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『哀れなるものたち』は、わたしたち

映画『哀れなるものたち』
このタイトルは哀れなる(愛すべき)ものたち
そう、あなたたちへ。
というようなメッセージを感じる。

※この記事は個人的な感想です。
作品の内容に触れる表現がありますので、気にされない方だけお読みください。

天才外科医によって蘇った若き女性ベラは、未知なる世界を知るため、大陸横断の冒険に出る。時代の偏見から解き放たれ、平等と解放を知ったベラは驚くべき成長を遂げる。 鬼才ヨルゴス・ランティモス監督&エマ・ストーンほか、超豪華キャストが未体験の驚きで世界を満たす最新作。

Filmarksより


マッド・サイエンティストによって胎児の脳を移植されたベラはまだ見ぬ世界の旅へ出る。
あらすじを文字だけで伝えてしまえば、「エグい」(この言葉はあんまり使いたくないけれど)と感じて、拒絶反応する人も居るかもしれない。
カルト的な生い立ちや登場人物の善悪を問うところで議論してしまえば、この旅の最後へはたどり着けない。
本質きっとは、タブーの奥の茂みにある。

物語の中では魚眼のように湾曲した画面、覗き穴から見えるシーンがある。
このトリック的な技法は何を訴えているのだろう。
私達の世界を見つめる認知のゆがみや、客観性?
覗き穴は胎児の目線のようにも見える。
それとも体の持ち主、命を断った物いわぬ女性の視点だろうか。
SF要素を盛り込んだ展開、見事な衣装と奇妙なセットの美しさで観客の脳をビリビリと刺激する。さぁ未知の世界だと、信号がやってくる。
そうだった、人は生まれながらにして冒険や知識を求めるんだ。

私は現在3歳の娘を育てているが、だだをこねて暴れる姿や、にこにこと皿を割る様子、無防備に寝ているときの心配になる首の角度など、エマ・ストーンの演技はまさに「それ」だった。
その姿に母性本能が湧いてきて、よりベラの行く末を見届けたくなる。
彼女の管理や安全を思うあまり、生みの親であるゴッドウィン・バクスターが外出を禁止し、助手のマックスと結婚を決めたとき、ベラはこう言った。
「このままでは、憎しみで心が腐ってしまう。」
と。怒りをもって訴えた言葉にゴッドは納得し、ベラは孵卵器のような屋敷から外へ行くことを許される。
彼女に興味を抱いた放浪者の弁護士ダンカンと、性的好奇心と共にめくるめく旅は進んでいく。
新芽がぐんぐんと成長するように「生」を吸収する姿は逞しい。
ベラは圧倒的に強い光のようだった。その魂の輝きは人を魅了させる。
たとえ本能のままにエッグタルトを食べ過ぎて吐いたとしても。

豪華客船で出会った、老婦人と若い男性のカップルから教わった読書とディスカッションのような会話、貧困層との格差、パリで自ら選んだ娼館での労働。
大人のおとぎ話は刺激に満ちたエクスタシーや、時に残酷な現実が頭をかち割ってくる。
ベラはそれらに真っ向に立ち向かい、嘆き、自分の頭で考え、理論を組み立て、正しさに従う。
私の運命は誰にもゆだねない!と、舵を切る姿がくっきりと見えた。
旅を終えたベラは、ゴッドとマックスの居る屋敷へ舞い戻る。
終盤、ある男の傲慢さで母の自殺の動機が明らかになるが、ここでも自分の心で感じた「違和感」に手を挙げる。

自らの体と魂を使って経験する。まるっと飲み込んで養分にする。私もこの貪欲さを身に付けたい。
この映画が童話のようで、かつ現代的でもあるのは、他者にコントロールされず、社会的に解放されていく女性の生き方が色濃く出ているからなのかもしれない。

エンドロールの最後、脳みそを想起させる模様のレリーフをバックに「POOR THINGS」(哀れなるものたち)でスクリーンは暗転する。
席に座ったまま考える。
どうだろう。ベラの生き方に何かを学び、私の脳みそのシワは増えただろうか?
ダンカンのように他人に依存せず、ある男のように誰かを支配しようとしてないだろうか。

目を閉じてもまだ、鮮やかな異国の風景と、彼女の強い眼差しが私を刺している。

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