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「情報」を上手に扱うには自分軸を持つ

*この記事は3分で読めます

新型コロナウィルスによって外出の自粛を余儀なくされ、我々の情報に対する感度が試されていると感じます。特に在宅勤務になって思うのですが、情報の捉え方や情報を取りに行く姿勢によって、今後人々の能力に差がついてしまうのではないかと懸念しています。

僕は現在マーケティングを支援する仕事をしています。役職上、意思決定する方たちとの仕事が多いのですが、そこで気づかされるのは「いつ、なんの情報に基づいて意思決定をしているのか」ということ。例えば現在のコロナ禍は先行きの見通しなど誰にも予測がつきません。しかし政治家や経営者はそれでも意思決定をしなければならず、その際にどうやって情報を仕入れて仮説を立て方向や方針を出すのか。それには、自信を持って行える人とそうでない人の差が明確に表れると思っています。

最近、ワイドショーでこんなことが起きました

東京都のコロナ患者の感染数が少ないことに対してのスタジオのやり取りです。名物社員が「土日は行政が休んでいるから数字に含まれていない。民間だけの数なので少ないんだ」と声高に主張します。ゲストの大学教授やメインキャスターを含め3人でのコメントの応酬が続くのですが、この情報は何に基づいて、なにを根拠に主張しているのか、というソースをこの名物社員は「スタッフが確認を取ったので」と言い切りました。

しかし残念ながらこの情報は誤認でした。

行政は土日も検査をしていたし、感染者数は行政で行った数字も含まれていました。このテレビ局と名物社員は一転して謝罪のコメントを出さざるを得ない状況に追い込まれ、関係各所に相当の影響を及ぼす結果となります。

これを「けしからん!」と否定するのは簡単なことですが、実はこれは我々が情報を扱う上でとても大事なことを教えてくれています。これこそが今回の記事で伝えたかった事、気を付けなければならない事だと感じているのです。

一次情報を取得してそれを元に考える習慣をつける

僕の前職は出版社でした。ここでは多くを学んだのですが、そのなかでも特に印象に残っているのは「一次情報がすべて」ということ。

例えば新聞で殺人事件の記事があったとします。その記事の内容は、

① 〇〇という場所で人が殺された
② 凶器には包丁が使われた
③ 被害者は〇〇歳の男性
④ 加害者は〇〇歳の女性
⑤ 動機は内縁関係からのもつれ
⑥ 近所の人の話
⑦ 知り合いの話
⑧ 警察からの犯人の様子

ということが書かれていたとします。

ここで重要なのは①~④が事実で、⑤~⑧までは「かもしれない事実」ということ。もちろん⑤~⑧も正しい事実の可能性もありますが、情報を自分の中で咀嚼して、なにかを判断する場合には①~④で十分なのです。「殺人があった。男性が女性に殺された」という事実こそが重要なのです。

事実確認しない情報は権威が失われる可能性も

先ほどのテレビの話に戻しましょう。実はこれには尾ひれが付いてしまいました。この名物社員が発言したのは午前中だったのですが、午後のとあるワイドショーで、長年夜の報道番組でメインキャスターをしていた大物フリーアナウンサーがこの情報を肯定したのです。瞬間、事実が異なるということでその場で訂正が入りましたが、その大物フリーアナウンサーの情報元が名物社員だったのです。長年報道番組を取り仕切っていた人でもこのようなことが起こりえます。

「情報」を上手に扱うには自分軸が大前提

コロナ禍で我々の情報感度も相当数落ちていると自覚しましょう。人と会う、街中で景色に触れる、喧騒の中で人々の雰囲気を確認する、これらが制限されている状態でテレビやネットを見ていれば当然その中で人間はアウトプットしていきます。

結論。「情報」を上手に扱うには

① 多面的な情報に触れる
② 事実だけを咀嚼して自分なりの考えを出す

という普段からのクセ付けがとても大切だと思います。僕も普段はTwitterを多用していますが、あくまで情報のひとつとして考えるようにしています。情報が錯綜している今だからこそ正しい情報がどこにあるのか、この人の発言はどこから来ているのか、という自分の中での軸をしっかり持って日々の判断に役立てたいものです。

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