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鏡の中の花 ヘンリー・ジェイムズ「デイジー・ミラー」読了感想1



ノートルダムの続きがすっとんでしまったため、こちらを先にあげることにした。




グループホームに入ったおばあちゃんが家に残した膨大な本は、すべて持って来ることは出来なかった。

距離も遠く時間もなく、処分するしかなかった。
これはいまだに悔やんでいる。
連絡してすぐ来てもらえそうな古本屋さんもなく(馴染みの古本屋は軒並み廃業していた)、本自体も古いため処分されるだけですよと言われた。
トラックの荷台いっぱいに積まれて、こぼれてしまうため周囲に木枠まで張って破砕所へ持ち去られた。

夢に出て来そうなぐらい悔しい。

しかし、どうしても絶対に捨てられないと言い張って持ってきたものもある。
一つが筑摩の赤本、筑摩書房の「世界文学大系」だ。
職場の近くのレンタル倉庫にぎゅうぎゅうに詰め込んでいる。全集系をあきらめられなかったので、ほかのを持ってくることが出来なかった。

これをお昼休みに読むのが唯一と言っていい職場での楽しみになっている。
少しずつ荷物を始末して、いつかここを本棚風にする!したい。

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実家で戸棚全体にずらっと並んでいた赤本のパワーはすごかった。
あらゆる時代のあらゆる良書がここにあるぞという無言の圧力を感じる。

一つ一つ見ていきながら、お、ヘンリー・ジェイムズだと手を止める。

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「デイジー・ミラー」
有名な作品なのにまだ未読!

それほど長くない。
お昼を過ごすのには丁度いい。
(このために、倉庫に小さなスツールまで持ち込んでいる)



読んでみて思ったことだが、難解だ難解だと言われているジェイムズの中でも比較的読みやすいしとっつきやすいと思う。

そうは言ってもただではすまないジェイムズ。

読後は煙に巻かれてしまった。
面白いか面白くないかと言えば面白かった。

デイジーは何をしたかったのか、何を思っていたのか。
女の私が読んでもさっぱりわからない。
男性が女性を謎だと思う時にどういう風に見えるのかという典型例のような気がした。

このデイジーの行動をどう解釈するかはやはり難解だ。
これに比べれば「ある貴婦人の肖像」のヨーロッパかぶれのイザベルはまだわかりやすい。

スイスのヴェヴェー、その美しい湖のほとりで、主人公のバチェラー、ウィンターボーン君は活発で奔放でおしゃべりなアメリカ娘、デイジー・ミラーと出会う。

正確には元気で生意気ないかにもなアメリカ坊主を介して知り合った。
デイジーの弟くんはとても元気。
やんちゃな子供がいると観光もできないしどこにも行けない。ホテルにいるしかなくて結局家にいるのと同じというのはよくわかる。

「パリの洋服を着ると まるでヨーロッパにいるような気持ちになる」とデイジーが言うのに答えてウィンターボーンは「あのなんでも願いが叶うという魔法の帽子みたいなんですね」と洒落たことを言う。

アンコンデュイット?何のこと?
フランス語で不品行、と注釈が入っている。

社交界が大好きな上に、「私男の人とずいぶんお付き合いしてます」とか唐突に言い出すデイジー。
アメリカ娘は何を言っても無邪気に聞こえる。

美しい観光地に突然現れた美しい女性、未婚のバチェラーとバチェロレッテの出会い、あまりにも話がうますぎてウィンターボーン君はちょっと状況が把握できない。信じられない。

わかる。
読んでるこっちも信じられない。

ウィンターボーン(冬の骨)くんの後見人、コステロおばさんはこのデイジー・ミラーに関しては全然お話にならない、ダメ、ビッチに違いない、という意見だ。

ウィンターボーンの所感。

「この女性に正当な評価を下すことは自分には本能的にできそうにないのが我ながら忌々しく思えた」
          谷口陸男 訳

それほどに可愛いデイジー、従僕(タリアー。大陸旅行の際、旅行者と行動を共に共にしてその雑用をする)と奇妙に慣れ慣れしいという。
まあ、お父さんが資産家らしいので影で何を言われても屁ともない感はある。

ヘンリー・ジェイムズはいつも、魅力的な女性に金銭的な自由と自立を与えると果たしてどうなるのかというシチュエーションを考えているようだ。
これも一つのその形なのだろう。

(個人的には、自分で苦労して稼いだお金でなく遺産などの棚ボタ的な金銭的自由ではちょっと自立とは違うなと思ってしまうが…時代背景を忘れてはいけない!)

おしゃべりで物怖じしない正直者のデイジー。
よく言われるジェイムズのアメリカVSヨーロッパをあまり意識しすぎるとキャラを見失うと思い、そこは気を付けた。

夜に散歩しているとウィンターボーンはデイジーとその家族に遭遇。
娘は話していてすぐに、この青年のおばちゃんが交際を喜ばないことに気がついた。
母親は何事もすべてスルー。娘の行動のアレコレ、社交界のアレコレ、掟アレコレ、すべてスルー、かといって何もわかっていないのとも違うよう。

なぞだ。すべてがなぞに包まれている。

例えばだ。
特に常識をわきまえていないような所もないにも関わらず、このお母さんは娘とウィンターボーン君が話の流れで成り行き的に示し合わせた「二人きりでの旅行」を邪魔しようとはしない。
まあ!なんて破廉恥な!若い男性と二人きりで旅行なんて!評判にも傷がつきますわ!
なんてことは起きない。

そこは、ウィンターボーン本人さえも違和感を感じる。
いやぁ、私でも邪魔するわ。二人きりはちょっとないわ~。
大丈夫なの?このお母さん!ウィンターボーン相手ならいいよとか、まだよく知りもしない人だし。
家族に紹介もされていないし、肝心のコステロおばさんは紹介される気もないし。

おばがなんとなくデキてんじゃないのという匂わせ方をした馴れ馴れしい従僕なのだが、この男もこの若い男女二人きりの旅行を別に止めない。
「好きにすれば?」という態度。
じゃあ、デキてるわけじゃないんだよね?
どういうことなんだ?

ここまで読んできて、謎が謎を呼ぶためすっかり話に引き込まれる。

別に誰もおかしなことは言っていないのに何かがおかしい。
色々と奇妙だ。
一般的に考えられる常識とわずかにかみ合わない。








2につづく



おまけ
英語版原書グーテンベルクリンク



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