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【私小説】図書室とマリーちゃんと私(本編1ー6話完)

※実話ですが何年も前のことを思い出して書いたので、現年齢とは異なります。作中の名称はすべて仮名です。ご了承ください。
 ぴったり一万字です。noteで長文読みにくい場合は、カクヨム、なろうにも掲載してます。


1、わたしのこと

 私は、子供の頃から怖い話というのが苦手だ。
 しかし、多くの小学生は怪談話が大好きだ。

 例にもれず私が小学生の頃の親友は、その手の話が大好きで心霊写真集なる本を3冊も所蔵していた。
 その中から、いつもとっておきの心霊写真を私によく見せてくれた。
 廃屋の前で立つ若者たちの写真。
 その背後にぼんやり見える白い影に興奮気味に声を上げ、『ほら見て、ここに霊がいるよ!』と容赦なくぐりぐりと指さす。

 私は涙目になりながら両手で目を覆う。
 それでも指の隙間から見える白い影は、なにか無念を訴える苦悶の表情にも見え、私の背中はぞくりとする。

 今まで本物の霊など見たことはない。
 霊感もきっとない。
 大丈夫、大丈夫と自分に言い聞かせても、怖いものは怖い。
 理屈ではないのだ。

 あるとき、こっくりさんに付き合わされた。放課後の夕陽が差す薄暗い教室に、鳥居とあいうえおと書かれた紙と十円玉が用意されていた。
 怖がりの私は絶体絶命だ。ぶるぶると震える手を強引につかまれ、十円玉に乗せられる。
 本当か嘘かわからないが、途中で手を離すと呪われると脅されればなすすべはない。
 見えない力で動く指が恐ろしく、涙目になりながら帰宅し、それから3日は頭まで布団をすっぽりかぶって震えながら寝た。

 今思えばこっくりさんなどは友人の自作自演で、私が過剰に怖がることが面白く、その場の演出にふさわしかったのだと分かる。
 けれど、大人になってもそのころのトラウマなのか、どうも作り話とわかっていても怪談話が怖い。
 誤ってその手の話をテレビで見てしまったが最後、大の大人が子供の頃と同じように布団をかぶり汗をかきながら眠るのだった。
 
  *

 大人になった私は、仕事を転々としている。と言っても、本意ではなく時代の流れだ。私が学校を卒業したころは大変な就職難で受けても受けても就職先は見つからず、派遣社員や契約社員という道しか選択肢がなかったからだ。
 有期雇用の仕事は賞与がない分稼ぎは少ないが、実家暮らしなので何とかやっていけた。

 私は社交的な性格ではないが、真面目なのと愛想だけは良かったので、たびたび変わる職場にもさほど苦労はしなかった。

 そうして数年過ごしたある雪の日。
 ちょうど契約期間が切れ、次の仕事の待機期間と言えば聞こえはいいが、無職の私は名実ともに実家でのすねかじりになり、節電しなければと大した暖房もつけずに、息をひそめて過ごしていた。

 将来に不安を覚えながらも成すすべなく布団にもぐり、ひたすら図書館の本を読み漁っていたときに、私に願ってもない仕事の話が舞い込んできた。

 小学校の司書を1年ほどやってみないかと言うものだった。確かに履歴書にはその資格が書いてある。表向きは事務補助だが、契約内容に図書室の管理も加えてくれるらしい。
 生徒の休み時間や必要に応じて、本の貸し出しや管理をし、目録を作る。春夏の6か月で1校。秋冬の6か月でもう1校。
 2校を回ってほしいとのことだった。期間も短く、時給もそれまでよりも少なかったが、図書室で働くのは夢だったため二つ返事で了承した。

 図書館司書は私のなりたい職業の一番だった。

 子供を相手にする仕事はしたことがなく正直、自信はなかったが折角とった司書の資格を利用しないまま終わりたくはなかった。

 公共図書館の司書の採用枠は極めて少ない。
 しかも毎年採用がある話ではない。

 せめて、臨時職員でもいいからと空きを待っていたがついぞ縁がなく泣く泣く諦めた仕事だ。

 降って湧いた僥倖ぎょうこうに、私の胸は期待で膨らんだ。

 この後、学校の怪談と対峙《たいじ》することになるとは知りもせず……。

2、図書室の人形


 久しぶりに紺色の就活スーツに身を包もうとしたらこの数年で太ってきつく、慌てて新しいものを購入するハプニングがあったものの無事に着任できた。

 最初の小学校は郊外の山裾にあり、桃やリンゴの果樹園に囲まれたのどかな場所だった。
 校舎は怪談とは無縁そうな、真新しい建物。
 白いコンクリートの2階建て、各教室を出るとすぐ目の前に多目的なオープンスペースがあるモダンな造りだ。

