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出会いたかった絵本

絵本なんて、こどもが読むものでしょう?

今よりずっとむかし、
年端もいかないきみは、
絵本というものが好きで、
絵本に育てられてきたことも きっとあったのに、
絵本から離れてしばらくたつと、
すっかりそんなこと忘れて、
絵本を読み聞かせる側になった。

「娘の好きそうなものを」
「年齢に合ったものを」

そんな目線で選んでいたのは、なんだかピンとこない、根拠のない「正しい気がする」の中を、
彷徨って手探りに掴んだものだった。
もちろん親は子どもの手の届くところから、
有害なものを排除する責任がある。
しかし、そういった場面ではなく
広い世界を見るための階段を封鎖してしまってはいないだろうか、とふと思ったのだ。
私が娘の未来性を推し量れるほど、彼女の豊潤なイマジネーションは狭くはない。
何が娘のためになるかなんて、分かりようがないのに。
そう感じてから、たくさんの絵本を図書館で借りていくうちに、少し選び方が変わってきた気がする。
どの絵本も素敵だ。
でも、私自身は"気配"のする絵本が好きだ。
ずらりと肩を揃える物語の中から、今日はその気配に気づけるだろうか。


よく行く雰囲気の良い喫茶店。
濃い赤茶色の木造の階段には、左側に棚があり、沿うように本が並ぶ。
恐らく専属の選書スタッフがいらっしゃるのだろう。
何にしたって、この可愛らしくお洒落な珈琲店にぴったりのユニークな先鋭たちだからだ。
スタンドライトの落とした照明は、絹のように柔らかく行き届き、その灯りの先にあるのは囁くような背表紙だ。

ベストセラーじゃない。
帯の鋭い活字が、心をざわつかせない。
買ってよ!と押しつけてこない。

こちらをじっと見つめるように、私の膝くらいの高さにそろりと潜んでいた1冊の本に出会う。


「かげ」 スージー・リー



絵が好きだった。
開いたら、ざわりと鳥肌が立った。
木炭で描いたような荒々しくて躍動感のある、気持ちの良い線。
文字や台詞がほとんど無く、黒と黄色と白のみで構成された色彩。
登場する女の子が影遊びをしていると、しだいに倉庫に置いてある自転車や掃除機の影が、どんどんと姿を変えてゆく。
この絵本は上下に開いて進む形式だ。
現実世界が上で、下が「かげ」の世界だ。
物語が進むに連れて、その境目がなくなってゆく。
私はぐるぐると絵本を回しながら読んだ。
立体的な物語の構成に、絵本上に登場人物のホログラムが浮き出てくるイメージさえできた。
緊張感と、照明、舞台の演出を感じるような、実験的な見せ方だ。
しかし大変にシンプルである。
親しみやすい、可愛らしい、説明的、教育にいい、「そうあるべき」なんて一掃して、
この作品は私の胸を撃ち抜いた。
刺さったそれは、好奇心の矢だった。

あぁ、「私が」娘に読み聞かせたい本を見つけた。


辺りは、じきに濃い紫の夕闇に包まれる。

家に帰った私は、娘と向かい合って
「今日は、とっておきの絵本があるよ。
電気を消してみて。」
そう言って、
白い壁に影が浮き出るように、キッチンの小さな照明のみにして。
準備は万端。

この世界を見たきみは、どんな顔をするだろう?
どきどきしながら、私はページをめくった。

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