な質問を始めたという。釋永さんが「地元の山で採れる白土という粘土を自分で掘ってきて、それを使って作っています」と答えると、ジョブズは非常に驚いた。

ほとんどの陶芸家は材料は業者など第三者を介して入手するのが常だが、釈永さんは土の状態から作品の完成まで全部を一人でこなしている。そんな人は世界中探してもお目にかかることは、ほぼ無いであろう。こんな稀有な人を見つける、出会う、そういう才覚、慧眼をスティーブ・ジョブズはやはり備えていたと言える。

ジョブスは一週間の個展期間中に三回も足を運び、その度に釋永さんに土や窯に関する質問を繰り返した。そして最後に展示作品の多数を購入すると共に、更にいくつかの注文制作の依頼を残してギャラリーを後にしたという。

この芸術家は単に焼き物を作るだけでなく、自ら地元の山へ出向き、歩き、粘土を探し、採掘し、家へ持ち帰ってそこから良質な白土だけを選別し、丁寧に材料を作る。そこまで丹念に準備をして自らが作った材料を手に制作に取りかかる。

この話に痛く感銘を受けたジョブズ氏は、釋永さんが白土を採掘しに行く山に、是非自分も行ってその白土を見てみたい様子だったが、京都から小一時間で行けると思っていた富山は日帰りは無理なところだと聞くと、がっかりして断念したらしい。

以後、アメリカへ帰ってからもジョブズは釋永さんに個人的に制作依頼を続けたそうである。ジョブズ氏が亡くなった後、親交があった人としてインタビューされた釋永さんは、こんなエピソードを伝えている。

「彼から最後に頂いた依頼は、”これまでとは違った新しい抹茶盌(Macha Tea bowl )でした。ご希望は”茶盌の内側は黒釉にして欲しい。それ以外は形も総じて自由に作ってみてくれ”ということでした。私は自分が思いを温めてきた大きな面取りを施した茶盌150個余りを窯に入れました。そして自分で納得のいく作品をジョブズさんにお届けしました」

越中瀬戸焼のホームページによると、釋永由紀夫さんは幼少の頃、おじいさん釋永庄次郎に連れられて、雪解けしたばかりのまだ寒さの残る春の山間へ粘土掘りに行ったそうである。そこで祖父 庄次郎さんは、土を舐めて粘土の質の良し悪しを感付けした、との思い出が語られている。

これぞ、生粋の究極の日本の匠の技ではないか。

”土を舐める”とは!

そして

”土を舐めて良し悪しがわかる”、とは!

私は深い畏敬の念を禁じ得ない。

舌という感覚器官を使って粘土の何を感じるのだろう。やはり味だろうか。粒子の細かさや粗さか、または別の要素だろうか?

粘土の良し悪しの区別がつくようになるには、どれほどの研ぎ澄まされた感覚と豊富な経験、そして混じり気のない純粋な人間性が必要であろうか。

私は驚愕する。

”精魂込めて作る”、という仕事を真に実践しているのは、正しく釋永由紀夫さんのようなお方だ。

日本語に、”雅”という上品さ、優美さを表す美しい言葉があるが、釋永さんの手にかかった作品こそ、この”雅”という言い方が相応しいと思う。

自然と人間が見事なまでに同化融合しているマジカルな世界、その神々しいまでのお姿を釋永さんのお話からまざまざと見せて頂いた気がする。

この記事を執筆するに当たり、私は直接釋永さんにメールで問い合わせをし、記事の内容の正確さをご本人自身に確認して頂いた。

釋永さんは、製作時の心がけとして、こう返信を下さった。

”土に触れ、作ることで、真実を求め続けたい”

この素晴らしい越中瀬戸焼は、現在は五窯、5人の作陶家と県外からの2人の研修生の、たった7名で伝統を引き継いでいる。

この凄さ、素晴らしさをもっと多くの人に知ってもらい、今後も越中瀬戸焼が途絶えることのないように、という切なる願いを込めて、この記事を書かせて頂いた次第である。



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