 オープンスペースは靴を脱いで上がる仕様で、ごろごろしてもぺたりと座ってもいいようにグレーとピンクのカーペット張りになっている。
 聞けばまだ築10年ほどで、私が小学生だった頃の何か出そうなぼろぼろの校舎とは雲泥の差だった。

 図書室もいかにも図書室というものではなく、教室が三つ分は入るオープンスペースの壁面にぐるりと腰の高さほどの本棚が並んでいた。
 本をいくらでも広げられるフリースペースはかなり魅力的だ。
 広々としていて読み聞かせにもちょうどいい。
 現代的で理想的な図書室だった。
 
 しかし、ひとつの本棚の上に奇妙なものがあった。
 ガラスケースに入った古びた人形。
 
 そういうと、日本人なら黒髪の日本人形を思い浮かべると思うが、そこに入っていたものは違っていた。

 ビスクドールのようなすすけた洋風の人形。
 くすんだ金の波打つ髪にやはりくすんだピンクのドレス。

 そして、青いガラス玉の目……。

 その目が、真っ直ぐに私を見ている。

 私はごくりと息をのむ。

 なんだか非常に嫌な予感。

「あの……。この人形は一体……?」

 私に校舎を案内している教頭先生に聞いてみた。
 すると教頭先生は、図書室に人形があることを少しも不思議にも思ってない様子でけろっと答える。

「ああ、これはマリーちゃん」
「マリーちゃん……?」

 教頭先生には見慣れた人形でしかないようで、説明は簡単なものだった。
 なんでも、第二次世界大戦前にアメリカから友好の使者として贈られた貴重な人形らしい。

 しかし、なぜそれを図書室に置く?
 疑問は疑問のまま、マリーちゃんに見張られながら私の仕事が始まった。

   *

 私は司書の資格はあるが教員免許を持っているわけではないので先生と呼ばれることに抵抗があったが、事務職員も給食職員もみんな学校にいる大人は先生だからと言われて、こそばゆい気持ちで『先生』と呼ばれるようになった。

 全校生徒が200人にも満たない小さな学校に新しく来た先生に子供たちは興味があるらしく、休み時間に生徒が絶えることはなかった。
 にこにこと笑顔の絶えない子供たちに囲まれての仕事は、心配していたほどの大きな問題はなくホッと胸をなでおろした。

 初めてのことばかりで目まぐるしかったが、緊張はすぐに解けた。
 本の貸し出しとレファレンス以外は、本の整備のための体力勝負だった。
 図書室自体は新しく綺麗ではあったが、蔵書は廃棄寸前の古くぼろぼろの本から、新刊まで混在し目録がほとんどなかった。
 子供が手に取りたくないと思うような状態の悪い本とそうでない本を分け、古くても諸事情で廃棄できない本を閉架書庫に移し、子供たちの利用する書棚を分類法で分類。パソコンのソフトで目録を作りはじめた。
 いくら派遣の仕事でデータ入力が得意とはいえ、重い本を運んでは戻しの繰り返しはなかなか大変だ。

 けれど、給食が美味しいから痩せない。
 私が小学生の頃の給食のコッペパンは、ぱさぱさしていてさほどおいしくはなかった。それが、同じ形状をしているのに今は味が全く違うのだ。
 そとはカリッとし中はしっとりで甘みがある。
 ソフト麺は以前からおいしかったが、もそもそ感がしなくなりよりおいしくなっていた。
 ソフト麺が楽しみすぎて小躍りしていると、生徒が次のソフト麺の時に何人も教えてくれて少しはしゃぎすぎたと反省した。

 昼休みは読み聞かせ、それ以外は本の整理と目録作り。
 子供たちもいい子ばかりで毎日が楽しかった。

 職員室でも他の先生方がとてもやさしく色々教えてくれて、馴染むのにそう時間はかからなかった。

 半年しかいられないなんて残念だなぁと、始まったばかりなのに別れを心配するほど、この学校が気に入ってしまった。

3、学校の怪談

 生徒たちと親しくなるにつれて、避けては通れない話題があった。
 怪談だ。子供と親しくなるためには怪談は非常に有効だ。

 しかし、こんな新校舎に怪談なんてあるわけがないと思ったが、期待を違えず怪談は存在していた。
 私が子供の頃と何ら変わりはなかった。

 夜な夜な音楽室のピアノが鳴り、理科室の人体模型が動き、登りと下りで増えたり減ったりする階段。

 そして、この学校には特別な怪談があった。

 ―― そう、例の人形にまつわるものだ。

 放課後になると人形の目が光り、歌ったり飛び回ったりするという……。
 まあ、ああいう古いビスクドールがあれば必然的にそういう話になるだろう。
 むしろ、それ以外に考えられない。
 ガラスケースの人形をチラッとのぞき見れば、青い目がジーッと私を見ている。

