見出し画像

そのガリガリ君は本当にガリガリ君か?

「もこ」が売られていた。

画像1

「擬態語」が売られているのはさすがに初めて見た。変な角度から撮っているのは袋が“もこ”過ぎて正面からだと商品名がわかりづらかったからです。

開けてみる。

画像2

「もこ」だ…!




…「もこ」か?

おそるおそる言ってみるけど、これはいわゆるシュークリームではないのか。いや、誰がどう見たってシュークリームだ。

別に「もこ」が食べたかったのにただのシュークリームを買ってしまったことが問題なのではない。

シュークリームに「もこ」という表現を使うことに違和感を覚えてしまう。皆さんは人生で一度でも、シュークリームを見て「もこもこだ」と思ったことがあるだろうか。「もこもこなシュークリーム」なんてコロケーション聞いたことがないぞ。シュークリームに接続されるのは“甘い”とか“ぬるい”とか“いびつな”とかだろ。

すなわち、この「もこ」は、もこ側が自称しているに過ぎないのではないか。

もこは「もこ」と名乗ることでアイデンティティを獲得して、消費者に「もこもこでおいしそうだな〜」と思わせて心をつかんでいるのだ(今回は自分もつかまれたうちの一人ということになる)。が、その実態は“もこもこ”とはかけ離れた存在、シュークリーム。シュークリームが「もこ」というネーミングを半ば力づくで冠することで、我々は決してもこもことは言い難いシュークリームに対して「もこもこだ」という印象を抱いてしまう。これはもはやマインドコントロールの一種と言ってもいい。

つまり、この商品名に含まれる「もこ」という単語の本質には何もない。ただの“虚無”なのだ。



と考えたところで、そうとも言い切れない気がしてきた。

現時点で、「シュークリームは“もこもこ”と形容されえない」というのが共通認識とする。しかし、商品としての「もこ」が広く認知を得た場合はどうだろうか。“もこもこ”と“シュークリーム”という2つの単語が人々の頭の中で強くリンクされるようになり、「シュークリームは“もこもこ”と形容しうる」と共通認識は上書きされる。つまり、「もこ」というネーミングが正統化されるのだ。

このシステムは“もこもこ”に限らず起こる可能性がある。

たとえば、「ガリガリ君」を知らない人にあのアイスを渡して、はたして“ガリガリ”という言葉を連想するだろうか。まずしないはずだ。しかし、「ガリガリ君」が当然のように存在する世界を生きてきた我々は、あの固いバーを噛み砕く様子を“ガリガリ”と表現することに違和感を覚えない。


こういう擬態語(というかオノマトペ全般)って実は脆いんだな…と気づく。“ふわふわ”だの、“とろとろ”だの、私たちは的確に言い表せることばを「状態」に対して与えていたつもりになっていたけど、実は「状態」側にそう言い表すことを強いられていたのかもしれない……。

なんだか自分で書いていてもややこしい日本語の文章になったな。


中身。

画像3

空虚。

この記事が参加している募集

名前の由来

スキをしてくれるとたまに韻を踏みます。