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明日へ向かって 11

「へえ、浜松なんていいじゃない」
 家に帰って出張のことを告げると母香枝はいかにも呑気そうに言った。
「遊びやないし、だいいち三日間も何すんのやろう」
「そんな細かいこと気にしないで、おいしい鰻食べといで」香枝は笑った。
 話はそう簡単でもなかった。部長の代わりということも気になった。わたしなんかで務まるのだろうか。榎本は、森下さんなら大丈夫と笑っていたが、どんな研修なのか中身さえ聞かされていないのだ。研修のテキストくらいあるだろうと思っていたが、何も受け取ってないと榎本は言う。せめてテキストくらいあれば、三日間をどう過ごすのかがあらかじめ分かるのだが、何もないと希美は不安で落ち着かなかった。
「このプロジェクトは森下さんにも手伝ってもらおうと思っているから」という榎本の言葉が心にひっかかった。
「会社はプロジェクトというけど、結局求められるのは数字だけだから」
「プロジェクト、プロジェクトと言い出してからこの会社はおかしくなった」
「プロジェクトって言えば社員が使命感に燃えて頑張る魔法の言葉とでも思っているんだろ」
 前の会社での記憶が、プロジェクトという言葉を耳触りの悪いものにしていた。

 研修場所は浜松駅に隣接した施設の中にあった。少し駅から離れていたがずっと屋根続きになっていて途中には動く歩道もあった。
 研修室の中に入ると、すでに何人かが集まっていた。自分とそう年も離れていない女性が何人かいるのを見つけて希美は少し安心した。机は部屋の隅に寄せられ、椅子が円形に並べられてあるのが不思議な光景に見えた。
 セミナー参加者は、十六人だった。それとセミナーを主催するウェルネスプランという風土改革コンサルティング会社のスタッフが三人いた。比較的若い層から部長と同じくらいの年輩者まで年齢層は様々だった。
 円形に並んだ椅子に座ってテキストさえ配られないままセミナーは始まった。天井も高く綺麗な研修施設である。三日間過ごすには悪くない綺麗な場所だった。しかし、今から何が始まるのか、希美は不安を抑え切れなかった。思えば社外のセミナーに参加するなど始めてのことだった。人見知りな性格だから、この出張中に誰とも話さなかったなんてことにもなりかねない。希美はこれから始まる三日間が途轍もなく長いものに思えてきた。

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