 明るい時間だし、人気《ひとけ》もあるし、ケースに入っているし、動きはしないだろう。
 怪談は時と場所と相手を選ぶ。少なくとも、霊感が皆無の怖がりの私は大丈夫だ。

「せんせー、マリーちゃんうごくの見た?」

 怪談話が出る度に、期待の眼差しで子供たちに確認される。
 マリーちゃんはまだ、動いていない。
 彼女が私を見ているだけで、私は怖くてマリーちゃんを見てはいないからだ。
 ちらとは見る。けれど本当に動いたら怖いのでなるべく見ないようにしていた。
 小学校の放課後は15時くらいだ。
 私の終業も16時だから、まだまだ明るい。お化けなど出てたまるものか。

 しかし、ここは盛り上げるため、生徒たちの期待通りに『動いている』と言った方がいいのだろうか?
 いやいや、嘘はいけない。楽しい噓であっても信用を落とす。たとえ子供であっても、いや子供相手だからこそ嘘はいけない。

「うーん。まだ動いてないよ。動いたら教えるね」

 と、答えた。我ながらいい答えだ。
 そうして、毎日子供たちの相手や図書目録作りをしている間にあっという間に夏休みになった。
  

 生徒が夏休みでも、教職員には休みはない。
 もっとも夏休みをとれと言われたら、時給制の私は収入が減るので大変困る。

 夏休みでも働けることを有難く思いながら、事務室で書類仕事を手伝ったり、誰もいない図書室の整備に明け暮れた。
 子供たちでにぎわっていた図書室には、今は静かに昼寝をする本たちしかいない。
 窓の外はギラギラと日差しが照っていて、エアコンもなく暑かった。

 それでも山沿いのこともあり、風が吹けば緑の香りがする空気が入り、汗をぬぐいながらする仕事も心地良かった。
 お化けの出る気配など全くなかった。

 その日も図書室の目録を作ろうとせっせとパソコンにデータ入力をしていた。

 誰もいない図書室に、カタカタと私のパソコンの音だけが響く。

 すると、誰もいないはずなのに突然、パタッと本が倒れた。

 ブックエンドの数が足りないせいだろうと思いすぐに元に戻したが、しばらくするとまた別の本が倒れ私はびくっと跳ねた。

 実は、そうそう倒れるわけがないのだ。
 私はこの図書室を任されてから、はたき掛けを欠かしたことがなく、その時に必ず本の並びを確認していたからだ。
 しかし、目録を作るために頻繁に本の出し入れもしている。

 本が倒れたのは、きっとそのせいだ。

 そうに違いない。

 と、自分に言い聞かせたが、本が私を呼ぶのはこれが初めてではなかった。
 着任したころから、この現象はあった。

 ただ、それは生徒たちの笑い声や走る音でかき消され、深く追求するまでもないこととしていた。原因は子供たちの起こす振動か何かだろと理由をつければ納得もでる。

 カーテンが風でふわっと膨らむのを慌てて抑えに行くと、本棚の上のマリーちゃんと目が合った。

 自分をだますことはもう難しかった。

 ―― マリー人形が見ている。

 第二次世界大戦前に作られたというアンティークの人形。
 この青い目は、何をどれだけうつしてきたのか、私に何か伝えたいのだろうか?
 ゆっくりと息を吐くと私は後ずさりをした。

 しかし、怪現象はこれだけでなかった。
 図書室の向かい側にある誰もいない教室からも時折、音がするのだ。

 イスを引くズズーッという音やガタガタとする音。

 起立礼をするときに出るイスの音がはっきり聞こえる。
 さすがに、幻聴だと思ったが実際に聞こえるのだからどうしようもない。
 現象には原因があるはず。

 大人なのだから人形のせいだとは言っていられないと思い、原因を突き止めようと、怖いながらも誰もいない教室を何度か確認しに行った。
 しかし、メダカの水槽がぶくぶくと泡を吐いているだけで、誰もいないし何もなかった。
 
 ―― やっぱり霊的なものがいるのだろうか?

