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おばあちゃんのおひざもと 第24話 アメリカ人の妹

「缶詰のコーンビーフや小麦粉、バター、チョコレート、コーヒー。そんな当時はアメリカ人にしか手に入れることのできなかった食べ物やなんかを終戦直後に妹が時々届けに来てくれてねえ。妹は私と違ってアメリカ国籍だから日本人には手に入らない物をアメリカ軍から手に入れることができたの。物がなかった時だから助かったよ。妹は戦後、東京の本郷にあるATIS(The Allied Translaator and Interpreter Section) っていう軍の情報機関(Intelligence agency) に勤めてたことがあって、進駐軍のためにそこで数年翻訳の仕事をしてたの。その時にPXっていうアメリカ軍のお店に出入りができたから、時間を見つけては電車に乗ってここまで物資を届けにきてくれた。アメリカ人は電車に無料で乗れたらしいよ。丁度妹が東京にいた時期がおじいちゃんがテニヤン島に行っている時期と重なってて、おばあちゃんは一人で幼い二人の子供と生活していたから、妹が会いに来てくれるのがすごく楽しみだった。妹は妹で「千葉にあるお寺に嫁いだ姉がいるんだけど、今旦那が遠い島に行っていて一人でお寺を守ってるんです。小さい子供の世話もして大変なの』ってアメリカ人の同僚に話したら、『それは会いに行ってあげないと』って言われたって。それで休みになると、しょっちゅう食べ物とか日用品を届けに来てくれた。職場で日本人はビタミン不足で脚気に困っていると聞いたらしくて、グレープフルーツやオレンジを一杯持ってきてくれたこともあったよ。

おばあちゃんはこの田舎で寂しく暮らしていたから、妹が来る知らせはいつも嬉しくて、太海の駅までワクワクしながら出迎えに行ったっけ。春子は両手に抱えきれないくらいの荷物を持って電車を降りてきて「お姉ちゃん、元気?」ってね。"My niece,  my nephew , 私の姪っ子、甥っ子”ってお父さんとおばちゃんのことを、それはそれは可愛がってくれてねえ。一杯遊んでくれた。私は戦後の混乱期、なかなか親には会いに行くこともできなかったから、その分妹の存在はとっても大きかった。春子は私より10も年下だから、おばあちゃんにとっても昔からずっと可愛い妹だった。春子が家にいる間は、「春、春」って暇さえあれば、何度も名前を呼びかけて。本当に嬉しかったねえ、あの時は。」

*この本は第1話から46話まで、順番に各章の最初の頭文字一音をつなげていくと、あるメッセージ明らかになります。さて、どんなメッセージでしょうか。

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隠されたメッセージ。いろはかるたの小説版。最初から最後の章まで、各章の頭文字を書き出していくと、最後にこの本の核心が明らかになります。かるた同様、お遊び感覚でも楽しめる本です。

大正3年、1914年にアメリカに生を受け、22歳までに3度も船で太平洋を横断し日本とアメリカを行き来したおばあちゃん。ロサンゼルスの大都会…

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