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「文章を書くこと」と「本を読むこと」の関係性について。

 先日、「文章を書くこと」と「言葉を話すこと」の関係性について記事を書きました。

 多くの人に読んで頂けたみたいで、最近書いた記事のなかでも、かなりの人気記事となっています。

 記事では、自分自身の経験を例に挙げながら、「文章が変われば、話し方も変わる。話し方が変われば、文章も変わる」という話を書きました。

 実はその文章を書きながら、もう一つ大切なことを考えていました。それは、文章を「書くこと」と「読むこと」の関係性についてです。

 今回の記事では、それについて深掘りしていきます。

 まずは本題に入る前に、「文章が書ける感覚」について説明しましょう。

文章が書ける感覚

 僕は、いつでも、どんな内容でも、文章が書けるわけではありません。「この話だと、文章が書けそうだなぁ」とか「今なら、いい感じに書けそうだなぁ」みたいな感覚があり、それを感じたときに腰を据えて書き始めます。

 つまり、僕のなかにそのような「文章が書ける感覚」があり、その感覚になったときだけ、文章が流れるようにスラスラと書けるわけです。

 逆に言えば、その感覚にならないと上手く文章が書けず、頭を抱えてしまいます。そういうときは、書くのを諦めるしかなく、別の作業をした方がいいです。

 実際、「メルカリのモノガタリ」に関する記事を書いたときはそうでした。

 そのときは、小説の話のつづきが思いつかず、頭を抱えていました。

 結局、これ以上考えてもらちが明かないと思って、僕はスマホを取り出し、ネットサーフィンを始めました。

 すると、幸いにも、「メルカリのモノガタリ」に関するツイートを見つけたのです。そして、それがnote記事のネタになりました。

 ちなみに、小説はまだ未完成のままです。
近日noteで公開できればと考えています。お楽しみに。

書けたときの感覚を振り返る

 noteに文章を書いている人なら、「あ、いいネタ思いついた」みたいにアイデアが閃いた経験が一度はあると思います。

 それがここで言う、「書ける感覚」です。

 これには、パターンのようなものが存在します。例えば、洗い物をしているときとか、車を運転しているときとか、何かの共通パターンがあって、そのときにだけ「書ける感覚」が起こります。

 僕の場合、以前は、自転車に乗っているときにその感覚になりました。しかも、ネタを考えようと特別意識をしているわけではないのに、ふとした瞬間に書けるモードになるのでした。

 なので、これまでの経験のなかで「書ける感覚」がいつ、どこで起こったのかを思い出してみることは大切です。

 そして、その習慣を大切にしておき、日々の生活のなかで意識的にその習慣を増やしてみると、「書ける感覚」が得られやすいかもしれません。

 では次に、僕が実際に行っている「書く習慣」を紹介しましょう。

音楽を聴く習慣

 文章を書くとき、僕は必ず音楽を聴きます。
それは、いつも決まってジャズ音楽です。ボーカルのないインストゥルメンタル(Instrumental)をいつも聴いています。

 Jpopだと歌詞の言葉が脳内を邪魔してくる弊害もあると思うので、ながら聴きができる曲をSpotifyのプレイリストに入れています。

 僕がnoteを書くときに音楽を聴く理由は、「書ける感覚」に入るためです。前述したように、僕は「書ける感覚」の状態のとき、文章がスラスラと書くことができます。それならば、「書ける感覚」に入りやすくなる準備を前もってしておけばいいのです。

 文章を書くときに音楽を聴く習慣を作っておけば、音楽を聴いただけで書けそうな感覚を得られます。実際、はじめは僕自身も何となく音楽を聴いていました。特にカフェで作業をしているときは、周りの会話が気になることもあったので、音楽を聴くのは雑音から逃れるためでした。

 けれど、音楽を聴く習慣をつづけていくうちに、それが創作に欠かせないものになりました。きっかけは、音楽を聴いていないとき、何となく調子が悪く感じたことでした。それから、僕はnoteを書くとき、必ず音楽を聴くようになりました。

