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♯15 対話を促す手立て

 15回目の投稿となりました、天治郎です。新年度になりましたね!本年度もよろしくお願いいたします。
 お忙しい読者のために、以下が本稿の要旨です。

・「やらされる対話」から「児童自らやりたい対話」へ…そのような手立てを講じていきたいですね。
・教師の発問は、いつしか子ども自身の問いへと変容していきます。子ども自身が問いをもてるようにするためにも、教師の発問・問い返しの工夫は欠かせませんね。

(1)交流

 私の学級では、悩んでいる児童や友達と対話したい児童は、歩いて自由に対話をします。天治郎学級では、「さんぽ」と呼んでいます。めがね旦那さんがそう呼んでいることを知り、自学級でもその言葉を使うようになりました。4年ほど前から実践している交流(対話?)の手立てです。
 言語活動の充実が叫ばれた頃、「ペアでの話合い」や「グループでの話合い」がかなり取り入れられていたと思います。実際に私もやっていました(もちろん今もやることはあります)。人数はどうすべきか、話合いのさせ方はどうすべきかなどの議論が数多くなされました。一方で、教師が話合いを指示し、形式的に行われている授業も散見されました。
 しかし、対話に1番重要なことは「子ども自身が話したいかどうか」です。元筑波大学附属小学校教諭の正木孝昌先生は、著書の中で、

子どもの「~したい」という内発的欲求が子どもの学びを受動から能動にしていくとともに、学びの本質へと導いていく

正木孝昌(2007).受動から能動へ-算数科二段階授業をもとめて-.東洋館出版社.

と述べられています。今回で言えば、子どもの「話したい」という思いが深い学びへと繋がっていくといえるでしょう。
 私が講じている手立ての「さんぽ」は、「困っている(わからない)からなんとかしたい!」、「誰かと話しながら解決したい!」、「みんなはどう考えているか知りたい!」という子どもの思いに基づいて行われています。だから、自分から勝手に立ち歩き始めます。もちろん、「自分で考える時間」は必ず確保していますし、自分で考えたい子は1人で考え続けてもかまいません。
 「やらされる対話」から「児童自らやりたい対話」へ…そのような手立てを講じていきたいですね。

(2)発問・問い返しの工夫

 私自身、算数科における発問について研究していた時期があります。算数教育では、昔から「問うべき問い」という文脈で発問が語られることがあります。過去の先行研究をもとに、私が整理した算数科の問うべき問い(発問)は、以下の通りです。

「問うべき問い」の具体
① 意味や方法を問う問い
② 根拠を問う問い
③ 表現の洗練や翻訳を問う問い
④ 統合的な考えを促す問い
⑤ 発展的な考えを促す問い
⑥ 一般性を問う問い
⑦ 自らの学びをふり返る問い

天治郎長期研修資料より

 ②で言えば「なんで?」、④でいえば「共通点は何かな?」などが例として挙げられます。ねらいに迫るために、どういう場面で、どんな時に、どんな発問をするかは非常に大事な要素です。
 一方、問い返しは、子どもの発言によって返すわけですから、多様化するはずです。筑波大学附属小学校教諭の加藤宣行先生は著書の中で、

問い返しとは、補助発問にさらに教育的効果を意図したものです。

加藤宣行(2018).加藤宣行の道徳授業 考え、議論する道徳に変える発問&板書の鉄則45.明治図書.

と述べられています。そして、問い返しにはマニュアルはなく子どもの発言に応じてその場でつくりあげるべきものだと述べつつも、以下のようなステップを上げています。

①    子どもの発言をそのまま繰り返し、それを本人や他の子どもに吟味させる。
②    子どもの発言を、教師なりの受け止め方をして、本人や他の子どもに返す。

加藤宣行(2018).加藤宣行の道徳授業 考え、議論する道徳に変える発問&板書の鉄則45.明治図書.


 算数教育の中でも語られることであり、加藤先生もおっしゃっていることですが、教師の発問はいつしか子ども自身の問いへと変容していきます。子ども自身が問いをもてるようにするためにも、教師の発問・問い返しの工夫は欠かせませんね。

(3)終わりに

 今回は、対話を促すための手立てについて述べました。ぜひ読者の皆様の御意見・御質問等をお待ちしております。

【引用・参考文献】
加藤宣行(2018).加藤宣行の道徳授業 考え、議論する道徳に変える発問&板書の鉄則45.明治図書.
正木孝昌(2007).受動から能動へ-算数科二段階授業をもとめて-.東洋館出版社.

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