 いやいや、私には霊感はない。
 それまで二十数年生きてきて見たこともないし聞いたこともない。
 怖がりだからこそ、なにか理由を見つけたく、あちこち校舎を見て回ったがついぞ原因らしきものを特定できなかった。

 なので、折を見て教頭先生に聞いてみた。
 案外あっさりと原因が分かるかもしれないからだ。

「教室から時々、物音が聞こえるんですけど、ここは下階の音が響く構造か何ですか?」
「少しは響くけど、今日は下の階も使ってないですよ」
「でも、プールの子とか来たんですよね?」

 私が見ていないだけで、下の階の教室に誰かいたのかもしれない。そうであってほしい。

「今日はプールはお休みですし。誰もいないですよ」

 祈る気持ちは全く届かず、怪現象の証拠だけが出てきた。
 絶望で青くなっていると、教頭先生はマリーちゃんの話をした時と同じように当たり前のことのように私に言った。

「イスの音、聞こえました?」

 どうして、イスの音だと知っているのだろう?

 うんうんと大きく頭を振って答えると教頭先生は、最初に伝えなかったことを詫びてきた。

「ごめんね。あの音みんな聞いているんで、物理的な原因がありそうなんだけど、まだわからないんですよ。
 まあ、音だけでなにか悪さをするわけじゃないからあまり気にしないでね」

 自分だけに聞こえたわけではないと知りかなりホッとした。

 けれどすぐさま、誰でも聞こえるほどの霊障ならばまずいのではないか? とますます不安にもなった。

 学校の怪談なんて大嫌いだ!
   

4、喫茶店にて

 休日、友達に誘われて喫茶店へ行った。

 行きつけの店だ。少しレトロな雰囲気の飴色の柱や床がホッとするお店。私は水だし珈琲にバニラアイスがのっているコーヒーフロートを注文する。暑い日はこれに限る。友達はアイスロイヤルミルクティー。あれも美味しそうだなぁ。

 そのつまみが私の怪談話なのはいただけないが……。
 私がひととおり新しい勤め先での怪現象を話し終わると、友人はグラスに残った氷をカラカラと回しながらにやりと笑った。

「ふうん。怖いの苦手だって言ってたのにがんばってるんだ」

「それは、まあ憧れの仕事だし、期限があるから頑張れるというか……。人間の方が意地悪してきたり、ひどいことしてくる人はいるからねぇ」

 転々としてきた職場の中で、嫌がらせをしてくる人は稀にいた。
 命にかかわること以外には割と寛容な性格なのと有期雇用ということもあり、我慢すればいずれ終わると基本放っておく。

 ただ、ある程度我慢の限界と言うものがあるので、嚙みつくとひどく驚かれる。やられるままの性格だと思っているのだろうか? こちとら、妹と何年も舌戦どころか殴り合いの喧嘩で場数を踏んでいるというのに、どうして舐められるんだろう。

 私の寛容は、ひとえに最終的には口でも腕力でも陰謀でも反撃できる自信からきているというのに、それを分からないタチの悪い奴がいて困る。

 私はいやなことを思い出して、がりがりと残った氷をかじった。

「お化けの方が無害でかわいい?」

「お化けとは戦えないからなぁ。無害だけど、音がするくらいだから無力ってわけでもなさそうだし……」

「じゃあ、塩でも撒いたら? 盛塩とかも効くんじゃない?」

「うーん……」

 確かにすぐにできて効果がありそうな気はする。
 けれど、そう言われて真っ先に思ったのは、『かわいそう』だった。
 霊的な何かにかわいそうも何もないだろうと思い直したが、やはり塩で払うのは気が進まなかった。

 今まで、私に嫌がらせをしてきた奴らになら塩をぶつけることにためらいはない。
 けれどマリーちゃんに塩を撒くことはひどくためらいがある。
 私は空っぽのグラスに残る水滴をこすりながら考えた。