 もちろん、音楽以外にも「書ける感覚」を得られる方法はあると思います。もし、この記事を読んでいる人のなかで、創作をつづける工夫を他にも知っている方がいれば、ぜひコメント欄で教えてほしいです。

 それでは、ここからは、本題に入りたいと思います。

寝る前に本を読む習慣

 僕は、「書くこと」と「読むこと」も繋がりがあると考えています。

 実際、現在、僕が「書ける感覚」になるパターンの多くは、夜に読書をしているときだからです。

 ソファに寝転んで、本を開いて文字を追っているときに、突然おとずれます。本に書かれたキーワードが気になって、それについて文章が書けそうな予感がしたりします。

 また、本に関係のないことが急に思いついたりすることもあります。

 これについては、ちょうど以前書いたエッセイに書いているので、そのまま載せておきます。
 
 ご覧ください。

僕が文章を書きたいと感じるのは、決まって静寂に包まれた真夜中だ。
それは何の前触れもなく、突然おとずれる。

 アイデアの雨が降ってくることもあれば、雷に打たれたような衝撃を受けることもある。さらに、小川のせせらぎのような小さな音が聞こえてくることもある。そんなとき、頭の中はとても透き通っていて、雑念や迷いは微塵も感じない。

 それは、きまって本に囲まれているときだ。
僕は温かいご飯を食べ、シャワーを浴び、もう今日は何もしなくていいことを確認すると、ソファーに横になる。ソファーには読みかけの本が積んであって、その中から一冊を手に取る。

 それから、貪むさぼるようにページをめくっていく。物語を集中して読んでいると、たまに気になるキーワードや新しい気づきを得ることがある。忘れないうちに、僕はその言葉をホワイトボードに記入する。後になって、これが役に立つかもしれないのだ。

 僕は、今日も読みかけの本を開く。
日常の何気ないひと時に、新しい色を添える小さな発見やちょっとした閃きがあるかもしれない。

 そう思うと、ソファの上に並んだ本は増えていくばかりである。

書く習慣|真夜中に言葉を紡ぐ日々。』より

 「書くこと」と「読むこと」の関係性

 僕は、「書くこと」と「読むこと」は相互に関係し合っていると考えています。

 それに、文章を書いているのに文章を読んでいないというのは、逆に難しいことなのかもしれません。

 実際、毎日投稿をつづけていると、書くことばかりに囚われてしまうことがあります。でも、書くことばかり考えていると、逆に書けなくなってしまいます。

 なので、一日のなかで読書をする時間を決めて、落ち着いて文章を読む時間を確保することは、必要なのです。

 要するに、文章を書きつづけるには、書けないときの待ちの時間が大切です。

 できれば、「書くこと」に関連した「読むこと」に集中できればいいですが、好きな趣味に没頭するのも効果的だと思います。何かに没頭することは、雑念がなくて頭がスッキリとしたクリアな状態だからです。


 文章が書けないときは、雑念に囚われず頭を空っぽにしておくといい。ただひたすら、書けない時間を楽しんで待つ。いつか書けるときがやってくるまで。でも、心配はいらない。

 だって、空っぽのコップには、恵みの雨がたくさん入るのだから。

2022.11.8.

こんばんは。雨宮 大和あまみや やまとです。

今日は、文章を「書くこと」と「読むこと」の関係性について語りました。連続して、「noteの書き方記事」を書きましたが、いつもは ”短編小説” や ”エッセイ” を書いているので、ぜひ過去の記事も読んでもらえると嬉しいです。

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前回の記事

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山田詠美さんの短編小説『ジョーンズさんのスカート』を読んで、自分が感じたことを書きました。

僕は、シンプルな思考が好きです。これを「引き算の美学」と呼んでいます。もちろん、他にも、「足し算思考」や「かけ算思考」、「わり算思考」を紹介しています。

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