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観たメモ:「リップヴァンウィンクルの花嫁」

SNSで知り合った人達に、自身の人生を作り上げられていく物語。現実と架空の境界線が、すごく曖昧で面白かった。
この物語を観て思ったことは「現実と架空の世界」の境界線についてと、「幸せ」を感じる瞬間はどこにある?という事です。

身の回りに起こっていることは、全部現実なのだけれど、誰かの頭の中で作り上げられた精巧なストーリーのパーツでしか無いかもしれない。自分自身が選択して選んだ道だ。と考えて立っている場所が、誰かに操られて、連れてこられた道かもしれなくて。そう考えると、現実なんて実は存在していなくて、全てこの世界は空想の世界なのかも。とファンタジーな事を想像しました。もうひとつ言うと、空想や仮想の世界に住んでいる方がとても精神的に楽だなとも感じました。起きている物事を真っ白な心で直視していたら、辛くて耐えられないかもなぁと。今、食べているご飯は、そこにあるから食べてる。お腹が空いたから食べている。それに以上に意味はない。のかもしれないけれど、それではなくて、自分で勝手にストーリーを作って変換・演出させる。今、食べているご飯が美味しいのは、一緒に食べている人が大好きだし、食べたくて食べたくて仕方がなかったから、お腹がすごく空いているのも今日一日とても楽しかったから、ものすごく美味しく食べれるんだ。みたいに。今起きている物事に意味を持たせて、どうにかポジティブな感情に変換させたくて、空想や架空の世界に居座るのかもしれない。意味のない物事をものすごく意味があるようにみせて、感情を高ぶらせて、その感情の高ぶりを感じる事で「あーー。わたし生きてる。幸せ」と自己満足に実感できる都合のいい演出作業。

この物語では、新郎新婦の親族・友人が実は代行サービスの人達。という結婚式のシーンが何回か出てきました。(世の中にはそういう仕事もあるらしい…)それらの人達によって体裁だけ取り繕われた結婚式は非現実的な幸せ空間を作り上げています。結婚式は、「架空」の「幸せ」な世界が、分かりやすく表現しやすいシーンと思いました。それは生きている中で、強く「幸せ!」と感じる瞬間って、どこか非現実的な夢見心地な気持ちになっている事が多いなと思ったからです。
体裁だけ作られた空間で、新郎新婦も、代行サービスで来たエキストラの人達でさえもその空間を楽しそうに過ごしているのが印象的でした。意味のないからっぽの箱が、だんだん意味がある物に人の頭の中で変換されていって、現実では味わえない幸せを参加している人達が感じているんです。ただそこにいるだけで、メリーゴーランドみたいにぐるぐる回っている。動いているは自分自身じゃなくて、周りが動いているだけ。でもそこに立っているだけで、だんだん幸せに感じてくる。幸せの空間にいるのは麻薬みたいだなぁとおもいました。
現代の人達は、架空の世界にできるだけ長く身を置いて、沢山の幸せを感じているんじゃないの?と言っているようにみえました。

どちらかというと幸せ不感症の主人公は、幸せを求めて架空の世界へどんどん入り込んでいきます。幸せを感じる世界に身を置きたい。って。でも物語の途中で突然、突き放され、「ここから出て行って、好きな所に行きなさい」と言われて、あてどもなく現実をさまよいます。「助けてほしい。でも、わたしは、今どこにいるか分からない」と、主人公が泣くシーンがありました。ここが、すとーんと、現実に落とされた穴かなぁ。と思いました。現実を直視する耐性がすごく低くてすぐパニックになってしまうかんじ。
そして幸せ感度が高い人は、架空の世界で生きる事をやめて、現実へ落ちていきます。感度が高すぎると、この世の中は「毎日が幸せすぎて苦しくて辛い」そうです。幸せが過剰に演出されている現代は、誰も現実に起こっている物事を直視してくれない。それは即ち、誰も本当の私を知らないし見てもくれない。と言っている様でした。

と、いいつつ私も割と毎日、空想の世界で生きている住人なので、このぽやーっとした白昼夢のような物語がすごく好きでいいなぁ。と思いました。不確かなものを確かなものへと自己変換していく毎日の淡々とした作業。というか。そして「清潔で純白な女性」という目線が強いと個人的に感じる、岩井監督の演出がとにかく自分好みです。あとはCoccoがすごくよかった。純粋でかわいい役柄。

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