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グミに学んだこれからの生き方

コンビニに行ったら、見たことのないグミがあったので買ってしまった。

僕の一番好きなお菓子の種類はグミで、コンビニに行くと無意識にグミコーナーを覗いてしまう。ちなみに、一番好きな“お菓子”と聞かれるとギンビスのアスパラガスビスケットになる。いま、小カミングアウトをしました。

『まるでモッツァレラチーズ食感?!』と書いてあるけど、グミ、お前はそれでいいのか。グミのアイデンティティって、あの何にも形容し難い弾力だと思っていたので心配になる。

いや、しかしグミの世もまた狂瀾怒濤。いつまでもグミのままで居続けていては生き残れないのかもしれない。もしも「グミ道」なるものが存在したら、きっとこの『グミモッツァ』は守破離でいうところの「離」に当たるのだろう。そう推し量ることにしてみた。

「守」、すなわちグミ道の祖は、間違いなく『果汁グミ』で決まりだろう。誰しも一度は口にしたことがあるに違いない。あれこそ起源にして王道。グミ以上でもグミ以下でもない。ここだけの話、噛むたびに口内へじゅるっと広がるあの果汁は、“幸せ”が気化した空気を冷やして出来た結露を集めた液体だと僕は読んでいる。

「破」にあたるのは、『ピュレグミ』や『フェットチーネグミ』などの、いわゆる「ハードグミ」系。ほとんどに酸味のあるパウダーがまぶされているのも特徴の一つ。この世代の登場によってグミの人気は後押しされたが、同時に各グミ間の争いも激化したことは言うまでもない。グミ戦国時代の到来である。

しかし、所詮はどんぐりの背比べ。過去の伝統や固定観念に縛られたグミたちは、せいぜい弾力や酸味の強弱で差別化を図る程度にすぎない。大きく駒を進める者はおらず、戦いはしだいに沈静化していくことになる。

そこで、「離」。前述した『グミモッツァ』のような「第三勢力」の登場というわけだ。彼らはグミ道のルーツを十分に重んじつつ、あえてグミという概念を切り離す挑戦をしてのけたのである。誰が、自らのアイデンティティを捨て去ろうなどと考えただろうか。きっと狂人扱いを受けたに違いない。しかし、かつての革命家チェ・ゲバラは言った。「万事において夢想家たれ」と。鼻で笑われたら、笑い返してやればいい。夢見る異端児こそが、時代を切り拓くのだ。もはや、グミは飽くなき闘志の権化と言ってもよい。


まさしく社会の転換期にあるこのご時世。今日、偶然の巡り合わせによって、なにか今後を生きるヒントを貰ったような気がした。

グミを好きでいてよかった、ありがとう。『グミモッツァ』にはハマらなかったので多分もう買わないです。

スキをしてくれるとたまに韻を踏みます。