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ショートショート『ログインボーナスタイム』

 スマホが黒船のごとく到来し、気づくと人々を侵食しているこの時代(文化とはそういうもの)、テレビ局の局員や広告会社、あるいはテレビ制作に関わる人々が次の時代での身の振る舞い方を模索している中、僕はそれどころではなかった。

 毎時58分頃になると、これから訪れる拘束時間に備え、冷蔵庫から口が寂しくならないよう急いで口内暇つぶしアイテムをかき集める。いつ如何なる時でも僕の味方であるそのアイテム達は、両手両脇に抱えられ長方形のテーブルへエスコートされる。これまでに幾度行ったであろうか。無駄のないエスコートを身に付けた両腕の関節たちに愛おしさすら感じている。

 「洗剤のCMが始まったということは、これが終わったら番組が始まるな。」各局のスポンサーとCM構成の傾向を無意識に身につけ、CMが明けるタイミングを正確に把握できる謎の能力(就活の自己PRで主張しても、むしろ趣味が乏しい人間という烙印を押されてしまいそうなこの能力)は僕の数少ない自慢の一つだった。

 CMが終わると同時に指をパッチンと鳴らす。それを合図に番組が始まる。この能力はどんなに無神経な言葉を浴びせられた日でも、変わらず僕の自尊心を取り戻してくれた。

 そう、この能力が誰にも継承されず失われてしまうことが僕が一番危惧していることなのだ。物心ついた時から当たり前のように存在したゴールデンタイムという言葉は、視聴しないと二度と取り返せない何かを失うような恐怖を幼少期の僕に植え付けた。(今冷静になるとそんなことは微塵もないのだが)

 その策略の強すぎる呪縛に取り憑かれ、僕は学生時代の殆どの時間、自身の黒目を32インチの妖気ただよう家主から放たれる光に晒し続けた。

 僕にとってテレビはインテリアの一部ではなく、家の本体だった。(屋根、壁、柱、各種インテリアはテレビ様のご機嫌を取るように設置、配置されているのだ)

 僕はこの自慢の能力がいずれ効力を失う時が来るのが怖いのだ。誰がなんと言おうとこの能力は、僕が背筋を伸ばして社会と関わることのできる原動力となっている。

 聞くところもう今の若者にとっては、19〜21時という時間はゴールデンどころか、ログインボーナスで手に入るアイテムと同等あるいは価値が低いものらしい。ゴールデンタイムではなく、ログインボーナスタイムという名のほうが似つかわしい。(いや、ボーナスという言葉は縁起の良さが滲み出てしまうので却下)

 もう新たな能力を身に付ける気力もない。どうか僕が僕であるために、テレビを失くさないでくれ。

わざわざ読んでいただいてありがとうございます。 あなたに読んでいただけただけで明日少し幸せに生きられます。