「なんだろう……。怖いけど、不思議と怖くないんだよねぇ」

 そう、怖いのだ。見えない何かがいる。
 いや見えてるマリーちゃんかも知れない。

 けれど、私に何か害をなそうとしているとは思えなかった。

 意地悪をしてくる奴は空気で分かる。
 図書室にも学校にもそういう濁った空気は感じられない。
 逆にひどく神聖な気さえする。

 それは私が本を図書室をそう思っているだけかもしれないが……。

 友人は、追加の注文をするために店員さんに目配せした後に、私にも注文を促す。
 もう少し、積もる話をしたいということだろう。

「大人になったんだね。ああ『先生』なのか?」

「からかわないでよ。恥ずかしいんだから……」

 教師ではない。だから『先生』ではないでは通じない。

 学校にいる大人である以上、『先生』のふりをしなければいけない。

 お化けを怖がってなどいられないのだ。

 私たちは、追加でホットコーヒーを頼んだ。

 肝が冷える話をしすぎた。

5、小さなお弔い


 夏休み中も学校には、プールの後に本を借りる子や教室でメダカにエサやりをする子などがポツポツときた。

 そんな夏休みも折り返しに差しかかったある日。プール後にメダカの様子を見に来た低学年の子供二人がしょんぼりとやってきた。

 手に持つヨーグルトの容器には、白くなった死んだメダカが浮いていた。
 世話が悪かったわけではなく、猛暑や寿命だろう。どうしようもない。

 そう伝えれば慰めになるだろうか?

 私の胸はぎゅっとした。

「おはかつくってもいい?」

 もちろん作っていい。けれど、それはどういう意味なのだろうか? 子供の言うことはまだよくわからない。よく本を借りにくる子以外は名前も学年もおぼろげだ。
 この子は2年生だったはず。ああ、まだお墓の作り方がわからない。そういうことなのだろうか?

「いいよ。一緒に作ろうか?」

 私は、仕事の手を休め校庭に出た。
 ギラギラとした太陽が眩しく、くらくらする。帽子のひとつでも欲しいところだが、あいにく外に出ることを想定していないから持ってはいない。
 お墓は、校庭の北側の木陰に作ることにした。
 スコップを借りるために、職員室で聞いたらその辺が定位置らしい。
 自分も金魚を飼っていたし、飼育委員だったのでお墓は作ったことがあったはずだがあまりにも昔のことで、一緒に作ろうと言ったもののどう弔ったのか思い出せない。
 歩きながら記憶を手繰る。

 私が小学四、五年生の時に学校で世話をしていたのは、うさぎとニワトリとインコだった。
 ウサギが病気で死んだ。獣医に見せるなどと言うことは考えも及ばず、上級生と一緒に薬草になる葉を調べエサの他にヨモギやタンポポやハコベを一生懸命に摘んで食べさせていたが、そのかいもなく死んでしまった。
 たぶん、自分の世話が悪かったのだろうかと、そんなことばかり考えて、お墓の作り方までは覚えていない。
 泣いてばかりいたから、上級生が何とかしてくれたのだろう。
 六年生にできたことが、大人の私にできないとは……。
 子供の頃からマンション暮らしで、私はペットを飼った経験はない。後にも先にも、あの飼育委員の記憶しかないのにあまり覚えていないなんて。
 しかも、自分は教師ではないのに、何が伝えられるというのだろう。
 大人として情けない。
 
 とにかく、弔う気持ちが大切だと気を取り直した。
 作業のために、私はいつもベージュ色のエプロンをしている。そのポケットに、メモ帳もハサミもマジックまで入っていた。
 私は、グリーンカーテンに使っている朝顔の葉をエプロンに入っていたはさみで数枚摘んだ。
 あとは、花壇に植えてあるペチュニアのピンクの花とサルビアの赤い花。目に入ったシロツメグサも摘んだ。『いいの?』と子供に聞かれたが大人の裁量で問題はない。
 むしろ、弔いには必要だと思った。
 おぼろげな記憶がよみがえる。
 スコップでほどほどに掘った穴に、緑の葉を敷き花を散らす。そこにそう、ふわふわだけれど硬くなった白いウサギを横たえた。
 その赤い目が閉じていたか開いていたかさえ思い出せないのに、私に弔いをする資格はあるのだろうか。
 
  *

「ここに、メダカさんを寝かせてあげてね」
 子供は小さな手で、小さな小さな白いメダカを花の褥《しとね》に横たえた。
 なぜだか目が潤んだ。
 毎日魚も刺身も食べているというのに、こんなシラスより少し大きいだけのメダカの死が胸に刺さるのか。
 私はたぶん、子供より困惑していた。
 いい大人が、感傷的になってどうする……。
 そうして、メダカの亡骸なきがらの上に布団だと言って、さらに葉と花をのせ、子供たちと私で少しずつ交互に土をかぶせた。

 最後に少し大きめの石を墓標にし、残った花を添え手を合わせる。
「メダカさん、今までありがとう。お空で元気に泳いでください」
 私がそういうと、子供たちも真似をして同じことを言って手を合わせた。
 宗教は関係ない。これは普遍的な別れの挨拶だ。
 しかし、私が忘れてしまったように、この子たちもすぐに忘れるだろう。
 そうしてまた、いつか日か不意に思い出すのだろうか?

