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何気ない一言で、意図しない印象を与えてしまう。

※10分間で書く、下書き・推敲なしのぶっつけ本番エッセイ。毎日更新22日目※

いま、『ふたつの日本』という本を読んでる。結構話題になってる新しい本で、日本の移民をとりまく様子についてくわしく書かれていて、評価もかなり高い。

まだ読み始めたばかりだから感想を書けるほどじゃないんだけど。でも、とある一文が、とても、そりゃもうとても、気になったのだ。

ドナルド・トランプ大統領の当選、イギリスのブレグジット(EU離脱)、移民排斥を訴える政党「AfD(ドイツのための選択肢)」の台頭を許したドイツーー。

これは本文の「はじめに」、なんなら最初の3、4ページくらいに書かれた文章。

たしかに、なんらおかしいことはない。全部事実……か? 本当に??

この本は、冷静に、客観的に、事実を踏まえて、日本の「移民」について考えていこう、という趣旨だと思ってる。本文でも、そうやってできるだけバランスのいい視点から書こうとしているのが、すごく伝わってくる。

でも、「AfDの台頭を許したドイツ」と最初に書いてしまった時点で、「客観的な」書き手、というイメージは損なわれてしまう。だってあなた、反AfDなんでしょ?という印象を受けるからだ。

わたしはAfDシンパ、というわけじゃない。でも、「反移民」という主張自体は悪いことじゃないと思ってる。外国人だから締め付けが厳しくなるのは困るけど、でもそう思う人がいる理由も理解できるし、そこらへんは思想の自由の範囲内だ。

トランプ大統領当選や、イギリスのEU離脱。人によって、「いい」と思う人も「悪い」と思う人もいる。ただ、トランプ大統領が当選したという事実、イギリスがEU離脱を決めた事実に、「いい」も「悪い」もない。「現実」というだけ。だから本文でも、「ドナルド・トランプ大統領の当選、イギリスのブレグジット(EU離脱)」と、とくに主観をまじえられてはいない。

でもAfDにかんしてだけは、なぜか「移民排斥を訴える政党「AfD(ドイツのための選択肢)」の台頭を許したドイツ」と、あきらかに反AfDの雰囲気を出してしまってる。

もちろん、個人的にAfDに同調しないのは筆者の自由。でもたぶんこの筆者の方は、できるだけ客観的に書きたかったはずなのだ。それなのに、「はじめに」で書いたたった一言で、「あ、この人は移民受け入れ賛成側の人間なんだ」という印象になってしまう。

まぁもともと移民の方たちを取材している人だから、移民側に立っていること自体はふしぎじゃないんだけど、たぶんこの伝わり方は不本意じゃないはず。それでもそう伝わってしまうのだ、たった一文で。

イギリスのEU離脱に関する論評で、一番最初に「なぜそんな愚行をおかしたのか」なんて書けば、「この人はEU離脱反対派の視線から書くんだな」と思われる。その後いかに客観的に書こうが、客観的な書き手だとは思ってもらえない。

たとえば「ももち芸能界引退」は事実。でも「なんで引退してしまったんだ」と言えば残念がっている印象になるし、「引退なんかしやがって」と言えば怒っている印象になる。その後いくら「ももち芸能界引退についての考察」を繰り広げようとも、まず最初に「引退してほしくなかったんだなぁ」という印象を与えてしまえば、「偏った見方」だと受け取られてしまうかもしれない。

これは日常生活でもそう。何気なく言った一言で、印象というのは決まっていく。

「この前借りた本おもしろかったよ」と言う人と、「この前貸してもらった本おもしろかった」と言う人。本当に少しのちがいだけど、後者のほうが、印象はいい。

そういう、ほんの少しの言葉遣いで、「印象」というのは決まってしまう。そして印象は、一度決まってしまえばなかなか動かない。

そういう、意図せず漏れ出た本音で望まない印象を与えないように、わたしも気をつけないと、と気を引き締めた朝だった。

じゃあ、またあしたね。

(10分超えちゃった)

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