 子供たちは清々しい顔で去って行った。
 子供は切り替えが早い。
 私は膝の土を払うと大きな入道雲を見上た。
 
 大人には、夏の日差しは眩しすぎる。

6、守るべきもの(終)


 そのあとも相変わらずの頻度で本が倒れたり、謎の音は聞こえた。

 けれど、私は少し変わった。
 私は毎日、マリーちゃんにあいさつをするようになった。

「おはようございます」
「おつかれさまでした」

 何のことはない。マリーちゃんをお化けだと思うから怖いのだ。塩を撒いて払うより、これは生徒で同僚で仲間だと思って仲良くすればなんてことはない。
 もしかしたら、私を見張る上司かもしれないが……。

 怖いと思っているから怖いだけで、私が優しく接しかわいいと愛でれば、それはかわいいのだ。

 今まではガラスケースの埃をバサバサとはたきで払っていたが、雑巾で優しく拭うように変えた。
 あの青い目もだいぶ優しくなったような気がする。
 人形とは人の心を映す鏡なのかもしれない。

 しかし、マリーちゃんと折り合いをつけた後も、誰もいない図書室で本はパタリと倒れた。
 もう、いくらでも倒れてもらって構わない。

 慣れたもので『はいはい』と倒れた本を直し。空《から》の教室からイスの音が聞こえても『しーっ!』と言ってやり過ごした。
 人間、声を出すと力が出るもので気にならなくなった。

 わからないものだから怖かっただけで、分かってしまえば怖くないのだ。

 学校にお化けがいるとしたら、それはマリーちゃんだったり、子供たちやメダカだったり……そんなものだろう。
 私よりも小さくて、私よりも庇護を必要とするものばかりだ。
 ならば何も恐れることはない。

 学校にいる大人はすべからく先生と呼ばれるように、学校にいる霊はすべからく子供と思っていい。
 子供も子供の霊も人形も怖くはない。
 それはすべて、大人として守るべき対象だ。

 不思議なもので、あれだけ怖がりだった私も気付けば一人前の大人だった。

 そして、私の職場である図書室は私の管理下の場所。お化けや幽霊に好きにはさせないのだ。
 新米とはいえ司書として、学校にいる大人としての矜持《きょうじ》が芽生えていた。
 
 そうして、夏休みの残りもせっせと働き図書室の整備が終わり、図書目録も完成した。
 夏休みが終わると、生徒たちが戻ってきた。
 読書感想のカードを書いて来てくれたものを掲示する。長期貸し出しをしていた本も返ってきた。
 図書室とマリーちゃんと私だけの楽しい生活は、あっという間に過ぎて行った。
 
  *

 私は、6か月の任期を終えた。

 その日々は私にとってとても楽しく色鮮やかで、それでいて不思議だった。
 あれだけ怖いと思っていたお化けのしっぽを見たはずなのに、6か月も何食わぬ顔で勤め上げたのだから。

 先生なんて名ばかりなのに、ただの会社員であった私が先生のふりをして小学校で過ごしたことも驚きだ。
 働きの成果として図書室を整備し目録データを引き渡した。

 はずかしながらお別れの会もしてもらい、壇上で挨拶もした。

 最後に、私は図書室の黒板に絵とお別れのメッセージを書く。

『短い間でしたが、たくさんのお友達と仲良くなれて楽しかったです。これからもいっぱい本を読んでくださいね』

 そのお友達には、生徒だけでなくマリーちゃんも、イスの音の主も含まれる。

 後日、教頭先生に聞いたのだがその黒板に子供たちが返事をたくさん書き込んでくれたらしい。もう私は見れないのに……。

 それを聞いたとき、うれしいと同時にひどく泣きたくなった。

 あの怖いと思っていた人形が妙に懐かしい。

 マリーちゃんも私に何かメッセージを書いてくれただろうか?
 そうであったらいいなと想像する。

 
 まさか、次の赴任地の小学校にもメリーちゃんという人形がまたしても待ち受けているとは知りもせず。


続きはこちらです。サクっと読める短編集となっています。
【私小説】続、図書室とマリーちゃんと私 7、校長先生のおたのしみ|天城らん(あまぎらん) (note.com)